なぜ今 キューバとの関係改善か

2015・4・15   薮田剛由

 昨年12月、アメリカのオバマ大統領は「半世紀以上にわたって続けてきたキューバの経済封鎖を止め、国交回復を目指す」と発表し、ビッグニュースとして世界を驚かせました。この背景をどう読も取るのか、正反対の二つの見方が表面化しています。それは、「アメリカは、この50年間の経済封鎖政策の誤りを思い切って転換した」という見方と、「キューバの社会主義路線もいよいよ行き詰まり、アメリカに頼ることにした」という見かたの二つです。
 安倍首相や岸田外務大臣がこの春にもキューバを訪問する予定が取りざたされていますが、これらに関連して、「アメリカのキューバに対する経済封鎖解除」の問題は、日本でも大きな話題になってくるでしょう。一般のテレビや新聞の見方は後者でした。それは「ベネズエラのチャベス大統領が亡くなり、キューバはベネズエラに頼れなくなったので、アメリカを頼らざるを得なくなった。そして中南米の左派諸国も競ってアメリカに歩み寄っている。」というものです。

 キューバ革命とは何だったのでしょうか
 1952年にクーデターで権力を握ったバチスタ将軍は、砂糖産業などアメリカの大企業の利益のために、国民の生活や民主主義を踏みにじる独裁政治を行っていました。1959年のカストロに牽きいれられたキューバ革命の精神は、「誰もが食べていける、病気になったら病院に行ける」という国を目指したものでした。この中で、最大の大地主だったアメリカの大企業の農地が接収されましたが、この農地改革に、アメリカは猛烈に反発、亡命者等の傭兵部隊を使ってのキューバへの爆撃や上陸作戦などで、政府転覆に乗り出しました。これまでのアメリカの裏庭と言われた中南米では何処でもそのやり方が罷り通っていましたが、キューバは、国民的反撃で撃退、そして社会主義建設への方向を打ち出しました。アメリカは、軍事力でつぶせないとなると、兵糧攻めにしようというのが1962年の経済封鎖、キューバのアメリカ一辺倒の輸出入を一切打ち切るという攻撃でした。
 東西冷戦の真最中のこの時に手を差し伸べたのが旧ソ連です。キューバに建設されたソ連のミサイル基地を巡って核戦争の瀬戸際まで行った「キューバ危機」は多くの方が覚えているでしょう。その後、アメリカは「アメリカにいるキューバ人の自国への送金の禁止」「キューバに寄港した船は180日間アメリカに寄港出来ない」等さまざまな法律も作ってキューバをつぶそうとしてきました。半世紀にもわたるこの経済封鎖は、累積1兆ドルにも及ぶ経済的損害(キューバ政府試算)をあたえ、過去23回にもわたる国連総会での決議では、アメリカ以外のすべての国が経済封鎖解除の声をアメリカに突きつけてきました。

 アメリカはなぜ自分の方から転換に踏み切ったのか
 まず第1はアメリカの国内事情です。今、国民の大多数は(昨年12月、アトランテック評議会の世論調査)は、56%がキューバとの関係改善を支持し、キューバ系移民が集中しているフロリダでは60%を超えています。だからオバマ大統領によるこの政策転換は、アメリカでも圧倒的な支持を受けています。
 キューバ革命の当初には亡命者たちは、本気でキューバへの武力進攻を考えていましたが、今日では、世代交代も進み、キューバの政権転覆の非現実性を悟ってきています。そして医療保障が全くないアメリカに住んでみると、「医療の無料化をしたキューバ革命も良いじゃないか」と考えるようになり、キューバ側も「出国も帰国も自由」と言う政策をとっていますから、若者を中心に、とりあえずマイアミなどキューバ人が大勢いるところで働いて、家族に送金しようという人達が増えてきているわけです。彼らは何もキューバの政権を転覆させようとしているわけでなく、何時か帰国したいと思っているわけですから、キューバに対する経済制裁には反対してます。
 また、フロリダとキューバの間は、約100キロ、新幹線ではあっという間に、ジェット機なら10分で着く距離にある。そこには物資が不足している1200万人の市場があり、中国や新興国がどんどん進出している。これを見てアメリカの経済界も、キューバを市場と見て経済封鎖の撤廃を要求しています。

 キューバとの対等な新時代への出発点に
 第2番目は、中南米全体が変わってしまったことです。これまではアメリカに反対する国は存在が許されなかったアメリカの裏庭で、その地位が大きく揺らいできたのです。前回2012年の米州機構第6回首脳会議には、キューバの参加を求めるボリバル同盟の8カ国が欠席、共同宣言すら発表されなかった。またアメリカ抜きで、中南米33カ国全てが参加したアメリカ・カリブ共同体も2011年に発足するなど、その影響力はかつてなく弱まっています。
 この4月に行われた第7回首脳会議では、1962年にキューバが同機構から除名されて以来、アメリカとキューバの両国の首脳が初めて顔を合わせることになりました(2009年には、オバマ政権はキューバ除名撤回の立場をとったが、キューバは「同機構はアメリカの道具」として復帰を拒否した)。
 オバマ大統領は、「相互尊重に基づく平等なパートナーとして協力する新しい時代」を強調し、アメリカと中南米全体との関係で「転換点をもたらす」意欲を示し、キューバの「テロ支援国」の指定を解除しました。
 1998年にチャベス大統領がベネズエラで誕生して以来、ブラジル、アルゼンチン、チリ、ボリビア、ハイチ、ニカラグア、エクアドル、グアテマラ、ペルー、ドミニカ、コスタリカ、エルサルバドル、ウルグアイなど毎年次々と反米の自主的政権の誕生、継続が続いています。
 この流れは、2002年にベネズエラでのアメリカが仕組んだチャベス打倒のクーデターが、国民の反撃で失敗して以来、堰を切ったように進みました。それは「自分の意思で立ちあがり、行動を起こせば政治は変えられる」ということを、中南米の国の人達が知ってしまったためです。
 その典型はボリビアです。ボリビアではアメリカ主導の新自由主義的経済政策のもと、何もかも民営化、水道局の権利も競売にかけアメリカ企業に売り払い、その結果水道料金は一挙に3倍化、人間は水なしでは生きていけない、日本人よりもおとなしいといわれたボリビア人も戦いに立ちあがり、ついに民営化を撤回させ、国営化させました。これが水戦争です。またコカ戦争というものもありました。コカという茶葉を科学的に処理してコカインを作るわけですが、これは麻薬だといって、住民が日常的に飲用しているコカの茶葉畑を軍が火炎放射機で焼き払い、アメリカは、飛行機から枯葉剤を蒔いたのです。
 2006年に就任した原住民出身のモラレスという新大統領は、コカ茶葉の生産組合の組合長だった人です。ボリビアはゲバラが死んだ地です。モラレス氏は、「この戦いはゲバラに続くものだ」と大統領就任宣言しました。
 中南米各国の首脳は、オバマ大統領の言う「対等な関係」を実現するには経済封鎖の解除が不可欠と指摘しつつ、「間違えないでほしい、キューバが出席出来たのは60年以上も、尊厳を求めて戦ってきたからだ」(アルゼンチンのヘルナンデス大統領)と述べています。

 アジアでも前進する新秩序の流れ
こうしたアメリカなど大国の支配ではなく、「国連憲章に基づく平和の国際秩序」を確立しようとの動きは、アジアにも広がっています。東南アジア諸国連合が取りくんでいる東南アジア友好協力条約にはユーラシア大陸のほぼ全体を含む57ヶ国、世界人口の72%が参加しています。その考え方は、「軍事ブロックの様な外部に仮想敵を設けず、対話と信頼で紛争の平和的解決を図る。社会体制や文化の違いを認め合い、多様性のもとで共同の発展を図る」というものです。安倍政権が進めようとしている「集団的自衛権の行使容認」や自衛隊の海外派兵を進める「戦争立法」の企ては古色蒼然たるものです。こうした反動的攻撃を許さず、憲法9条を世界に広げるうえでも、こうした地域共同体の発展には多くの学ぶべきものがあるでしょう。