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W、エストニア共和国について (9/18夜〜21朝 滞在) |
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【歴史】 |
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BALTの他の国々と同様、過去に被支配の歴史の変遷を経験している。 |
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元々この地に居住していたエストニア族(ウラル語系)と東スラブ人、ノルマン人との混血の |
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過程を経て、10世紀までには現在のエストニア民族が形成された。 |
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13世紀以降はデンマーク、14世紀以降はドイツ騎士団、が当地に進出し、現在の首都タリン |
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はハンザ同盟に加盟し海上交易で栄えたが、その後も近隣のスウェーデンやロシア帝国等 |
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外国勢力に支配され続けて来た。 |
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1917年のロシア革命によるロシア帝国崩壊後、自治獲得の動きが高まって独立運動へと |
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展開し、1918年2月に共和国としての独立を宣言して、独立を果たす。 |
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然し、1940年にソヴィエト連邦に占領され、1941年〜44年の間はナチス・ドイツ、第二次世界 |
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大戦後はソ連軍に再占領されソ連に併合される。 |
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ソ連崩壊の直前、1991年に独立回復を宣言して国連に加盟し、西欧諸国との経済・政治面 |
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での連携を強めて、2004年にはEU、NATOにも加盟する。 |
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【国土・民族・言語・宗教】 |
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国土面積は北海道の約60%。大半は標高100m以下の平坦地で、50%は森林に覆われ、 |
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湿地や湖沼も多い自然の豊かな国。大小の島々が800も有る。 |
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人口は約130万人で、民族構成は エストニア人が約70%、ロシア人が約25%。 |
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一方母語は、国語・公用語としての エストニア語が約70%、ロシア語が30%。 |
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ソ連からの独立後も当国内に残った 「残留ロシア人」 の問題を抱えている。 |
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宗教はキリスト教のプロテスタントが主だが、ロシア正教も一部に存在。 |
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我々の訪問時 9月は、平均最高気温16.2℃、平均最低気温9.1℃。 |
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【文化・音楽・他】 |
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エストニア人は「歌う民族」とも言われ、合唱が大変盛んで高いレベルを誇っている。 |
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5年に一度開催される『歌と踊りの祭典』は世界無形文化遺産となっている。 |
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野外の「歌の原」会場に民族衣装の3万人の歌い手と20万人もの聴衆を集める国民的な行事。 |
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https://www.youtube.com/watch?v=dLId6jAIPwo |
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ソ連時代の1988年に開催された祭典には約30万人が集まり、当時禁止されていた民族音楽 |
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をエストニア語で合唱し、独立への機運を高めた。次回開催されるのは2019年。 |
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クラシック音楽も盛んで国際的にも著名な音楽家を輩出しているが、2015年よりNHK交響 |
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楽団常任指揮者パーヴォ・ヤルヴィ(元パリ管弦楽団の音楽監督)は日本人にも馴染深い。 |
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日本人にも愛された大相撲の元関取 把瑠都関 もこの国の出身。 |
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世界有数のIT先進国であり、ITインフラを駆使した電子政府、電子投票等や、 SKYPE |
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(インターネット電話)の開発国としても有名である。 |
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@ タリン 【旧市街 :世界遺産】 |
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人口約44万人。中世の空気を伝える当国の首都で、13世紀以降の歴史を誇る。 |
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1219年にデンマーク王によって占領され城が築かれた。エストニア語で「デンマーク人の城」 |
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を意味する呼び名が、現在の都市の名前の由来になった。 |
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その後はドイツ人の入植が進み、ハンザ同盟都市としてロシア貿易の中継点の商業都市と |
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して栄えた。旧市街は当時の趣を残している。 |
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バルト海のフィンランド湾に臨む港町で北欧との窓口となっており、対岸のヘルシンキと |
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高速艇やフェリー(今回我々も9/21の出国時に乗る。1時間半)で結ばれている。 |
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【観光名所】 |
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トームペア城 |
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・石灰岩の層で出来た市街を見下ろす丘の上、且つてエストニア人の砦があった場所。 |
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13世紀にはデンマーク人に続いて、ドイツ騎士団の城が築かれた。 |
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代々の支配者が住んだが、現在の姿は18世紀後半、ロシア帝国のエカテリ−ナ2世が |
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改築を命じ、知事官邸としたもの。 |
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現在も北側と西側の外壁、及び3つの塔が15世紀当時の姿をとどめている。 |
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城内には現在も政府の一部と国の議会が入っている。 |
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・50mの高さの南側の塔(「のっぽのヘルマン」の愛称)は、エストニアの三色旗を掲げて |
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いる、この国を象徴する存在。 |
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・見晴らしの良い北側の展望台からは、タリンの塔や街並の景色が良く見える。 |
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大聖堂(トームキリク) |
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・1219年に デンマーク人がトームペアを占領して直ぐに建設した最古の教会で 「聖母 |
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マリアの大聖堂」とも呼ばれ、創設以来タリンの中心的教会の地位にある。 |
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1684年に大火災の為に焼失したが、その後約100年かけて再建された。古い基礎の |
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上に建て直したので、床が地面より沈み込んでいる様に見える。 |
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アレクサンドル・ネフスキー聖堂 |
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・1901年に時の支配者、帝政ロシアによって建築されたロシア正教の教会。 |
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タリンの街並みとは一風変わっている。 |
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ラエコヤ広場 |
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・デンマーク人に占領される以前から市場として存在していた街中の広場。 |
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旧市庁舎 |
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・ラコエヤ広場に面する、北ヨーロッパに唯一残るゴシック様式の市庁舎である。 |
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14世紀半ばに最初の建物が建てられ、1404年に増築後現在の姿に。 |
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・65mの高さの塔の上からは、有名なタリンのシンボル 「トーマスおじいさん」 が町の |
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変遷を眺め続けている。(現在のものはコピーで、初代は市庁舎内に保管される) |
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・2階のメインホール「市民の間」の柱の色は、青と黄のハンザ同盟と、緑と赤の富と力 |
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を象徴する美しい色彩に彩られており、現在も政府のレセプションに使用されている。 |
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・1248年に自治都市の権利を得て市議会が設立され、市議会が使用した「議会の間」の |
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装飾には、14世紀の長椅子の彫刻にライオンにつかみかかるサムソンや、トリスタンと |
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イゾルデ、又15世紀の長椅子にはダビデとゴリアテ、サムソンの髪を切るデリラ、 |
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フィリスの馬になるアリストテレス 等のレリーフが刻まれている。 |
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聖霊教会 |
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・市庁舎、及び 聖霊教団救貧院の礼拝堂として、14世紀に遡る古い教会。宗教改革に |
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よる破壊を免れた貴重な文物が収められている。 |
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・15世紀の祭壇は彩色された木彫りの像で有名で、「聖霊降誕」を再現。 |
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・この教会は、他の教会の様に貿易商人たちの為では無く、エストニア人の教区の下層の |
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人達の生活に重要な役割を果たしていた。 |
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桟敷に描かれた57枚の新旧聖書の物語は「貧者の聖書」と呼ばれ、文字の読めない |
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人々の教化にも用いられ、礼拝もエストニア語で行われた。 |
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聖ニコラス教会(ニグリステ) |
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・船乗りの聖人ニコラスに捧げられ、13世紀前半にドイツ商人の居住区の中心に建て |
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られ、非常時には要塞としての機能も果たして来た。 |
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・1944年のソ連の空襲で破壊されてオリジナルの内装は残っておらず、現在は博物館と |
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パイプオルガンのコンサートホールとして使用されている。 |
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・展示品の15世紀の「死のダンス」(ベルント・ノトケ作)は、生者と死者がダンスを繰り広 |
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げる様子が描かれており、必見。 |
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・二重の観音開き構造の「主祭壇」(ローデ作)も宝物の一つ。 |
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大ギルドの会館 |
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・1410年に建てられ、大ギルドの集会やパーティー、結婚式等に使われて来た。 |
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現在は「エストニア歴史博物館」として使われている。外壁の正面には大ギルドの |
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紋章でもあった赤地に白十字のタリンの小紋章が見える。 |
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ブラックヘッドの会館 |
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・守護聖人にエチオピア生まれの聖人マリティウスを頂いた友愛会の会館。 |
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この友愛会は1399年に組織されたギルドの様な社交団体で、外国人や未婚の若い商人 |
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がギルドに加わるための準備期間ここに籍をおいていた。 |
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・16世紀にオランダ・ルネッサンス様式に改築された。外壁は友愛会メンバーやハンザ |
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都市の紋章等のレリーフで飾られている。 |
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・内部には音響の良い「聖オレフのホール」が有り、演奏会に利用されている。 |
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聖オレフ教会(オレヴィステ) |
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・13世紀半ばに記録に現れる、ノルウェー人の聖人王を祀った教会。15世紀に大規模 |
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な改築がなされ、その後何度か落雷で焼け落ちたが、1840年に現在の姿に修復された。 |
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124mの高さの有る塔は、この街で一番高い建物。 |
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この教会の建設に関わったと言う巨人オレフの伝説から彼の名を冠しているが、教会の |
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外壁には彼の石像が横たわっている。 |
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ふとっちょマルガレータ(昔の砲塔) |
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・1529年に町の最重要な出入り口を守る為に建てられた砲塔で、直径24m、壁の厚さは |
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4.7mにもなる。砲塔として使用されなくなってから、倉庫、兵舎、監獄として使用された。 |
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・監獄時代に食事を切り盛りし囚人から慕われた 「太ったおかみさん」 の名前に由来 |
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する愛称で呼ばれる。 |
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三人姉妹 |
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・15世紀に建てられた住宅(商家)の集合体で、美しく飾られたファサード(建物正面の |
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壁面が女性的な雰囲気を持つことから「三人姉妹」と呼ばれている。 |
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ドミニコ修道院 |
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・当初ドミニコ修道会はトームペアに修道院を建てたが、帯剣騎士団との戦いに敗れて |
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1246年に現在の場所に移った。 |
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・1531年の大火で大部分が廃墟になったが、現在は二つの部分が公開されている。 |
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