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湧口 清隆さん
今回は第7期、HEC経営大学院派遣生で、現在相模女子大学人間社会学部准教授の湧口清隆さんにお話を伺いました。
留学経験からご自身の研究まで幅広くお話しいただきました。
【湧口 清隆さんの略歴】
1991年4月 一橋大学商学部入学
1993年9月-1994年6月 フランスHEC経営大学院に交換留学
1994年6月-9月 SNCF(フランス国鉄)にてインターンシップ
1995年3月 一橋大学商学部卒業(山内ゼミ)
1995年4月 一橋大学大学院商学研究科修士課程入学
1997年3月 同修了
1997年4月 同博士後期過程入学
2001年3月 単位取得退学、一橋大学で「博士(商学)」取得
2000年4月-2004年3月 国際通信経済研究所 研究員
2003年4月-2004年3月 九州大学大学院比較社会文化研究院 客員助教授
2004年4月-2008年3月 相模女子大学学芸学部人間社会学科 専任講師・助教授
2008年4月-現在 相模女子大学人間社会学部 社会マネジメント学科長・准教授
<留学時代>
Q. HECに交換留学された経緯をおしえてください。
A. 観光やマーケティングを勉強したかったことに加え、山内ゼミに所属しており、交通に興味を持っていたので、
鉄道大国フランスでインターンシップをしてみたいという思いがありました。
もともと一橋に入学する前から留学制度の存在は知っていて、入ったら絶対この制度を利用しようと考えていました。
ただ、やる気はあったけど、語学力はまだそんなになかった。
フランス語は中3から第二外国語で週2時間習っていたのですが、当時のフランス語力は100点満点の20点くらいのものでした。
フランスだと普通、満点が20点なもんですから、フランス人に20点だった、というと満点じゃないか、と誉められるのですが、100分の20だと説明して大笑いされました。
大学の留学試験を受けた時、他の受験者はフランスからの帰国子女や、フランス語を第一外国語として勉強していた人で、これはだめかなと思ったのを覚えています。
結果的には自分のやりたいことを話したら、如水会派遣の枠で行かせてもらえることになりました。
Q. 留学中、SNCF(フランス国鉄)でインターンシップをされていたそうですね。
A. 留学のプログラムの最後にインターンシップがあって、留学生はやってもやらなくても良かったのですが、
せっかくの機会だ思い、SNCFの貨物局で2ヶ月半くらいインターンシップをしました。
担当した仕事は国際鉄道貨物運賃の調査でした。フランス-イタリア間の車両単位の運賃がどうしたら市場にマッチするようになるか調べる仕事で、
今度はイタリア語の書類も出てくるので、辞書を引きながらやっていました。
貨物運賃は物に応じて運賃の調整が必要なのです。重さで運賃を決めてしまうと、軽いが高価な機械などを運ぶ時、儲けがとれない。
木材や砂利は重いのですが、もとの物の値段が安いので、運賃が高額だとそれを負担する能力がない。
このような事態を調整するために、当時フランスでは運ぶ物に応じて30数種類の料金表がありました。
重い物は意図的に運賃を安くし、機械などの軽いが高価な物は運賃をつりあげる。ただ新しいものにいちいち料金表を設けるのは面倒で、処理にも時間がかかる。
このような運賃計算に対して、容積による計算法や、割引率の適用の提案をしました。
その後、半年程働かないかという話ももらったのですが、大学院を受験しようと思っていたので、後ろ髪を引かれる思いで帰国しました。
<研究への道へ>
Q. その後大学院に進まれて、博士号を取得した後、研究員になられたのですね。
A. 大学院修士過程では公共事業、特にテレビについて研究し、テレビ放送の経済学で論文を書きました。
博士課程ではまた交通論の研究に戻り、青森県の津軽地方の集落で地元住民がお金を出し合ってバス輸送を導入した事例について調査しました。
博士号を取得した後、修士時代にテレビに関する研究をしていた縁で、国際通信経済研究所(現マルチメディア振興センター)の研究員として採用されました。
海外の電気通信、情報に関する政策、事業動向をしらべるという仕事でした。具体的には電波利用の海外調査の案件を担当しました。
当初は興味のなかった分野なのですが、考えてみれば携帯電話もテレビも電波を使用しているわけで、全ての分野にからむ所です。
Q. 電波の利用調査とはどのようなものですか?
A. 電波利用について問題となるのは、その使用権を誰に割り当てるか、という点です。
昔ホリエモンがテレビ局を買収しようとしたのは、もともとテレビに使える電波の量は決められており、
その使用権は各チャンネルに割り当てられているため、いきなり自分で始めようと思っても参入の余地がないからなのです。
私が調査を担当しだした2000年頃は、ちょうど携帯電話や無線LANが伸びて来た時代で、電波の需要が高まっていた時期で、
どうすれば電波を有効に割り当てることができるかが大きな問題となっていました。
ヨーロッパでは、この割当をオークションで行うことが一般的になってきました。配る電波が限られているとなると、必然的に値段が上がっていく。
イギリスやドイツでは一つの免許が一兆円くらいで売買されていました。
このオークション方式を日本にも導入すべきなのだろうか、電波利用の対価をどのように決めようか、という議論があって、
調査をすすめ、その政策決定に関係するようになりました。
Q. 調査で再びフランスにも赴かれたそうですね。
A. 電波の割当に関して、フランスも重要な調査対象でした。
調査当時のフランスはまだオークション制度を採り入れていなくて、日本と同様、国が全て割り当てを行っていました。
すなわち電波利用料はフランスでも法律もしくは政令・省令で決められており、
これをフランスの規制機関や省庁の人に調査しに行くのですが、なかなか答えてくれないんです。
そこで一橋図書館に入っているフランスの官報を20年分くらい徹底的に調べて制度の推移をおさえ、自分の調べた結果を提示したり、
理論的にはこういう発想があるといったことを提示すると、相手方の記憶や考えを導き出すことができ、先方も答えてくれるようになりました。
また、HECで知り合った東大出身の日本人女性の方の旦那さんが偶然にもフランス財務省のテレビ受信料の制度設計の専門家で、
そのツテでコンタクトを取れたこともありました。
このような方法で海外の情報も集めながら調査をしていたのが、4年間研究所にいた時の仕事で、非常に面白みを感じていましたし、
官報や政策の報告書を読み漁る中でフランス語の力は飛躍的に伸びたと感じています。
一橋で勉強したときはあくまでも理論が中心となっていましたが、研究所で生のデータを扱う現場を経験するという意味で非常に勉強になりました。
また、調査で年に2、3回フランスに行く機会はあり、3、4日程度の短い滞在ではあるものの、
空いた時間にオルセーに行ったり、コメディー・フランセーズでお芝居を見るといった楽しみもありました。
お芝居鑑賞はフランス語の耳慣らしも大きな目的です。ヒアリング前日に3時間くらいフランス語を聞いていると、会話が楽になりますよ。
それに、フランスの役所の幹部の多くはグランゼコール出身ですから、話を円滑に進めるためには文化的な話題も必要です。
Q. その後相模女子大学へ移られていますが、何かきっかけがあったのですか?
A. 2004年春から現職の相模女子大学に就いています。
研究所だと通信の分野しかできない一方で交通分野もやりたいと考えていて、
どこかの大学にポストがないかと思い教員採用の公募に出していたら、たまたま縁があったのが相模女子大学だったんです。
Q. 大学で教える立場になると変化がありましたか?
A. 例えば電波の世界は目に見えないものを扱うので、分かりやすくどうやって教えるかという課題があります。
研究の時はとことん自分で調査の世界にのめりこんでいけばいいんですが、
教える立場になると、定められた授業の時間に合わせて仕事をしなければならないという縛りが生まれてくるので動きづらい面もあります。
また、研究所では携帯や無線LANといった最先端技術に関係する分野でのスペシャリストとして研究していたのですが、
大学では経済学全般を担当しなければならなくなり、ある専門分野の先端部分にいた専門医が、急に町医者になってしまったような感覚でした。
ただ町医者には、「ジェネラリスト」でなくてはいけない、つまり何でもできなくてはならないという面白みがあります。
例えば、電波の世界に関して言えば、通信や放送などの個別の政策や技術について詳しいことも重要なのですが、
それを使う人にまで目線をやると、そこにありとあらゆる人がいます。
電波政策の専門家というのは、これらの人がどういう状況でどのように電波を使いたいのかまで把握せねばならず、
よって「ジェネラリスト」である必要もあるのです。
自分は「放送」しか知らないとなってしまうと、「携帯」や「データ通信」といった分野、もしくはコンテンツ制作や著作権といった話への配慮も薄くなってしまう。
それぞれの分野においてすごく詳しくはなくとも、ある程度の知識を持ち合わせておかなければならないのです。
大学に来てこの「ジェネラリスト」の面白さを改めて認識しました。
<キャリアと留学について>
Q. もともと博士課程まで進まれた理由、そして研究者としての道を目指した理由はなんだったのでしょうか?
A. まず学部だけでは勉強が足りないという思いがありましたし、
フランスでは「Bachelor(学士号)+いくつ」、つまり学士号以上の学歴年数がいくつあるかで評価されるという発想があります。
HEC(BAC+5)で交換留学している際に、周りの学生の就職活動やインターンシップを見ていて、
やはり最低でも修士課程は経ないといけないし、そういった学士号+αの部分を大切にしたいという発想に行き着きました。
よって、少なくとも修士課程は行きたいと思ったし、できれば博士後期課程まで行きたいと考えていました。
また、ある程度研究できる立場に立ってから社会に出ると、いろんな面白いことができるのではないかと感じたんです。
Q. 大学院に行かれる方は大学院に行った後のキャリアをどのようにとらえているのですか?
大学院を出た後に仕事がないという恐れもある中で、大学院が終わった後に自分がどうなるかわからないプレッシャーというものを感じているのでしょうか?
A. 就職率の低い研究科に属している人ほど不安は感じるでしょう
。研究生を見ていると、あの人はもう30なんだけどまだ非常勤講師の授業が週一コマとか二コマしか入っていない、
などという人が沢山いるわけで、プレッシャーはあると思います。
じゃあそれでもなぜ大学院に行くのですか、というと、「勉強が好きだから」っていうのは僕は半分は当たっているけど半分は違っていると思う。
多分、アーティストと同じなんですよ。あることにすごく興味を持っていて、それを徹底的に明らかにしてみたいという部分があるんですよ。
だから逆に、それこそ映画を撮っている人なんてそんなみんな大金持ちになっている訳ではないでしょう?
とにかく自分はこういう作品をとりたいんだと言って徹底的に突き詰めてしまうのと同じで、
自分はこういったところに関心を持っていて、この真理を明かしたい!って思うところがあるからだと思うんです。
自分の問題意識へ向ってどんどんどんどん入っていく、それがやはり研究者の世界なんだと思います。
Q.HEPSAのインタビューは留学をこれから考えている人が読むことが多いのですが、そのような方にアドバイスや助言があればお願いします。
A. 留学に行くということは全然違う世界を見られるという、面白いきっかけになり、日本と自分の行った国、またはおかれている環境との比較をすることになります。
そのときに相手の国が全く違うと諦めきるのも、じゃあ全部どうかしてしまおうと思うのも良くないと思うんです。
両方適当に距離をとって、相手国の文化、生活を楽しむ余裕を持てば良いと思います。自分はこれだけ勉強しに行けば良いのだ、というのではいけないと思うんです。
ある程度生活を楽しむ余裕を持つべきだと思う。
これはヨーロッパやアメリカへ行く人たちとアジア系に行く人たちで違うと思うんですが、
欧米の文化って何に価値をおいているかというと、余裕という意味での遊びの部分なんですね。
変な例を挙げると、日本人は飛行機に乗ってビジネスクラスに乗ると、
発想としては、すごく椅子がよくて、ベッドになって、機械がうまくついていて、なんでも自分が思うように動くと考えるかもしれないけど、
欧米の発想では、時間とか空間にゆとりがあるんですよ。
要するに椅子が完全にベッドにならなくてもかまわないわけで、一人当たりがとれる空間というのが広い、そういうところに価値を見いだしている。
空港にチェックインするときにもビジネスクラスの人はギリギリに来ても乗れる、だからそれまで自由に使えるという時間に価値を見いだしている訳ですね。
結局時間だとか、空間だとかそういうところに価値を見いだすのが欧米の文化であり、ゆとりの部分なんです。
逆に文化というのはそういった遊びの部分から生まれてくるわけです。
そうすると自分が留学して勉強するときに、自分はこれしかやらないと言って、そればかり進めてきたとしたら、
遊びの部分がなくなってしまって、せっかく行ってるにもかかわらず何も見られずに帰ってきてしまう。
極端なことを言うと、これだけ情報化が進んでくると、海外の本だって情報だってネットでどんどん入ってくる訳だから、当然日本で学べる訳です。
それでもなぜ向こうに行く価値があるのかと言うと、やはり現地の人たちと話したり、一緒に行動したりして打ち解ける、というゆとりの部分があるからこそなんです。
大いに遊んでこいというと語弊があるけれど、やはり幅広く眺めてくると良いと思います。
そのためには向こうの人たちと話をするときに、こちらが話すネタを持っていなきゃならない。
ということは留学に行く人たちっていうのは日本のことをよく知っておくべきだということなんです。
当然向こうの人が気になるのは、日本人ってどうしてこんなことするのとか、日本人ってどうしてこうなのとか、
そうした人が当然多くなってくる訳だからそれに対して自分で体系的に答えられるような、知識というと語弊があるんだけど、
自分なりの解釈、というのを持っておく必要性がありますね。
Q. 今後のご自身の人生プランについて、教育、研究、社会貢献に三分の一ずつ力を注ぎたい、とのことですが、
社会貢献の形として何か具体的に思い描いていることはありますか?
A. 自分が勉強してきたことを世間に発表して、それを世間の役に立つことにつなげられたらいいなと思っています。
例えば、どうしたらアーティストの人たちの生活とクリエイティブな部分を両立できるのか、そのための仕組みをどうやって作っていけるのかというところに貢献したいだとか、
あるいは電波の話にしても飛行機の話にしてもそうだけど、もっとみんなが自由に電波を利用したりだとか、飛行機で動きやすいような環境ってどうやってできるんだろうとか、
という仕組みづくりに貢献できたらいいなと思います。
湧口さん、インタビューへのご協力ありがとうございました。
自分の興味をとことん突き詰めよう、という一貫した意志を貫く姿勢がとても素敵でした。今後ますますのご活躍をお祈りしております。
インタビュー実施日 2010年1月10日
インタビュアー
経済学部4年 坂井大地郎
社会学部4年 青木杏奈
社会学部4年 平出亮輔
編集・文責 社会学部4年 青木杏奈
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