憲法制定の過程と幣原喜重郎
「日本国憲法9条に込められた魂 幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」(平野三郎氏記)を読んで
2016・8・25  薮田剛由

1)今の憲法は、戦勝国に押し付けられたものなのか
 先の参院選挙の結果、自民党や公明党などの改憲勢力は、参院でも衆院と共に3分の2の議席を占める事になり、安倍首相は秋の臨時国会から憲法審査会での改憲論議を始めたいと狙っています。安倍首相らは、「今の憲法は、アメリカに押し付けられたものである」として、戦前の絶対主義的天皇制をあたかも日本の歴史と伝統であるかのように主張し、かつての侵略戦争の正当化と古い価値観の復活を目指しています。そして、憲法9条を否定し、日米同盟を強化して、日本をアメリカと一体化して、再び「海外で戦争できる国」にしようとしています。
 こうした時に、憲法制定時の首相として関わった幣原喜重郎氏(1872〜1951)が今注目を集めています。テレビ朝日・報道ステーション(2016・2・26)、東京新聞(2016・8・12)、「赤旗」(2016・8・19)などで報道され大きな反響を呼びました。
 その内容は、幣原氏の秘書を務めた衆議院議員平野三郎氏(1912~1994)の文書(いわゆる「平野文書」)として、内閣に設置された憲法調査会(1956年~1965年、高柳賢三会長)の事務局が1964年に印刷した「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」(平野三郎氏記)や平野三郎氏の様々な著書にもくわしく記載されています。
 この平野文書を書いた経緯を平野氏は、自身の著書「平和憲法の水源―昭和天皇の決断」の中でこう述べています。
「憲法調査会の審議が大詰めを迎えたある日、・・高柳賢三会長(1887~1967)は重大な決意を込めて言った。『私は憲法の番人の仕事を仰せつかった。私は番人に徹するつもりです。私は少なくとも第9条は未来永劫触れるべきではないと思っている。自衛権は本来的にあるという意見もあるが、いまだかつて自ら侵略と称した戦争はなく、全て自衛戦争ですから、ひとつ歯止めをはずしたら結局は元の木阿弥に戻ってしまう』。そして天皇とマッカーサーとの会談にふれ、『天皇は提言された。むしろ懇請だったかも知れない。決して日本のためだけではない。世界のため、人類のため、戦争放棄という世界史の扉を開く大宣言を日本にやらせてほしい。天皇のこの熱意が元帥を動かした。これはもちろん幣原首相を通じて口火を切ったことですが。そこで貴方が幣原さんから聞いた話をひとつ書いてくれませんか』とのたっての要請があり、私は憲法調査会に、この文書(いわゆる「平野文書」)を提出したわけです」
 「赤旗」(2016・8・19)は、東大名誉教授堀尾輝久氏が今年1月に国会図書館所蔵の憲法調査会関係資料のなかで、「9条は幣原提案」とのマッカーサー書簡を発見したと報じました。当時の憲法調査会の高柳会長が、1958年渡米し、マッカーサーとの往復書簡をふまえて「私は幣原首相の提案とみるのが正しいのではないかとの結論に達している」と述べていましたが、その具体的内容はこれまで不明だったものが、今回、明らかになったとしています。
 憲法9条は、1946年1月に幣原首相とマッカーサーが会談した時が発端といわれていますが、マッカーサーは、書簡(1958・12・15)で「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったものです」と明言し、これに先立つ書簡」(12・5)では「(9条は)世界に対して精神的な指導力を与えようと意図したものであります。本条は幣原首相の先見の明と経国の才志と英知の記念塔として朽ちることなく立ち続けることでありましょう」と称えています。

2)戦前の外交での中心人物、憲法制定時の首相 幣原喜重郎氏の思いとは
 幣原喜重郎氏は1915年に外務次官となり、ワシントン会議の全権委員を務め、1924年以来加藤内閣など4度の外務大臣を歴任しました。世にいう「幣原外交」とは、「国際協調、恒久平和、共存共栄、対支不干渉」とされていますが、それは、軍部の台頭により「軟弱外交、国辱外交」とされ、1931年満州事変後は政界から引退しました。
 その後、幣原氏は敗戦直後の難局に昭和天皇に特に請われて、44代内閣総理大臣(1945・10〜1946・5)になり、憲法策定に関わっています。
 幣原氏の思いは、「平野文書」や平野氏の著書にくわしいが、平野三郎氏は、「平和憲法秘話―幣原喜重郎その人と思想」の「まえがき」に次のようにのべています。
 「この日本の宝は、決して外国から貰ったものではなく、幣原喜重郎というれっきとした日本人の手に成ったものである。本書はこの事実を明確にし、この点の論争に終止符を打つべく書かれるものである。私はこの憲法を生みだした幣原喜重郎その人の生涯と思想を紹介し世の多くの人の理解と共鳴を得たい。
 そしてこの偉大な平和憲法が、うっそうたる大樹の如く永く日本の大地の上に繁茂すると同時に、やがて全世界に向かってこの精神が及び、人類永遠の平和の基礎となる事を念願するものである」
 そして、同書の「あとがき」では、幣原氏自身の9条についての説明文を載せています。「戦争放棄は正義に基づく大道でありまして、日本はこの大旗を掲げて国際社会の原野を独り進まんとするものであります。・・・今日のところ世界はなお旧態依然たる武力政策を踏襲しておりますが、他日新たなる兵器の威力により、短時間のうちに交戦国の大小都市が悉く灰塵に帰するを見るに至りますれば、その秋(とき)こそ、諸国は初めて目覚め、戦争放棄を真剣に考えるでありましょう。その頃は、私はすでに命数を終わって墓場の中に眠っているでありましょうが、私はその墓場の陰から、後ろをふり顧って、諸国がこの大道をつき従って来る姿を眺めて喜びとしたいのであります」
 幣原氏は、平野氏とのインタビュー(平野文書)の中で、「非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考えた結果もう出ている。要するに世界は今一人の狂人を必要としている。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争のアリ地獄から抜け出す事が出来ないのだ。これは、素晴らしい狂人、世界の歴史を切り開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。」「私は第9条を堅持する事が、日本の安全のためにも必要だと思う」「憲法は押し付けられたという形をとったわけであるが、私には天皇制を維持するという重大な使命があった。元来第9条の様な事を日本側から言い出すようなことは出来るものではない。まして天皇の問題に至ってはなおさらである。この二つは密接に絡み合っていた。此の情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案する事を私は考えたわけである。」と。
 なお、ここで注目しておきたい事は、幣原氏や、平野氏、高柳氏などはいずれも当時貴族院議員や衆議院議長や議員、県知事、大学学長などを歴任した政治的立場としては、天皇制を支持するなどの保守に属する人達で、決していわゆる左翼の人達ではないことです。明治維新以来、50数年にわたる絶対的天皇制のもと、悲惨な戦争の果ての当時の全ての国民の切実な気持と要求を表明したものとみる事が出来るということです。だから当時の文部省は『新しい憲法のはなし』という教科書を配布し、その普及に努めるなど、新憲法は国民的な歓迎を受けました。
 昨今、日本近海での中国や韓国との領土・領海を巡る紛争や中国・韓国や北朝鮮での軍事演習、ミサイル発射などの動きが活発化していますが、こうした事態に9条を持つ日本として、どう対処するか、私達日本国民全てのの知恵と努力が試されているのではないでしょうか。

3)世界の国々の平和への取り組み
 パリ不戦条約(1928年)や国連憲章(1945年)で明らかなように、「戦争の放棄」「紛争の平和的解決」めざし、「武力の行使、武力による威嚇」は禁止されており、日本国憲法9条1項「戦争の放棄」は、今や国際的到達点で、殆どの国の憲法はこうした戦争放棄条項を持っています。問題は9条2項「戦力の不保持・交戦権の否定」であり、これこそが憲法9条の価値であり、世界に冠たる平和主義・人類の宝と言われるゆえんでもあり、当時の全ての日本国民、幣原氏らの望んだ展望でもあります。
 今日、軍隊を持たない国は、国連加盟国193ヶ国中25ヶ国に及んでいます。
 その一つ、中南米のコスタリカ(人口500万、1949年に憲法で軍隊を廃止)の国会は昨年「日本とコスタリカの両国民に共同でノーベル平和賞を」との決議を満場一致で挙げ、ノルウエ―のノーベル委員会に送付しました。決議では、「発展段階の違う二つの国が戦後平和的に大きく発展してきた。此の方向は世界の模範となり得るものだ」と述べ、「兵士の数だけ教師を」のスローガンのもと、軍事費ではなく教育にお金をかける事が社会の発展に役立つのだとしています。
 またドイツは、5月8日の終戦記念日を『民主主義の日』として、戦争で惨禍を強いた隣国に明確な謝罪をし、被害者への個人補償も行い、他国とその国民からも信頼されるように努め、かつてドイツが行ったユダヤ人への迫害にも思いをはせ、中東やアフリカからの難民の受け入れにも積極的に対応しようと努力しています。
 また、東南アジア諸国連合(10ヶ国、6、2億人)では、東南アジア友好協力条約を締結し、「紛争を戦争にしない」― あらゆる紛争問題を話し合いで解決する重層的な平和と安全保障の枠組みを作り上げています。こうした軍事同盟ではない地域的枠組みが中南米などでも広がっており、さまざまな紛争や緊張に対し、もっぱら軍事的に構えるのではなく、憲法9条の精神での話し合いと外交努力で解決する方向が、今世界に広がろうとしています。

4)自民党の改憲策動との国民的戦い
 自民党は、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって・・・」「天皇は日本国の元首」として天皇中心の国として、「憲法は国民を縛るための道具」として、本来の意味を180度変えようとしています。
 その最大の問題は、長年の近隣諸国への侵略戦争への反省の欠落であり、「現憲法は戦勝国に押しつけられたものである」として、歴史に学ばず、人類の進歩に逆行しようとする思いが込められています。自民党の改憲案には、国歌君が代、国旗日の丸を押し付け、聖徳太子の17条憲法の引用など、実に粗雑で誤った歴史認識がその根底にあります。その方向には、近隣諸国の共感を得られるはずもなく、また幣原氏や平野氏など憲法制定時の政治家が持っていた日本の未来や夢・展望のかけらも伺う事ができません。
 そして、「天賦人権論」を否定し、基本的人権を「公益・公序の許す範囲」に制限し、「国が何をしてくれるのかではなく、国のために何ができるのかを国民は考えなければならない」として、「個人の尊重」という憲法の最重要の目的を棄て、「国民を守るため」という憲法の本質に立った立憲主義を根底から破壊しようとしているものです。この方向は世界の歴史に逆行し、圧倒的な日本国民の願いとも真っ向から衝突するものです。
 先の参院選は、安倍首相と自民党の争点隠しもあり、改憲勢力が参院でも3分の2の議席を占めたとはいえ、国民は改憲への「白紙委任」を与えたわけでありません。最終的には国民投票というハードルがあるわけですから、問題は国民そのものが憲法をどれだけ理解し、自分のものとしてどういう判断を下すのかにかかっている事になります。今後のさまざまなところでの憲法論議は、日本と世界の歴史の方向を決める事になるでしょう。