直線上に配置

JMC2012海外遠征報告

 

日本〜韓国・アジアハイウエー1号線を走る

 

 

 JMC如水モータークラブ

(一橋大学自動車部OB会)

AH1韓国プロジェクトチーム

 

    プロローグ

 

1.     アジアハイウェイ1号線(AH1)JMC遠征隊

 

2.     JMC遠征隊の足どり

 

3.     AH1の標識・・・日本国内と韓国内との設置状況比較

 

4.韓国の道路事情・交通事情

 

5.韓国のカーナビと交通マナー

 

6.現代自動車蔚山工場を見学

 

7.ソウルから板門店

 

    エピローグ

 

(1)          如水会ソウル支部・韓国総同窓会との懇親会

 

(2)          セマングム大防潮堤

 

(3)          豊臣秀吉の朝鮮出兵とアジアハイウェイ

 

 

 

 

 

    プロローグ

 

 9月に入ったとは言え東京はまだ残暑が厳しく、蒸し蒸ししていた。   

201298日午前8時、土曜日にも関らず東京日本橋の上の交通量は少なくはなかった。

そんな中、遠征隊7人を乗せたトヨタの8人乗りエスティマは日本橋を後にして、快調に滑り出していった。

運転しているのはキャプテンの石垣(JMC・OB)、同乗者は冨岡・早乙女・藤井(いずれもJMC・OB)

(現役自動車部)、それに博多港までの国内班の浅井(JMC・OB)と 東(現役自動車部)である。

隊員相互の年齢幅は大きいが、車内は学生時代の遠征合宿を思い出すような雰囲気を醸し出していた。

首都高速環状1号線の江戸橋IC入ると、すぐに日本橋の道路元標に併設されたAH1の標識      を発見し、走りながらカメラに収めた。  このあと遠征隊は東名高速・名神高速・中国自動車道・山陽自動  車道を走り、博多港迄AH1の標識を追いかけながら、アジアハイウエー1号線をなぞって行くのが     今回の目的の一つであった。

フェリーで釜山港へ渡った後は、ソウルまでの高速1号線つまりAH1をひた走りだが、その間に     現代自動車蔚山工場見学や、世界遺産、共同警備地域(JSA)・板門店の軍事境界線まで、興味深い所を訪問することも、今回の遠征プロジェクト計画書の中に、多々盛り込まれてあった。

 AH1は東京から博多を経由して釜山に渡り、陸路は慶州などいくつかの都市を通って、ソウルに至る。

更に韓国と北朝鮮との境界線の板門店迄続くのだが、現在は北朝鮮内は通行不可能である。

結果的には、今回は板門店で折り返し、帰路はAH1以外のいくつかの国道を走りながら釜山迄戻った 訳だが、韓国内の要所要所で韓国というものに直に肌で接することが出来たことは、遠征隊員の各々の  胸の中に、色々な意味で大きな収穫を残したのではなかろうか。

                                       

 

1.     アジアハイウェイ1号線(AH1)JMC遠征隊

 

(1)今回の遠征隊は、一部メンバーが入れ替わっているものの、3度目の海外遠征である。

200811月、オーストラリア大陸南北縦断走破達成(ダーウイン〜シドニーまでの約6,200km)

昨年20112月、メコン経済回廊プロジェクトでは、タイ・カンボジア・ラオスの3国内を走った。

その際に一部分ではあるが、東西回廊・南北回廊の中にアジアハイウエー1号線や2号、12号、16号線

を走っていたのであった。           

 

 

(2) アジアハイウェイは、アジア32か国を通過する55ルート、全長14万kmの国際幹線道路ネットワーク であり、国際インフラとしての重要な役割を担っている。 2004年国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)総会の閣僚級会合で、日本をはじめとする関係23か国により、AH政府間協定として調印され、国際的道路計画に上げられた。

 

 

(3)            アジアハイウェイ1号線(AH1)は、55ルートの一つであり、総延長20,710kmとアジアハイウェイ  

の中で最も長い路線である。  東京を起点として大韓民国(福岡からフェリーで釜山につながる)、    〈北朝鮮〉、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミヤンマー、インド、バングラデシュ、インド、パキスタン、   アフガニスタン、イランを経由してトルコ・イスタンブールに至るルートである。 東アジア経済圏の主要な  都市がカバーされている。 AH1の最西端都市はイスタンブールだが、厳密には更に西に250km下っ  たブルガリアと国境を接する都市カピクレである。 そこが終点である。 トルコ国内では欧州自動車道路   E80と重複しており、このE80がブルガリア国内に接続している。

AH1が東京まで延伸されたのは、日本政府がそれまで消極的であったため、2003年11月になって    からのことである。

 

 

(4)            今回、JMCの遠征隊はAH1・ファーストステージとして、「日本〜韓国プロジェクト」を企画・実行し 

9月8日に東京・日本橋を出発し、9月16日の朝に釜山金海空港の出発ロビー横に車両を返還する    まで、総合計約3,000kmを走破したことになる。  (日本国内;1,150km、 韓国内;1,840km)

 

 

(5)今回のAH1韓国プロジェクト参加隊員名は以下の通り。

No

参加隊員

     歴

  今回

  備考

1

根本 敏則

一橋大学大学院教授・自動車部顧問

ソウルにて参画

 

2

石垣 禎信

JMC・OB 昭和44年卒

全行程参画

オーストラリア・メコン共に参画

3

冨岡 敏明

JMC・OB 昭和45年卒

同上

オーストラリア・メコン共に参画

4

早乙女立雄

同上

同上

オーストラリア・メコン共に参画

5

藤井 正夫

同上

同上

オーストラリア・メコン共に参画

6

浅井 雅昭

同上

日本国内参画

オーストラリアに参画

7

洪 淳 昌

自動車部部員・一橋大4年生

全行程参画

韓国からの留学生

8

東 直 樹

自動車部部員・一橋大3年生

日本国内参画

自動車部キャプテン

 

 

 

 

2.JMC遠征隊の足どり

 

(1)第1日目(9/8)

  水天宮T-CAT内のトヨタレンタカーで、エステマ8人乗りを借りる。本日は、首都高環状1号   

 線の江戸橋ICから東名高速に入る。その後はAH1の標識を確認しつつ、カメラに収める。

 名神高速、中国自動車道、山陽自動車道を走行し広島県廿日市市までの880kmの行程。

                         

(2)第2日目(9/9)

  本日の予定は厳島神社(世界遺産)を見学、参拝してから、山陽自動車道、中国自動車道、九州自動車道を走り福岡の博多国際ターミナルに向かう268kmの行程。 

           

(3)第3日目(9/10)

本日はプサン港と、一部操業をはじめているプサン新港を見学、巨加大橋(コガデキョ)でUターン、釜山市内にもどりAH1を走行し、蔚山(ウルサン)にある現代自動車の主力工場を見学。

その後慶州(キョンジュ)の世界遺産である仏国寺(ブルグクサ)と石窟庵(ソックラム)を見る盛り沢山の行程。本日は270km走る。     

 

(4)第4日目(9/11)

   今日は慶州歴史地区遺跡(世界遺産)を見学し、AH1にもどり大邱(テグ)、大田(テジョン)経由、天安(チョナン)の独立記念館を見学、17時頃ソウル市内に着き、18時から如水会ソウル支部、一橋大韓国総同窓会の方々と交歓会の予定。本日の走行距離401km。           

 

(5)             5日目(9/12)

   本日は、ソウル市内の景福宮(キョンボックン)、昌徳宮(チャンドックン) (世界遺産)、宗廟(チョンミョ) (世界遺産)を回り、郊外の水原華城(スウォンファソン)(世界遺産) を見学、ソウルに戻りソウル高速バスターミナルを見て、鷺梁津(ノリャンジン)水産市場で夕食。本日は105km走る。   

 

(6)             6日目(9/13)

   本日は、AH1そのものがソウルから板門店を経由してピョンヤンに向かっているため、専用のバスツアーに参加して、非武装地帯(DMZ)のゲート内に入り、板門店の共同警備区域(JSA)のぎりぎりの所まで行く(個人では板門店には行けない)。  その途中、都羅展望台から北側を眺め、最北端の駅・都羅山駅や第3トンネルなどを見学。本日は専用バスで走ったものの、自分たちの車はホテルの駐車場。

 

(7)             7日目(9/14)

   本日はソウルから120km南の百済の古都・公州および百済最後の都・扶余(プヨ)を見学してから、ギネスブックに登録されている世界最長(33km)の防潮堤・セマングム防潮堤を走行し、木浦現代ホテルまでの韓国西海岸を縦断する行程。本日の走行距離370km。

 

(8)             8日目(9/15)

 今日は現代ホテルからすぐのところにある霊岩(ヨンナム)サーキットを見て、天童よしみの歌で日本でも有名になった珍島(チンド)に行き、Uターンして万博のあった麗水(ヨス)に立ち寄り、世界遺産の海印寺(ヘインサ)を見学し、グランドホテル大邱(テグ)までの行程。 本日の走行距離586km。

 

(9)             9日目(9/16)・・・最終日

今日は100km先の金海(キメ)国際空港までのドライブ。 6時50分ドライバー洪君でホテルを出発。    8時空港着。 本日走行距離は、106km。  空港にてレンタカーを返却し、10時50分発KE715便で     成田へ。  定刻どおり12時55分成田着。  全員無事に帰国。成田空港にて解散。                             

 

 

3.AH1の標識・・・日本国内と韓国内との設置状況比較

 

(1)                日本国内

 東京・日本橋から福岡・博多港までの約1,108kmにわたるアジアハイウェイ1号線の中で、AH1

の標識は、国交省の公表データ(2010年現在)によると、既設のものと今後設置予定のものとの合計

が18個となっている。片道だけでは9個あるはずである。最初の標識は、日本橋の1号線の起点

に、日本橋道路元標の看板の下に、AH1 ASIAN HIGHWAYを確認した。

 途中、道路の上の標識板や左右のポールに掲示してあるのを見て行った。設置してあるはずの予定の所にはなかったり、思わぬところで発見したりで、カメラチャンスを逃したものが多かった。 設置数も思いの外少なく、不規則であるとの印象であった。しかし、福岡市内に入り、博多港に近づくに従い、大きな標識が目につくようになった。 

                

国内のアジアハイウェイ1号線の標識

 

(2)                韓国内

   日本国内のパラパラな消極的設置に比べると、韓国内の道路にはAH1の標識は極めて多く約20km

前後か、大きなジャンクション毎には必ず見つけることが出来る。   頻度は日本の10〜20倍といったところで、あたかも高速道路とAH1はいつもセットであるような印象を受ける。

更に一般の人には「AH1」の表示だけを見ても何もわからないが、実は1号線が通る主要国を書いた大型標識を見ることが出来た。

                              

以上のように、標識の数や種類からみても日本と韓国とでは、アジアハイウェーに対する意識や取り組み姿勢に大きな差があるのではないかと考えざるを得ない。 

 

3)はたしてこの違いはどこからきているのだろうか?

    AH1の日本の起点・日本橋から九州博多までと、釜山からソウル、板門店までアジアハイウェイ1号線を走ってみて、AH1の標識の設置状況一つ見ただけでも、日本と韓国の意識の違いなどをかいまたような感じがした。

  この違いは何を意味するのだろうか? 隊員の一人石垣禎信は、想像を更に巡らせている。

彼の考えからすると、国としてグローバルおよびアジアへの意識の違いからきているのではないか。

韓国のこの10年の発展は、グローバルおよびアジアへの政治・経済戦略の集中と努力の成果と  考えると、一般国民が利用する道路標識も、この戦略を国民に意識させ浸透させる一つの手段と考えても可笑しくない。特に好奇心と吸収力の高い若い人に与える影響はさらに大きいものと思う。有り余る留学生枠を消化出来ない日本の若者と、高校は当たり前で、中学から留学させるのが最近の韓国の親の目標とまで言われる韓国事情との違いの背景に、この道路標識の取り組みに意識の違いがあるのではないかと、かなり強引に結論づけている。

   更に、AH1道路標識設置に消極的な日本の状況から想像するに、今の元気のない日本に一番

必要なものは、「国家戦略の明確な意識と表現」であると言ってもいいのではなかろうか?

 

 

 

4.韓国の道路事情・交通事情

 

(1)                最近の道路事情

隊員の一人藤井正夫は、韓国に初めて訪れた41年前から仕事の関係で約20年間道路事情を   見てきたが、今回約20年ぶりに訪韓して見た韓国の実情があまりにも大きく変貌していることに、    驚きを隠せないのであった。

 1970年代には京釜高速道路(1号線)の一部は既に完成済みで、朝鮮戦争後の軍事的備えもあって、一朝有事の場合には、戦闘機が高速道路を滑走路代わりに発着できるように、幅広く作ってあった。 中央の分離帯の壁は、相手車線のライトが目に入らぬ程度の高さに揃えてある。 しかも樹木のよう  なものは一切植えられていない。

しかし、当時、自動車専用道路の数はさほど多くはなかったが、現在は大都市周辺の高速道路は  4〜6車線と幅広く、東海岸側を除く津々浦々には高速道路、自動車専用道路、舗装された一般道路 が建設されている。韓国内の自動車での移動が迅速かつ効率的に行われるような道路網が整備され、今や韓国は欧米先進国に引けを取らないモータリゼーションの発達した社会に変貌しているようだ。

日本は国中に鉄道網が整備され、貨物輸送以外の人の長距離移動には鉄道や航空機が好まれ  ているが、韓国は相対的な移動距離は短いが、道路の広さや高速道路等へのアクセスの利便性等  が高い。 韓国は米国に近い交通インフラが整備された車社会になっている。

 

(2)コンクリート舗装

高速道路は殆どがコンクリート舗装で走行時に騒音が大きいのは、アスファルト舗装の道路走行に 慣れた日本人にはちょっと気になる処だ。然しながら、完成してから40〜50年経過したような古い  道路は殆どないようだし、実際に走行してみると道路のメンテ状況は良好であるとの印象であった。     

                                    

(3)スピード違反のための監視カメラとスピード・バンプ     

高速道路にはスピード測定用監視カメラが相当数設置されているが、ドライバーはナビからカメ   ラ設置箇所を正確に知ることができるので、全車がカメラ設置箇所で制限時速内のスピードにスロー ダウンして違反を免れている。

また、韓国の道路には至る所にスピード・バンプやイメージ・バンプがあって、運転中危険な箇所で はいやでも走行スピードを落さざるを得ぬような仕組みになっており、ドライバーにとっては多少    不愉快ではあるがスピードの出し過ぎによる重大事故を未然に防ぐには、大いに有効な手立てと   思われる。 住宅街や狭い道で通学途中の児童の人身事故がよくある日本でも、色々議論はあろう がこの方法を速やかに取り入れたら良いのではないだろうか。             

 

(4)   大都市周辺の大渋滞

 韓国の自動車登録台数は、1,843万7千台(2011年12月末現在)で、年々増加し続けている。  

全国に張り巡らされた道路網が将来これにうまく対応して行けるのだろうか。現状では、韓国の  大都市周辺はかなりの渋滞が日常茶飯事のようで、日本の道路と比較すると広い道路であるにも拘らず道路が急増する自動車に対応しきれておらずパンク状態である。一方、地方では舗装された立派な一般道で我々遠征隊の車以外に前方には一台も車が走っていないような箇所もあった。

                                         

(5)          バス優先走行車線等

  韓国の高速道路を走行する車両の種類は、日本の軽自動車クラスは殆ど見かけず、セダン型乗用車、SUVが多く、しかも中型・大型が中心で、走行するバス(路線、長距離及び観光バス)の 比率も高い。 勿論、トラックも少なくないが道路の右側の車線を比較的おとなしく走行している  車両が多かった。 また、韓国では高速道路でのオートバイの走行が禁止されている。

韓国の道路交通の今後の問題点は、世界一高い事故率(人口比死亡者数)の低下と、大都市での道路の渋滞と混雑をどのように解消するかであるようだ。 渋滞緩和策として韓国での人の  公共輸送手段の中心と思われるバスの優先走行車線の活用が上げられる。 バスのみならず、  9人乗り以上の車に6人以上乗っていれば、バス優先車線(ブルーレーン)を走ることが出来る。

また、有料道路を3人以上乗車している場合は無料になる等、諸施策を講じているものの、   ソウルをはじめ大都市の猛烈な交通渋滞を解消するには至っていないのが現状である

 

                                          

 

 

 

5.韓国のカーナビと交通マナー

 

(1)   カーナビ

  レンタカーの9人乗りスターレックス(現代自動車)に、カーナビを搭載してもらった。

 搭載といっても、電源はシガーソケットから取り、強力な磁石がついているのでダッシュボードの

上に簡単に載せるだけで装着完了である。

 目的地を登録するのも、画面表示も、すべてハングル語である。アナウンスも韓国語で流れる。

英語か日本語のバージョン選択はもともとない。 隊員の一人に韓国からの留学生・洪 淳昌が   いるので、何とも心強い。 すべて操作は彼に託した。

 

(2)監視カメラ

 韓国の高速道路には、スピード測定用監視カメラ(オービス)が至る所に設置されているが、    数百メートル手前からナビがカメラの設置個所を正確に教えてくれるのと同時に、自分が制限速度 よりも何キロオーバーしているのかも、警告音と共に表示してくれるので、殆どの車が監視カメラ  設置個所に差し掛かるころには、制限速度内のスピードにスローダウンして違反を免れている。

 また、韓国の高速道路には、例えば「500m先にカメラあり」といった標識が、道路脇に必ず     立っている。 これは聞くところによると、かつて大物知名人が不倫相手を同乗させていたところを、監視カメラがとらえ暴露されたため、プライバシーの侵害論争に発展し、その結果今では監視カメ  ラの設置場所を公表しなくてはいけなくなった、と同時に車中の人の顔をカメラで撮影しては   いけないと、法改正された経緯があったようである。             

 

(3)スピードバンプ

  前述したように、韓国の道路にはスピードを落とさせるためのバンプが、相当数作られている。

スピードを落とさず突然バンプの上を通り過ぎて、大きなショックを受けた時など、同乗の全員が

不愉快な気持ちになるものであるが、カーナビが一部の道路を除き、そのバンプの存在を事前に   教えてくれる。 それ故、事前にスピードを落とすことが出来る。

 このように韓国のカーナビは、交通事故を未然に防止するのに役立つような機能を兼ね備えており、日本のカーナビに慣れきった我々にとっては、大変ありがたいものであった。

 

(4)交通マナー

  韓国の交通マナーは、事前の触れ込み情報とは違って、特段悪い感じはしなかった。街中で    不必要にクラクションを鳴らす訳でもなく、街中を猛スピードで走る車がいる訳でもない。     高速道路でも大幅にスピード違反する車や、いたずらに車線変更する車には、めったに出くわさなかった。高速道路には、最高速度と最低速度が一つの標識に表示してある。

  ただし、無茶な場面に2、3回出くわした。信号付き十字路で、直進が赤の場合でも右折は常に   可能であるから、右端車線に寄って注意しながら右折すれば良いのだが、直進車線で先頭で待って  いる場合、その先頭車は左から車が来なければ、赤信号でも直進していってしまった。 我々はそんな信号無視はできない。 また同じ状況で我々が先頭で、直進の赤信号を待っている時、2台目の  後ろの車にクラクションを鳴らされ、早く直進するように促された。左からの車が来なければ    赤信号でも注意しながら常に右折可は理解できるが、赤信号でも直進可だと考えているのは、    彼らの慣習的なものなのだろうか。

 

 

 

 

 

6.現代自動車蔚山工場を見学            

 

(1)                  ヒュンダイモーター(HYUNDAI MOTOR CO.現代自動車)蔚山工場の概要    

創設年月日

1967

敷地面積

500万u  (150万坪)

工場設備

5つの独立した工場設備と専用埠頭

専用埠頭

5万トン級の船舶3隻同時接岸可能な専用ふ頭、13千台出荷能力

従業員数

34,000人(正社員26,000人、契約社員8,000人)

年間生産能力

153万台

一日平均生産台数

5,600

世界の販売台数

2011年、660万台 (トヨタ・日産に次いで世界第5)

韓国内の工場

蔚山(ウルサン)工場の他、牙山(アサン)、全州(チョンジュ)工場

海外の工場

中国、インド、北米、トルコ、チェコ、ロシアに6か所

主要車種

ソナタ、ポニー、グレンジャ、サンタフェ,JM、エラントラ、エクウス、アクセント

「森の中の工場」

敷地内に453,000本の樹木

    

 

(2)            経緯等

   約2か月前から見学の申し込みをしていたが、承諾をもらうまでには色々条件などがあり、それを

 クリアーしての訪問であった。 全員のパスポートコピー、申込書はハングル語で記入、大学関係か   らの推薦状を添付のこと、最少人数5人以上、見学の際に説明員が同乗して工場内を周るのでそれ  相応の車を持込む (当然車種は現代自動車)、等々。

  隊員の一人洪 淳昌(韓国からの留学生)がハングル語で申込書を記入し送る。 推薦状は根本   一橋大学大学院教授(自動車部顧問)に書いていただいた。 訪問の際乗り込む車は、現代自動車の スターレックスとした。 予定通り無事見学をすることが出来た。

訪問当日は、数名のスタッフから歓迎を受けたのち、日本語版の会社概要ビデオを拝見、我々の  スターレックスに新人女性が乗り込み、日本語ガイドで第3工場内(組立・塗装・検査等)を案内して   くれた。

 

 

7.ソウルから板門店

 

(1)                軍事境界線という特殊地域の板門店

映画“JSA”でも一躍脚光を浴びた「板門店(パンムンジョム)」は、1950年に勃発した朝鮮戦争の  

休戦協定が調印された建物を始め、南北の会談が行われてきた軍事停戦委員会・本会議場などが   あるが、韓国も北朝鮮も行政管理権のない特別な地域である。  一般人でも申請なしでは立ちいれられないので専門のバスツアーに乗り込むしかない。  3〜4週間前から申請をしておき、当日はパスポート持参で、服装や持ち物の厳しいチェックを受け、韓国兵(国連軍の米兵も多い)と北朝鮮の兵士が 互いに銃を構えて睨み合っている最前線まで入り込むことが出来た。 緊張感の中、南北分断のままの現状を肌で感じ取ることが出来、自由と平和の大切さを考えながら、朝鮮半島の南北分裂問題の歴史を学ぶ良い機会であった。                                           

                              

(2)                板門店までのAH1号線

  ソウルから板門店までの50kmの区間は、国道1号線(AH1)の統一路と、国道77号線の自由路がほぼ並行して走っているようだが、どうも我々は自由路を来たようだ。 AH1の標識がどうしても見つ からなかったので、バスのドライバーと日本語ガイドの女性に尋ねてみたが、統一路でもこの標識を見たことがないとのこと。

 バスの窓から見た国道は、ソウル寄りの半分は片側五車線で交通量も多いが、板門店寄りは暫定的に片側二車線を供用していたが、将来南北統一後には中央より三車線も使うことになるのだろうか。

 

                                  

 

   エピローグ

 

(1)              如水会ソウル支部・韓国総同窓会との懇親会

 

一橋大学で学んだ同窓生というのは、いつになっても大変ありがたいものだとつくづく感じた。    ソウル市内で活躍している一橋大学出身者(如水会員)が、現在二十数名いると聞いている。    我々遠征隊がソウルを訪問する話を聞いた如水会ソウル支部や留学生OB会の方々が、ソウルに   ついた我々6人を、ホテルの近くの焼肉店に招いてくれて大歓迎会を開いてくれた。 ソウル支部から  7名、韓国総同窓会(韓国からの留学生OB会)から3名の方々が駆けつけてくれた。今回は、ソウル  支部としてはまれに見る出席者数だそうである。 もちろん初めてお会いする顔ぶればかりであったが、最初から話が弾み、和やかな歓談のうちに時間があっという間に過ぎてしまった印象であった。

歓談の合間を縫って、根本先生からAH1についての説明や、東京を出発してからソウルまでに  撮影した写真やビデオをPCで見たり、最近の韓国・日本両国間での諸問題や韓国の生活などに   関する率直な意見交換で、大変盛り上がった懇親会であった。

  当日出席いただいた方々の顔ぶれは、以下の通り。

如水会ソウル支部

韓国総同窓会

鈴木 達朗氏 (オリックス)、 粟谷 勉氏 (韓国三菱商事)

和田 昌敏氏 (韓国三菱商事)、 寺本 誠氏 (韓国丸紅)

岩田(北村)淳氏 (テレビ朝日ソウル連絡事務所)

IGAMI JUN氏 (KDDI KOREA)、

井上 勝氏 (SK holdings) 

朴 漢潤氏 (光云大学校)

李 香哲氏 (KWANGWOOD大学)

權 純鶴氏 (DELOITTE)

 

 

 

(2)               セマングム大防潮堤 

    

     9月14日、ソウルから木浦までの行程は約370kmである。 途中幹線道路を外れて西海岸を走る ことにした。 全長33kmにも及ぶ世界で類のない大防潮堤が、大きな湾を塞ぐように海の中を一直  線に延びている。 1991年から始まったセマングム大干拓事業の一環として、2006年に築造された  この大防潮堤は、片側3車線とゆったりとした歩道がつていて、分離帯には街灯が並んでいる素晴  らしい道路である。  行き交う車両はほとんどなく、まるで海の上のハイウエーといったところであるが、制限時速は70kmだ。

     大防潮堤の内側には、40,100haの陸地を造成する大干拓事業であるが、計画通りにはなかなか 進捗していない様である。  世界で例を見ないこの大規模な事業は、日本の諫早干拓事業とは   比べようがないが、自然環境問題では同じような難しい課題を抱えているようだ。

 

 

 

(3)                豊臣秀吉の朝鮮出兵とアジアハイウェイ

 

     慶州やソウルで世界遺産を見学した際、ほとんどの所で秀吉の文禄・慶長の役で破壊されたため再建という説明書きがあったのを多く目にした。 文禄・慶長の役は、1592年から秀吉が死去   した1598年まで断続的に実施されていた。

    加藤清正・小西行長や黒田長政などの軍勢約158千人が、おそらく釜山から上陸し、それ  ぞれの軍が内陸の主要道路を北進し、勝ち進みながら漢城(ソウル)に集結している。       更に、ソウルから現在の北朝鮮の奥地まで北上しているのである。

    当時の軍勢は、陸路はどのルートを進んでいったのか、現在のAH1とダブルことはなかったのかなど、約420年前ことを想像して、歴史的探究ロマンを深めている一人の男がいる。     今回の遠征隊員の一人冨岡敏明である。

   確かに加藤清正軍や小西行長軍、黒田長政軍などは、それぞれ釜山から上陸し、朝鮮半島の   中央は国道1号線(AH1)、35号線、45号線、55号線などを進んでいったことが解る。

 

 

以下、第1軍(小西)、第2軍(加藤)、第3軍(黒田)の進軍跡をたどってみる。

(現代のAH1は細い黒い線で示した。)

 

釜山〜ソウルの距離を400kmとすると、加藤清正軍は16日で進軍(1日平均25km)、小西  行長軍は20日で進軍(1日平均20km)、黒田長政軍も20日で進軍(1日平均20km)となる。

 

江戸時代、東海道53次(約500km)を歩く日数は男性の場合14〜15日で、1日の距離は30〜35kmだったそうだが、上記の文禄の役で1万人から2万人の軍勢が、戦闘しつつ1日20〜25km進んでいるのは、当時韓国内に江戸時代の東海道並みの幹線道路が少なくとも3本あったという ことになる。 韓国の道路は昔からかなり整備されていたようだ。

 

北朝鮮の開城(ケソン)経由、平壌(ピョンヤン)までAH1に重なる道路を進軍した小西行長や、    また北朝鮮のAH6に重なる道路を進軍した加藤清正には、現在のところ北朝鮮に行けないJMCは完全に先を越されてしまったことになる。

以上 ( 文責;早乙女立雄)

                         (  完  )