「赤とんぼ」 | ||||
「赤とんぼ」の不思議 | ||||
・・・・団員の語らい・・・・ |
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By マーキュリー・グリー・クラブ 2000.12.09 | ||||
T1 Tです。 「赤とんぼ」の詩に不思議な哀しさを覚え、HPを探してみましたら、次のようなことが出ていました。 三木露風自身は言う。 『私の作った童謡「赤とんぼ」は懐かしい心持から書いた。 露風自身は「懐かしい心持」と言っているが、 その中には、暖かい思い出と共に母を喪失した悲痛な自己がいたのではないでしょうか? 参考HPは、 http://plaza26.mbn.or.jp/~ikebe/raum/monthsong/20009.html 『十五で姐やは嫁に行き お里の便りも絶え果てた』 この部分の意味が良くわからないのです。三木露風自身が言っているとおり、姐やとは、母代わりに育ててくれた「子守娘」であり、彼女の背中に負ぶさって、露風は赤とんぼを見た。それだけに、姐やが嫁いで去ったのも寂しかったろう。問題は「お里の便りも・・」の部分。 1.お里とは誰の? 2.便りは誰から誰宛てのもの? 3.絶え果てたのは何故? 4.姐やが嫁に行った事と便りがなくなった事は関係ある? などと疑問が浮かびます。 B2 Oです。 「十五で姐やは嫁に行き、お里の便りも絶え果てた」について、私は今まで何の疑問も持たずに以下のように思っていました。 1.可愛がってもらい、自分もよくなついていた子守りの姐やがお嫁に行ってしまった。 2.「お里」は姐やの生まれた村。 3.当座は時折、お嫁に行った姐やの消息を人ずてになどで聞いた。便りは必ずしも「手紙」でなくてもよく、「消息」、「噂」と考えて良いのでしょう。むしろ、当時の姐やが手紙を書いてくるということはあまり、現実的ではないでしょう。 4.「絶え果てた」は親戚縁者でもない遠くの(?)村から来ていた姐やのことは、自然に「私」の周辺の人々の話題にならなくなり、忘れ去られてしまっている。今はどこでどうしているのやら?でも「私」はふと想い出して、たまらなく懐かしい想いになる。 私はこの一節を口ずさむ時、「おぶわれた姐やの背のぬくもり」や「若い姐やのうなじや髪のほのかな匂い」を感じます。 B2 Tです。 NHKで、先ほど赤トンボを中沢桂さんの叙情あふれる歌声で放映しておりました。新潟の刈り取りがすんだ田んぼで赤トンボが見れるかと期待していましたが、全くいなかったのでがっかりした直後でした。字幕スーパーで歌詞がでていましたが、 「負われて見たのはいつの日か」となっていました。 Oさんがうなじの感じをうまく表現されていたので、「おわれて」とはおぶさっていた状況だったのかとはじめて知りました。背中におぶさるのおぶさるは「負ぶさる」と書きますが、五線譜に書かれたおたまじゃくしに何気なく歌っていた自分がとても恥ずかしく思えております。 T1 Tです。 太田さん早速有難うございます。なるほど、Oさんのように考えるのが自然ですね。僕はあれこれ考えすぎたかもしれません。「絶え果てた」の言葉に強い衝撃を感じたからです。僕は、3通り想像していました。 2.お里は母の実家。 3.お里は露風のふるさと。 でも、いずれも考えすぎで不自然だなと思っていました。Oさんのように考えれば自然ですね。そうなるとこの歌は温かく懐かしい姐やへの思い出の歌ということに成りますね。 |