南フランス(プロバンス)演奏旅行 ~行程と演奏会~ |
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1.期間 2004.07.24~204.08.04 | |||
2.サントボーム国際合唱祭への参加 | |||
サントボーム国際合唱祭は、Vacanceを利用して行われるプロヴァンス地方の合唱祭であり、今回の演奏旅行はこの合唱祭に参加するために行われたものである。合唱祭への参加団体はそれぞれ各地で独自のコンサートを開催するが、合唱祭のヤマ場は、参加団体が一同に会するガラコンサートである。我々も、ガラコンサートの他に、同地方の東西4会場で独自のコンサートを開催した。 プロバンス地方は、フランス南東部に位置し、地中海とイタリアとの国境に面して風光明媚なところである。合唱祭期間中の移動は、サン・マキシマンのホテル(ホテル王立修道院)を基点に、専用バス2台をチャーターして行われ、高速道路の左右にセザンヌの絵で有名なサンヴィクトワール山や洞窟で有名なサント・ボーム山塊を眺め、名所やワインシャトウを巡る快適な旅となった。 |
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3.演奏会の模様 | |||
7月26日 | Loruges 会場:「ロルグ僧会教会」 | ||
Lorugesは、サン・マキシマムの東方約60KMに位置し、樫、松、ブドウ畑、オリーブの木々に囲まれた典型的なプロバンスの村である。12世紀に出来た村で、人口6300人。あちこちにには「日本のMercury
Glee Club来る!」のポスターが貼られ、村長からは祝い事で食されるクスクスの夕食会で迎えられた。 演奏会の会場となる「ロルグ僧会教会」には、400人ほどのお客さんが来てくれていた。 「フォーレ・レクイエム」の演奏が始まるや、最前列の2人のシスターが、両手を胸に合わせステージ後方のキリスト像に向かって一心に祈りながら聴いてくれた。その内の一人が目頭を押さえている様子に、団員もジーン・・・・、名演をすることとなった。 「世界の歌」も好評であったが、アンコールに応えて歌ったプロバンス地方の国歌「クーポサント」では、スタンディングオベーションを受けることとなり、拍手が鳴りやまず、再度聴衆とともに歌うこととなった。 後日、地元の新聞「VAR-MATIN」で絶賛された。 |
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7月27日 | Marseille 会場:「サンヨセフ礼拝堂」 | ||
Marseilleは地中海に面したフランス第2の都市。 予定されていた賛助出演の合唱団からドタキャンされ、代役の賛助出演となった。聴衆180名と前日より少なかったが、演奏が進む毎に客席と一体化され、アンコールの「クーポサント」では手拍子が加わった。 |
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7月28日 | Marseille 会場:「サンバルナブ教会」 | ||
前日に続いてMarseilleでの演奏会。マルセイユ市庁舎から30分に位置するサンバルナブ教会へ向かう途中、国際合唱祭祭の主催者から夕食の招待があった。 ソプラノソリストのヴィアル夫人が所属する「Maltise Gabriel Faure」(MGF)女声合唱団の本拠地であり、お客さんも250名ほどと推定された。 MGFの出演は8名ほどであったが、実力者揃いであり、「ふるさと」「浜辺の歌」の合同演奏は十分に楽しんで歌うことが出来た。 アンコールとして歌った「クーポサント」はここでも大好評であった。。 |
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7月29日 | Sait Maximun 会場:「サン・マリ・マドレーヌ大聖堂」 | ||
合唱祭の本番、ガラコンサート。宿泊したホテルに隣接した「サン・マリ・マドレーヌ大聖堂」が会場であった。入場は有料であったが、お客さんは700名程とほぼ満席であった。 参加団体は地元合唱団や我々の他にスペイン、イギリス、スウェーデン、南アフリカ、ギリシャなどから、計9団体が参加した。各団体が10分程度の演奏を披露したが、それぞれ輝かしい実績を持つ団体ばかりであり、合唱水準はかなりハイレベルなものであった。我々の「ナブッコ」にもブラボーの声がかかったが、南アフリカの合唱団は、その演出といい合唱技術といい、度肝を抜くほど素晴らしいものであった。 演奏終了後、会場近くのホールで全参加団体が一堂に会した打上パーティがあり、各々お国自慢の歌合戦となり盛り上がった。 |
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7月30日 | シャトウドゥブル受胎告知教会 | ||
会場は、サンマキシマムから東北東へ80KMの山間にある人口450人のシャトウドゥブル村の小さな教会である。眼下に深い渓谷が広がり、バスがヤット通れるような細い道を山頂近くまで登ったところにあった。 シャトウドゥブル受胎告知教会は、16世紀ころ改築が行われたという記録があるくらい古い、由緒ある教会で、キリスト像や調度品の豪華さは息を飲むほどに素晴らしいものであった。 演奏前に村長夫妻はじめ役場総出で夕食の接待を受け、ピサの車屋台が出るなどお祭り気分も伺えた。 お客さんは80名ほどで少なかったが、熱心な拍手を貰い、団員も力一杯気持ち良く、心を込めて歌うことが出来た。 演奏会後には、村長夫妻や村人達と大いに飲み、深夜まで懇親を深め、ホテルに帰ったのは1時を過ぎていた。 8月8日付の地方紙VAR-MATINに我々の演奏について報道された。 |
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