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太平洋戦争中、八藤 雄一(はっとう ゆういち)先輩(S17年卒)は、大森捕虜収容所の主計軍曹で、Martindale(マーティンデール)氏は、大森に収容されていた米国兵の捕虜でした。
戦後50年経過してから、捕虜収容所にまつわる情報交換を含めた手紙のやりとりが始まり、数年後、2人はロンドンで再会を果たし(1995.5)、その後も長きに渡って手紙交換をされてきました。そのうち八藤先輩に宛てられた返信手紙を、私がお借りして1頁1頁パソコンに入力し、このホームページに掲載しました(2003.7-2007.5)。
東条英機のエピソードがでてくるなど、戦中の様子をうかがい知る貴重な歴史的資料としてはもちろん、生きた英語の教材として、米国兵のリタイア後の生活(健康、旅行)を垣間みることができる資料としても、大変興味深いものです。
Martindale氏はタイプライターで、八藤先輩はちびた鉛筆でゴシゴシと、手紙を書かれています。文面からはどうやら八藤先輩の方が筆まめであったことがうかがえます。
私の祖父は1998年に他界しましたが、生きていれば丁度八藤先輩と同じくらいの年齢です。祖父は戦中は満州におり、敗戦後空身でなんとか祖国の土を踏むことができました。帰国後は群馬で農業を営み、私が小学生時分、農作業の休みのときによく戦争の話しをしてくれたものです。八藤先輩とは2002年に実務英語研究会で初めてお目にかかりました。勉強会で戦中時のことを懸命に語る先輩の姿が、祖父と重なり、同じ人と100通も手紙のやりとりをするって、どういう思いなんだろう、とそれが知りたくて(英語の勉強にもなりそうだし)、手紙を預からせていただいてホームページにしたい旨、申し出たところ、快諾してくださいました。50通を1年かけて入力し終わったら、返却にご自宅にお邪魔して、また50通お預かりして、というペースで、年に1度ご自宅におじゃましてお茶を飲みながら先輩と奥様に昔話をいろいろ聞かせていただいてます。
戦争経験者である八藤先輩の言葉:「戦争はもうこりごりである」。同じく大学の先輩で城山三郎氏の言葉:「戦争が終わった時、空の高さ、に気付いた。負けて授かった青い空の高さを次の世代に引き継いでもらいたい。だから戦争体験を語るため作家になった」。私は戦争の「せ」の字も感覚として捉えることができない世代ですが、考える機会にしたいと思っています。
お2人は、その後、1冊ずつ著書を出版されました。
『ああ、大森捕虜収容所---戦中、東京捕虜収容所の真相---』
八藤雄一
著
共伸出版2004.8.15発行
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"The 13th Mission: The Saga of a Pow at Camp Omori, Tokyo"
by Robert R. Martindale
Eakin Press; (December 1998)
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記/webmaster:竹澤 京介
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