映画「ウォーナーの謎のリスト」を観る
2016年11月6日 虎長

はじめに:
 この作品は、10月14日に京都国際映画祭2016招待作品として上映の後、10月31日~11月4日に、三省堂の裏にある神保町シアターで、11月5日~11月13日に東京写真美術館で上映。このように上映期間が限られた上、僕が観た11月3日は文化の日。満席を心配したが観客の入りは75%程度だった。(a)ウォーナー・リストを作成し京都・奈良をはじめとする都市と文化財を戦禍から守ったと言われるラングドン・ウォーナーと、(b)神田古書店街をマッカーサーに訴えて空襲から守ったとされる セルゲイ・エリセーエフの話が中心。
 以下に感想を述べる。

[力作である]
 金高健二監督はテレビ作品を多く手掛けているそうで、本作品もテレビの教養番組の趣がある。二つの挿話に俳優を使っているが、30人ほどのIntervieweesからの意見と証言を中心としたドキュメンタリーである。
(1) Intervieweesの人選が、信頼できる知識人を中心に幅広く、的確であり、その迫力に圧倒される。強い取材力に敬服。
(2) 戦争による文化遺産破壊の愚かさを強く訴える力がある。
(3) 日本の文化を愛した外国人の日本との深い関わりを丹念に追っていて感動的である。京都国際映画祭の「受け」は狙えただろう。
(4) 僕が尊敬する、平和提唱者 朝河貫一が日米戦回避の為、ルーズベルトに昭和天皇宛親書を書かせようとしたのは既知のことだが、本作中の朝河が努力する姿が胸に迫る。

[傑作ではない]
 上記にも拘わらず、次のような不満が残った。
(1) (1) ウォーナー・リストの話と神田古書店街空襲の話は関係ない。ウォーナーとエリセーエフとが「どこかで接点があったかもしれない」程度だ。更に朝河貫一のルーズベルト親書作成にウォーナーが協力した話があるが、これら3つの話を併行して追っかけたりつなげたりしているため、編集が散漫になったきらいがある。
(2) 神田古書店街の多く(全部ではない)が空襲による消失を免れたのは、焼夷弾投下が精密でなかったのだから、偶然であっただろう。「謎」はエリセーエフが貢献したという「伝説」がなぜ広まったのか、ということだろう。本作品は伝説を信じる古書店主を幾人か登場させているが、その謎解きに迫っていない。Intervieweesのひとり、山本武利名誉教授の「エリセエーエフはOSS(CIAの前身)で対日宣撫ビラ作成に使われており、OSSを嫌いなマッカーサーに直訴できる立場になかった」という話が信頼できる。
(3) 「ウォーナーの謎のリスト」という題名は、客引きのための題名か? 邦題に併記された英文はWarner Listであり、mysteriousとかenigmaticとの形容詞はない。以下(5)に述べる如く、このリストは「謎」ではなく、今や真相は分かっている。
(4) リスト作成が1943年夏ごろになされたようなナレーションがあったが、再三画面にあらわれるリストの表紙には May 1945との日付がある。この矛盾についての説明がない。作成は1944年秋で、正式化が1945年5月というのが史実のはずである。
(5) 本作は「ウォーナーがリストを作ったのは事実」「これが爆撃対象選択にどの程度貢献したかは明らかでない」としているが、本作以前に伝説の真相は既に解明されている。
(5-1) 「京都は、原爆投下対象であったから、それまで残しておくために空襲しなかった。」という説は、本作でも紹介されている。奈良・鎌倉は空襲効果を期待するには小さすぎたから、という史実は紹介されていない。
(5-2) 「米国による文化財リストは日本だけに関して作成されたものではない。」との説も紹介されたが、この映画ではリストの目的を明らかにしていない。すでに吉田守男教授が、1994年に米国が明らかにした機密文書に基づき、「文化財保護の為でなく、米軍が占領先で文化財を管理するときの為。敵国が略奪した文化財を返還する際、戦禍で損害を受けていた場合に等価値の文化財で弁償させる為。」と1995年に指摘済み。
(5-3) スティムソン陸軍長官が京都への原爆投下を拒んだとの説も紹介されたが、文化的配慮より、「日本人の怒りが大きくなり対米抗戦がかえって長びく」ことへの懸念が大きかったようだ。ここは意見が分かれるところかもしれない。
(5-4) ウォーナー自身、戦後に「自分が救ったのではない」と述べ、恩人とよばれることを迷惑がっている。ウォーナー美談は、対ソ冷戦状態において、日本を親米化させるための創作であったことも吉田教授が明らかにしている。米国が、昭和天皇・宮中・海軍非戦派を善玉に、陸軍主戦派を悪玉にして占領日本統治を円滑にしようと試みたのと同じ路線である。本作では、米国の戦後の政治的意図の追及が物足りないと感じた。吉田教授がIntervieweesの中に入っていないのは何故だろうか?

おわりに:
  「ウォーナー美談」は矢代幸雄が1946年にGHQから聞いて信じ、立原正秋の「春の鐘」(1978年)も美談を信じているとのこと。僕は子供時代に「美談」を聞かされた。僕の住む鎌倉の駅近くを含め、日本のあちこちに「ウォーナー顕彰碑」がある。今回、この映画を観て史実を探る機会に恵まれたことに感謝。なお吉田教授が真相を明らかにするより前に、町田甲一氏が「ウォーナー神話は事実でなく、善意から出た思い違い」と1982年の著書で述べているそうだ。NHKは1970年にまだ神話を肯定した「ウォーナー・リストの戦後」を放送した由。1975年にはオーティス・ケリー教授が、「奈良は爆撃対象でなかった。京都を救ったのはスティムソン。ウォーナー自身『恩人説』を否認」と発表。それでも NHKは2002年に1970年の番組の再放送をしたという。どちらの放送も僕は見ていないが、2002年でもNHKは神話を信じていたのだろうか?

以上