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主要著書概要

1926(大正15)年

225

茂山鉄鉱開発株式会社専務取締役津田利機、子爵松平直敬長女初子の長男として、東京都港区南青山に生まれる。

1930(昭和  5)年

5

父の転勤により北九州(戸畑)に転居。

1932(昭和  7)年

4

福岡県私立明治学園小学校入学。

1938(昭和13)年

4

福岡県立戸畑中学校入学。

1939(昭和15)年

4

東京都私立成城中学校第3学年に転入学。

1943(昭和18)年

4

官立弘前高等学校理科甲類(天文学)入学。

1947(昭和22)年

4

高等学校卒業。 父の財界戦犯指定により、茂山鉄鉱開発株式会社に就職。

1949(昭和24)年

4

前年に大塚久雄教授の著書に出会い復学を志し、東京大学経済学部に入学。 1年から高橋幸八郎教授のゼミ、後に大塚久雄教授のゼミに参加、欧州経済史を学ぶ。

1952(昭和27)年

3

東京大学経済学部卒業。

1952(昭和27)年

4

東京大学経済学部特別研究生に採用、専攻を工業経済論に転じ、隅谷三喜男助教授に師事。

1954(昭和29)年

4

東京大学経済学部助手に採用、労働問題調査会に参加、大河内一男教授、氏原正治郎助教授に師事。西田長寿氏(東大明治新聞雑誌文庫)、江口英一助教授(専修大学)の下で都市における貧困形成に関する調査、藤田若雄氏(東大社研)の下で石炭鉱業労働調査などに当たる。

1957(昭和32)年

4

東京大学助手退官、同大学フォード財団労働運動史料委員会主任研究員に採用。隅谷三喜男教授、岸本英太郎教授(京都大学)、川田寿教授(慶応大学)らと労働運動史料の編集と作成にあたる。

1958(昭和33)年

4

武蔵大学経済学部専任講師に採用(経営労務論)。

1959(昭和34)年

11

初めての単行本『勞働問題と勞務管理』をミネルヴァ書房より刊行。

1960(昭和35)年

4

武蔵大学経済学部助教授となる。

1960(昭和35)年

 

大河内一男教授を団長とする労使関係視察大学調査団の一員として渡米。米国の労働組合に関する資料、文献などを収集。

1961(昭和36)年

11

山崎帝国堂社長竹内昇長女あけみと結婚。

1962(昭和37)年

3

東京大学より大正9年学位令による経済学博(旧制)の学位を受ける(「現代アメリカ労働 組合の構造」)。

1962(昭和37)年

7

米国イリノイ州立大学産業関係研究所員に採用。米国労働組合の構造や歴史について研究。

1964(昭和39)年

8

帰国。武蔵大学経済学部教授となる。

1965(昭和40)年

4

名古屋工業大学経営工学科非常勤講師兼任(労務管理)(昭和62年度まで担当)。

1967(昭和42)年

4

一橋大学社会学部非常勤講師兼任(労務管理)(昭和44年度まで担当)。

1968(昭和43)年

4

中央大学経済学部教授となる(労務管理)。

1970(昭和45)年

4

一橋大学社会学部教授となる(労働問題)。

1970(昭和45)年

6月

東京地方最低賃金審議会・家内労働審議会公益委員に任命。

1975(昭和50)年

10

日本生産性本部が派遣した「欧州経営参加労使研究調査団」の団長としてイギリス、スウェーデン、ノルウェー、西ドイツなどを調査。

1977(昭和52)年

4

『日本的経営の論理』を中央経済社より刊行、その後、『現代経営と共同生活体−日本的経営の理論のために』(同文舘、1981年)、『人事管理の現代的課題−日本的経営の理論のために』(税務経理協会、1981年)、『日本的経営の人事戦略』(同文舘、1987年)を日本的経営に関する四部作として刊行、学界、実業界より高い評価を得る。

1982(昭和57)年

3

イタリア・ミラノ国立大学経済学部客員教授(日本経済論担当)。6月帰国。

1983(昭和58)年

3

オーストラリア・グリフィス大学アジア研究学部客員教授(日本経済論担当)。6月帰国。

1983(昭和58)年

8

筑波大学社会工学系大学院非常勤講師に併任(経営学特論)。

1984(昭和59)年

2

労働省政策調査部「人事労務管理研究会」座長に就任。

1985(昭和60)年

2

人事院「生涯給与問題研究会」座長に就任(昭和624月まで)。

1985(昭和60)年

6

中央家内労働審議会(労働省)公益委員に就任。

1986(昭和61)年

6

中央最低賃金審議会(労働省)公益委員、会長代理に就任。

1986(昭和61)年

12

一橋大学より社会学博士の学位を受ける(日本的経営の論理)。

1987(昭和62)年

2

津田ゼミ卒業生、在学生の生活体験、主張などをまとめた『新世代サラリーマンの生活と意見』を東洋経済新報社より刊行。

1987(昭和62)年

4

青山学院大学国際政治経済学部非常勤講師を併任(国際経営労務論)(昭和63年度まで)。

1988(昭和63)年

6

中央家内労働審議会会長、中央最低賃金審議会会長に就任。

1989(平成 元)年

3

一橋大学教授を定年退官、4月名誉教授の称号を贈られる。

1989(平成 元)年

4

青山学院大学国際政治経済学部教授となる。

1990(平成  2)年

5月24日

妻あけみ交通事故で逝去。

1992(平成  4)年

5

失意の中で、日本人の「こころ」の問題を取り上げた『人工化社会と電脳文化』を有斐閣より刊行。

1994(平成  6)年

3

青山学院大学教授を退任。

1994(平成  6)年

4

青森公立大学経営学部教授となる。

1994(平成  6)年

4

経営風土、経営文化に関する集大成として『日本の経営文化』をミネルヴァ書房より刊行。

1997(平成  9)年

4

青森公立大学大学院経営経済学研究科長に就任。

1999(平成 11)年

3

青森公立大学教授・大学院経営経済学研究科長を退任。

2001(平成 13)年

4

青森公立大学より名誉教授の称号を贈られる。

2003(平成 15)年

3

最後の著作となる『日本的経営の原点』を生産性出版より刊行。

2005(平成 17)年

92

肺炎のため逝去。 享年79歳。

2005(平成 17)年

930

従四位瑞宝中授章受章。