落語鑑賞
2012年2月12日 本多

「落語鑑賞会(春)」が2月11日に藤沢市民会館小ホールであり、家内と出かけた。藤沢市は柳家小三治を毎年この時期に呼んでいるが、昨年は東日本大震災のために中止になったとのこと。

今回の催しは、「柳家小三治来る」として昨年秋に予告され、前売り券は11末に市民会館で売られたが、他の出演者の名前が知らされたのは、その時が初めて。とにかく小三治を先ず確保して、他は落語協会所属の噺家が後から決まるのが通例らしい。

前売り券は、売り出し開始時間に求めに行ったのだが、すでに開始前から待っていた人たちが多数いて、昼の部を狙っていったのに僕の3人前で売り切れ、夕方の部を買ったのだった。夕方の部も完売。小三治の人気はすごい。

古典落語の最高峰である小三治は72歳だが、病持ち。彼が生きているうちに聴いておこうと思う人、自分が生きているうちに聴いておこうと思う老人が多かったのではないか?もちろん常連の藤沢市民もいるだろう。

前座:柳亭市也「牛ぼめ」
28歳というが、可愛い顔をしている。言葉がメリハリが聞いて聴きとりやすい。過去これほど言葉が明瞭だった噺家は、3代目三遊亭金馬、古今亭志ん朝か。動作がほんの少し固いが、徐々にやわらかくなるだろう。将来の有望株と見た。

鈴々舎風車「太鼓腹」
37歳。元気がよい。明るい芸風である。だから若旦那の素人針で酷い目にあう、他の噺家からは伝わるかもしれない幇間の悲哀はそれほど感じられない。しかし、注文をつける気はない。理屈抜きで笑える、このような演じ方もよい。

8代目 橘家園太郎「粗忽の釘」
50歳。油がのっている。トライアスロンが趣味の鉄人だけに、元気がよい。前半の夫婦のつまらぬ言い争いは、「自分たちにも、よくあること」と思わせ、大いに笑った。釘を打ち抜いた隣家に座り込み、落ち着こうと煙草をふかしながら、女房についてノロケ話をするところへぐいぐいと持っていてハイライトとした。笑いすぎて涙が出た。ノロケ話の途中でサっと話が終わった。隣家の仏壇の如来さまに釘が刺さったのを見に行くところまで話を進めなかったのだ。

3代目 柳家小満ん「按摩の炬燵」
69歳。はじめ桂文楽の弟子だったが、文楽の死で5代目小さんの弟子になった。古くて地味な芸風を感じた。前半、言葉がもつれることがあったが、按摩さんが酒を飲み始めて調子が出てきた。出し物は、按摩さんに酒を飲ませて体を温め、炬燵の代わりに奉公人に当たらせる、というけったいな話だし、目の不自由な人にとっては愉快でない表現などが出てくるので、ラジオ・テレビではあまり、やらない。僕も、過去一度ラジオで聞いたきりと思う。

仲入り後

3代目 林家正楽 紙切り
僕は初代 正楽の紙切りを中学一年の時に、新宿末広亭で見ている。紙切りを見るのはそれ以来だ。客先から題を取って紙を切り、黒い台紙の上に置いて観客に見せ、作品は題を出した客へのプレゼントとなる。「梅に鶯」、「ひな祭り」、「熱海の海岸」には、それぞれ人物も配してあった。藤娘の持つ藤の花の細かさには驚嘆。ご当地らしい「江の島と富士山」では大きな江の島と小さな富士山が見事な対照を見せていた。もう一は勢いのある「ペガサス」。

10代目柳家小三治「百川」
500人の客席からすごい拍手。まくらが長い。「どうしてテレビはつまらない番組ばっかりなんだろう。ニュージーランドでは日曜の午後は番組がなくて、外で緑の空気を吸おうって言ってる。負けたね。日本でも教育テレビは面白いのがある。高校の歴史で、日本からオランダを通してのイギリスへのお茶の輸出→アヘン戦争→ボストン茶会事件→アメリカ独立戦争と関連して行ったことを知った。学校では何が何年にあったと暗記させられる歴史はきらいだったが、こんなに歴史が面白いとは知らなかった。」

「人を感心させようとして棒を振るカラヤンは嫌い」という小三治は、客に媚びない。あざとい形で笑わせない。ぶっきらぼうに見えて、聴いていると思わず笑ってしまう。飄々としているが、師匠の5代目小さんの飄々と異なる。僕は小さんよりも小三治を好む。

さて「百川(ももかわ)」を始める前に、四神(四方を守る神、玄武、白虎、青龍、朱雀)と、祭りで年ごとに次の当番の町内にもちまわりとする「四神剣」(「しんけん」ではなく、「しじんけん」)の説明がかなり詳しくなされた。この話しは、日本橋の「百川」に新たに奉公人として雇われた百兵衛の地方弁による「抱え人でごぜえます。主人の件でこれえ出やした」を河岸(かし)の若い衆が「掛け合い人四神剣。」と聴き違え、去年の祭りが済んで四神剣を質に入れて遊びに行ったことがばれ、その交渉に来た」と思い込む、会話の行き違いの面白さが肝である。先に四神剣の説明が必要だったわけだ。このあと百兵衛が常磐津歌女文字(かめもじ)を呼びに行かされて医者の鴨地(かもじ)同哲を連れて来る。「抜け作」と河岸の者からののしられた百兵衛が、「かめじと、かもじで、たった一字しきゃ抜けてねえ。」というのがオチ

小三治が話すと、百兵衛と河岸の若い衆とのやり取りが何ともトボケていてリアルで、家内も僕も笑いがとまらなかった。

僕は、小学生の時はクラスで皆の前で落語をしたり、中学生の頃は、ラジオで聞き覚えた落語の真似を友人たちとし合ったり、落語全集を買い込んだり、とかなりの落語好きだった。けれども最近は寄席にいったこともなく、実に久しぶりに落語の実演を鑑賞した。今回行こうと言いだした「本物の落語を観るのは初めて」の家内は大満足だった。

以上