直線上に配置
Mekong Project

メコン経済回廊遠征の経緯
                                    藤井 正夫  

ご存知のように、今回のメコン経済回廊の遠征計画は、2008年11月に実施いたしましたオーストラリア遠征のあと、石坂JMC会長のご提案に基づき会員の皆様のご協力を得てプランを練ってきた訳であります。

 

そもそもメコン経済回廊とは何かと申しますと、1992年にアジア開発銀行がメコン川流域五カ国(カンボジア、ラオス、ミャンマー、タイ、ベトナム)とその北部に位置する中国の2つの地域、雲南省と広西チワン族自治区を含めた全体として広さ260万平方キロ、人口3.2億人と言う広大な地域の地域協力を推進し、経済発展を促そうというGreater Mekong SubregionGMS)経済協力プログラムを立ち上げました。http://www.adb.org/GMS/ 

 

この地域は第二次大戦後の東西冷戦下では、ベトナム戦争あり、カンボジアの内戦ありで混乱の渦中にあり、また、開放経済前の中国との地域協力などは到底考えられる状況ではありませんでした。ところが1990年前後を境に、東西冷戦終結、中国の市場経済化とベトナムのドイモイ(刷新)政策の進展、更には、91年のパリ平和会議によるカンボジア和平成立といった具合で、この地域の政治経済環境は大きく変化した為、アジア開銀が主導して、地域協力推進のための大メコン圏経済協力プログラムが提案されたという背景がありました。

 

このGMS経済協力プログラムの一環として、この地域全体の経済発展に不可欠な陸路による交通インフラの整備と車両の越境輸送円滑化を図るためのソフト面の整備が最優先課題とされ、当初は、この地域に9つの経済回廊の建設案が検討されたようですが、産業や民生への波及効果を考慮した結果として、当面は、東西回廊、南北回廊、南部回廊の3つの経済回廊の建設に絞られることになりました。

 

東西回廊は、ベトナムのダナンからラオス、タイを経て、ミャンマーのモーラミャインに至る1450Kmの太平洋からインド洋までインドシナ半島を横断する東西ルートであり、2006年12月にタイとラオス国境のメコン川に、日本のODAで完成したメコン第2友好橋の開通をもって全区間がほぼ開通しました。

また、中国が支援する南北経済回廊は、3つの区間から構成されており、1つは、ラオスまたはミャンマーを経由してタイのバンコクと中国雲南省の昆明を結ぶ約2000Kmの南北ルートの区間と昆明とベトナムのハノイを結ぶ754Kmの区間、並びにハノイと中国広西チワン族自治区の南寧を結ぶ426Kmの区間で、南寧の先には巨大なマーケットである中国の華南地区の存在があります。

ラオスの首都ヴィエンチャン近郊にはオーストラリアの援助で建設されたタイとラオスを結ぶメコン第1友好橋がありますが、南北回廊で計画されている半島の西側の昆明・バンコク間ルートにはメコン架橋がないため、目下、中国とタイ折半で、ラオス・タイ間にメコン第3友好橋を建設中であり、2011年には完成予定となっています。南部経済回廊は、バンコク、シアヌークビル、プノンペン、ホーチミンを結ぶ1150Kmのルートを現在整備中で、ここでも第4のメコン架橋の建設が必要であり、日本からの援助が期待されています。

 

大メコン圏経済回廊は、将来的には中国とASEAN、インドなどの南アジアを陸路で結ぶ、極めて重要な交通インフラとなり、この地域の発展に大いに寄与することが期待されています。

我々の遠征の狙いは、日本からのODA等も活用しながら進められてきたこの「メコン経済回廊プロジェクト」が、現状、どの程度まで実現されているのか、また、将来、この地域全体に社会的、経済的にどのようなインパクトがありそうかにつき、我々自身が実際に回廊の一部を走行することにより実情調査しようではないかということで、道路状況や通信事情等にも注意を払いつつ、走行してまいった次第です。

                                       

直線上に配置