最近私が感銘を受けた映画・音楽
映画『EUREKA ユリイカ』 / 映画『パッチギ』 / 放送禁止歌「イムジン河」
無料動画サイトのGyao[ギャオ]で、最近『EUREKA ユリイカ』と『パッチギ』を視た。
『EUREKA ユリイカ』は3時間37分もの長時間映画で、役所広司と宮崎あおいが出演し存在感ある演技に感心した。
映画は、モノクロのセピア色の画面で進行し、兄・妹役の二人の台詞は全くない。唯一、宮崎あおい演ずる主人公の梢が声を出す場面がある。そして、最後の最後にカラーに切り替わる。
このような画像演出の意図は、この映画を実際に視て頂くと分かります。
心に深い傷と孤独を抱える人々の、再生への旅路を描いた感動のヒューマン・ドラマです。2000年カンヌ国際映画祭で高い評価を受け、国際批評家連盟賞とエキュメニック賞を受賞。独特のセピアカラーの映像演出により、静かな情景のなかに登場人物の繊細な心理と世界観が見事に描写されます。主演を務める役所広司ほか、宮崎あおい(『初恋』)が抜群の存在感ある演技を披露しています。
【あらすじ】バスジャック事件に遭遇し生き残った、運転手の沢井真と、中学生の田村直樹と小学生の梢の兄妹。2年後、彼らは再会し、それをきっかけに奇妙な共同生活をはじめる。そこに、突然現われた兄妹の従兄も加わり...。(2000年 / 日本)
『パッチギ』では、井筒和幸監督が青春ドラマでありながら日本と朝鮮の深い溝の問題を提起している。
塩谷瞬、高岡蒼佑、沢尻エリカなどの若手俳優を起用し、井筒和幸監督が作り上げた青春ドラマ。1960年代の京都を舞台に、若者たちの恋と対立を軸に描きながら、日本と朝鮮の深い溝も問題として取り上げられている作品です。
【あらすじ】1968年の京都。担任から言われ、親善試合の申し込みに朝鮮高校にやってきた府立東高校の松山康介。ブラスバンドの音色に誘われるままに音楽室をのぞき込み、フルートを吹くキョンジャに一目ぼれをする。しかし彼女は、府立東高校とは争いが絶えない朝鮮高校の番長アンソンの妹であることが分かり...。(2004年 / 日本)
『パッチギ』で効果的に使われていた音楽が「イムジン河」。YouTubeで「イムジン河」を検索していたら、奇妙なコメントのある動画に気がついた。ザ・フォーク・クルセダーズの歌っている動画が「発禁前歌詞バージョン」とあったからだ。
【加藤和彦さん死亡】最後のインタビュー 「イムジン河」の真実…
「反戦フォーク」の代表曲のようにいわれる「イムジン河」も特別な政治的意図があったわけではないという。
「単純にいい曲だと思って。北朝鮮の歌とは知らなかった。もとは友人の松山(猛)君が中学時代に朝鮮学校で聴いてきた歌で、日本語詞は彼に書いてもらった。舞台は朝鮮半島ですが、僕はそれだけがテーマじゃないと思っている。『イムジン河』はどこにでも流れている。国と国、上司と部下、男と女。人と人の間にできる『溝』ととらえることができる」
 「帰ってきたヨッパライ」に続くシングル第2弾として発売予定だった同曲だが、発売前にラジオで同曲を流したところ、レコード会社が突然、発売中止を決めた。
 「発売元の東芝に、朝鮮総連から作曲者の出身国名をクレジットするよう要請があったんです。でも当時、北朝鮮は国際社会で正式に国として認められていなかった。問題を避けるために発売を自粛したというのが、本当の理由です」
 
放送が禁止された歌(p.10)
 フォーククルセダーズが 1968 年に発表した「イムジン河」(朴世永原詞・松山猛訳詞・ 高宗漢作曲)という作品も発表当時に放送禁止の指定を受けたと伝えられている。「イム ジン河」の放送禁止をめぐってはいくつかの説がある。第一の説としては、「イムジン河」 は朝鮮半島を舞台にした歌であり、もともとは朝鮮半島で歌われていたのだが、その歌詞 を翻訳する際に誤訳があり、「北の大地から南の空へ/飛びゆく鳥よ/ 自由の使者よ」と いう訳詞が、北朝鮮から韓国へ亡命する人々の姿を連想させ、さらにその行動を「自由の 使者」と表現することで、南側、つまり韓国よりの思想を強く感じさせるという点が問題 視されたという経緯があると伝えられている。また、「発売直前に北朝鮮系の朝鮮総連から 「歌詞が原詩と違い、正しい意味を伝えていない」」といった意見や、「「(作者不詳とされ ていたが)北朝鮮の歌であり、れっきとした作者もいるので、明記するように」とクレー ムがつき、諸般の事情から発売が中止された」という経緯もある。しかしながら「イム ジン河」をめぐる騒動では、噂話や憶測が交錯しており、クレームをつけたのは北朝鮮側 ではなく、韓国政府からであったという説や、外交問題を考慮して日本政府(内閣調査室) がその発売を禁止するようにレコード会社に要請したという説もある。これらの説はいず れも信憑性が薄く、森達也氏自身も「真相は未だに僕にはわからない」とも語っている。
 なお、「イムジン河」という作品は自主製作アルバム『ハレンチ』(インディーズ作品) に収録されていたものを、メジャーデビュー第 2 弾として発売しようとしたものであった が、放送禁止扱いになると同時に、「レコード製作基準」(通称「レコ倫」)の「国際親善条 項」に抵触したとして、発売中止の扱いも受けている。フォーククルセダーズというグ ループはこの後に「悲しくてやりきれない」という楽曲を発表しているが、レコ倫による 発売中止措置や放送禁止措置に対抗して、「 イムジン河」の曲の最後から頭の部分へと逆方 向に譜面をおこしたものが「 悲しくてやりきれない」の メロディであると伝えられている。 さらにこの曲のタイトルの由来は、「イムジン河」を発売できなかったときのやるせなさか らきているという説もあり、歌謡曲規制に対する歌手側の不満の大きさが分かるエピソー ドであると言えるだろう。
 
「イムジン河」発売自粛の理由(ウィキペディア)
この曲はもともと北朝鮮では有名な曲で、松山やメンバーらの考えていたような民謡ではなく、高宗漢の作曲、朴世永の作詞によるものであった。オリジナルの曲では、主人公は臨津江を渡って南に飛んでいく鳥を見ながら、1番では臨津江の流れに対し、なぜ南の故郷へ帰れないのかを嘆き、2番では臨津江の流れに対し、荒れ果てた「南」の地へ花の咲く「北」の様子を伝えてほしいと思いを託す内容である。松山の歌詞では、北の幸せさに対し南を哀れむもともとの2番の歌詞は、分断に対する疑問を訴える歌詞に変わっており、まったく異なる物となっている。さらに松山の歌詞には、オリジナルにはない3番がある。
東芝音楽工業に対し朝鮮総連は、これが北朝鮮の歌であることと作詞作曲者名を明記すること、原詞に忠実に訳すことを求めていた。後者に関しては、洋楽の日本語訳詞でも原詞と完全な一致はしない物も多かったためあまり問題ではなかったものの、レコード会社は国交のない北朝鮮の名を出すことを躊躇し、大韓民国も北朝鮮の曲が日本国内でヒットすることを望まなかったためレコード会社に圧力をかけ、結果発売自粛となったようである。また、東芝音楽工業の親会社の東芝が大韓民国内での家電製品のシェア拡大に悪影響を及ぼすことを恐れたため圧力をかけたという説もある。
2002年の再発の際にも、原盤を制作したフジパシフィック音楽出版(制作当時パシフィック音楽出版)社長の朝妻一郎(現会長)が原盤権を譲渡していた東芝EMIに発売を持ちかけたが了承せず、フジパシフィック音楽出版が原盤権を取り戻し、アゲント・コンシピオから発売にこぎ着けたという。