武田章寛ヴァイオリンリサイタルを聴く
2016年9月13日  虎長

 9月11日に東京文化会館小ホールでのリサイタルを聴いた。全席自由席のためか開場時間以前に長蛇の列。正方形のホールの一角に位置する小さい舞台に比し、649と多い席は、曲目が必ずしも超ポピュラーではないのにも拘わらず、95%の入り。聴衆の期待と熱気が感じられる。

演奏順に、曲の感想と演奏に印象とを混在させた雑文を以下に示したい。敬称を略す。

(クリックすると拡大写真になります)
ストラヴィンスキー イタリア組曲
 1920年作曲のバレー音楽「プラチネルラ」から6曲を1933年に組曲として纏めたもの。同じ作曲者の野性的なバレー音楽もよいが、この様な「新古典主義」の作品を僕は好む。
T Introduczione
U Serenata
V Trantella
W Gavotte con due variazioni
X Scherzino
Y Minuetto - inale
特にIとIIは、「プラチネルラ」の曲として聴きなれた方も多いのでは? 僕の大好きなIの演奏で、低音部に厚みがないので落胆。しかしIIの演奏はよくて、ゆっくりした音楽が演奏者にあっているのかと思った。が、速いIIIも悪くなかった。心配したピアノとの呼吸もあっていた。IVでも低音部の厚みの欠如を感じた。
ピアノの冨永愛子の演奏は力強い。Vはピアノの大きな音にヴァイオリンが負けそうになることが時々あり、最後に演奏する予定のR・シュトラウスの 「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」の第3楽章(ピアノが大活躍する)が大丈夫か、いささか気になった。 VIではようやくヴァイオリンの低音部にふくらみがでてきて安心した。オーケストラによる「プラチネルラ」が絢爛としてよいが、ヴァイオリンとピアノだけによると透明感はある。

ドビュッシー ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
この演奏はBravo!! 演奏者が得意としているという安定感を感じた。
第1楽章 Allegro Vivo。陰影感のしっかりした演奏。
第2楽章 Intermede, Fantasique et leger 表情豊か。ピアノとの織りなしも快調。
第3楽章 Finare, Tres amine ドビュッシー特有のハーモニー、リズム法による異国情緒が感じられた。武田はドイツ音楽が得意かと想像していたが、フランス音楽もうまい。今度はベルギーのフランクのヴァイオリン・ソナタを聴きたくなった。

イザイ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第4番ホ短調
シゲッティ演奏によるバッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」を聴いて作曲を決意したイザイよる6曲の中の一つ。1923-24年作曲だが、パルティータ(組曲)を模した舞曲であり、知らない人が聴いたらバロック期の音楽と思うかもしれない。
第1楽章 Allemamande, Lento maestoso 緩急の要をえた、よい演奏。
第2楽章 Sarabande, Quasi lento ピツィカートに一層の練習を要すると感じた。
第3楽章 ちょっと無愛想な演奏に聞こえた。

R. シュトラウス ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
1887-1888年 R.シュトラウス23歳の作品。今回のように若い人による演奏があっている。
第1楽章 Allegro ma non troppo
第2楽章 Improvisation, Andante cantabile
第3楽章 Finale, Andante-Allegro
 ピアノがヴァイオリンと対等に活躍する曲なので、バランスを心配したが、杞憂に終わった。一言でいうと冨田は音量豊かで豪快、武田は繊細優美ということになるが、冨田による色彩的な多様性のあるピアノに武田のヴァイオリンが負けることがなかったのは喜ばしい。武田が、この曲を、またR.シュトラウスを、好きでたまらない、自分で演奏を楽しんでいる、という雰囲気が演奏態度からうかがえた。若い演奏家らしく、曲の本質にまじめに迫ろうとしているのが感じられたが、もっと研鑚を積めば、自分の感性で解釈して、聴き手を楽しませるところまで成長できるだろう、という期待をもたせてくれた。

アンコール R. シュトラウス Morgen 明日(あした)
「武田がR.シュトラウスを好きでたまらない」との筆者の推測は、このアンコールの選曲で証明されたと思う。武田は歌詞(ジョン・ヘンリー・マッケイ)が好きであることも理由にあげていたが…。R.シュトラウス 28-29歳、1893-94年作曲の歌曲が原曲。僕はシュヴァルツコプフの歌を好むが、そこではセル指揮ロンドン交響楽団のオーケストラ伴奏(オーケストラ伴奏編曲は1897年) が主役で、特にヴァイオリンとハープが美しい。今回の演奏も十分楽しめたが、欲を言えば、ピアノにもっと歌ってほしかった。でも冨田という優れた共演者に恵まれた武田は幸運だ。

[蛇足]  会場では、「ストラヴィンスキーとドビュッシーの順番を入れ替えた方がよかったかも」との声があったが、聴衆が入りやすいイタリア組曲を最初に持ってきたのは正解だろう。演奏者があがらなければ、の話だが。また、武田のズボン、靴、足の踏込への批判も聞いたが、僕には、演奏された音楽がよければ、これらは気にならない。僕も顔をしかめる演奏者(武田はその範疇に入らないけれど)は、音楽の内容に関わらず好きではなく、ヒラリー・ハーンのように落ち着いた表情で、時には微笑みを見せる余裕ある演奏態度を好む。正しいかどうかでなく、好き・嫌いの問題だろう。

以上