合唱による風土記「阿波」
・・・・Ⅰ.意訳  & Ⅱ.三木先生の便り・・・・
 
Ⅰ.意訳

By  MGC B1 N 2002.05.26

1.たいしめ(鯛締)

うれしめでたの 若松さまは

とてもおめでたい若松寺様、ありがとう

枝が栄えりゃ 葉も茂げる

お寺さんのおかげで、木々の枝はたわわに下がり、葉もしげっている。

岬鼻から 戻ろとすれば

岬の先から村に戻ろうとすると、

やサワラが 呼び戻す

タイやサワラが海から飛び上がって、帰してくれないほどだ。

貯めた貯めたよ この網ゃ貯めた

おかげさまで、財産を貯めることができました、この網のおかげでネ。

磯の藻綿で 又貯めた

また、磯にある海草のおかげでも、財産を貯めることができた。

<若松>
天台宗で1300年の歴史を持つ、東北屈指の古刹。鈴立山若松寺( れいりゅうざん じゃくしょうじ )。花笠音頭の歌詞をもじっていて、花笠音頭と同様にめでたい歌なのですね。
*。「ダシタナ」は「どうしたのか」の意味と思われる、「キリワイエホ」は??。

2.麦打ち

山で山鳥ゃ 尾は長けれど

山鳥の尾は長いけれど

しのぶその夜の 短かさよ

忍んで恋人と会う夜はなんと短いことだ
(「山鳥の尾」は「長い」にかかる係り言葉)

山が暮れても 山鳥ゃ飛ばぬ

夕刻になって山が暗くなっても、山鳥は飛び去ることはないのだよ

可愛い我が子に 魅せられて

かわいい子がいとしくてしかたがないのでね

(私も決して恋人の傍からは離れませんよ。)

鐘がゴンと鳴りゃ 早よいのいのと

鐘がゴーンとなって、早く帰れ早く帰れと言っているようだ。

ここは寺町 何時も鳴る

いやいや、ここは寺町なので、鐘はいつも鳴るのだ。気にすることはない。(私たち恋人同士には関係のないこと。)

<いのいの>

「恋人のところへ行きたい」としている例がありますが、「いぬ」は中国地方では、「家へ帰る」という意味で使います。

3.もちつき(餅搗)

旦那大黒 奥さん恵比寿

主人は大黒様、奥さんは恵比寿様

ひとりある子の 福の神

そして子供は福の神

御所のお庭で 扇を拾うて

殿様のお館で、扇を拾ったがな

扇めでたい 末繁昌

扇だよ、扇、これはめでたい、末広がりの繁盛のしるしだよ

裏へ出てみりゃ 茗荷や蕗が

裏庭にまわると茗荷や蕗がいっぱいだ

冥加めでたい 富貴繁盛

これも冥加(仏様の加護)と、富み栄えることの証だ

(いわよ、ひょうたんじゃ)

さあさあ、祝いだ、祝いだ。ひょうたんを持って来い。
(ひょうたんには、もちろん、お酒がはいっています。)

伊勢へ七度 熊野に三度

伊勢へは七度、熊野には三度参ったし、

若戸様へ ふき参り

若戸様(愛宕様のなまり)へは毎月参っているサ
(「ふき」は「月」蕗(富貴))

世治まる 思ったなのさ

世の中は平和だし、思ったとおりだわい

末は鶴亀 五葉の松

この先も、鶴亀、鶴亀、五葉の松で、めでたい、めでたい

一石二石三国一の

いちにの三国一の

餅搗きゃすましに

もちをついたら、最後には(済まし?)

ゴシャシャンノシャシャン

シャンシャンシャンの手打ちだワイ

4.水取り

山鳥りゃ 子にこそ迷え

山鳥は子鳥に夢中になってしまうことはあっても

たち別れまい  この森を

この森に別れをつげることはできまい

じわじわと 突っこめや

(はねつるべで水を汲むときは)
ゆっくりとオケをおろして、

早や持ち上げる

さっと持ち上げるのだよ、

さても具合な はねつるべ

そうそう、そんな具合にな、はねつるべをサ。

 *民謡や労働歌によくあるように、性的な意味が含まれていますね。

5.たたら(踏鞴)

東西東西 東西南北 鎮まりたまえ

 

エイエイサッサ エイサッサ
ヤットサッサ エイサッサ
ヨウそれ踏めや それ踏めや

 

親方酒手はどうじゃい どうじゃい

親方、今夜の飲み代(しろ)はどうだい、はずんでくれよ

そんなら踏め踏め ヤッシッシ

そんなこというんなら、もっと踏め踏め! タタラをヨー!

はちっくり 黒てもままよ

色はちょっとばかり黒くなるが、そんなことはかまやしない

人に好かれる 笑顔よし

人に好かれるこの笑顔さえあればいいのだよ。

いつも無理に 頭布をかむり

坊さんのように頭巾をかぶってしかめ面をしたり、

家で遊びを するよりは

賭場でサイコロを振っているよりは

たたら踏むのが 面白い

たたらを踏んでいるのがグーだね

エイエイサッサ エイサッサ
ヤットサッサ エイサッサ
ヤットコセ ヨイトナ
コレワイセ さあさ何でもせ

 

(注)「いつも無理に 頭布をかむり、家で遊びを するよりは」
   そのままではなにも面白くないので、上のようにしてみましたが、本当の 意味はどうなんでしょうね。

Ⅱ.補足

By MGC B2 F2002.05.26

府川です。で、私からも一言。

作業歌ははっきりいって卑猥なものが沢山あります。それは、厳しい労働を乗り切るのに赤裸々な性の表現がストレス発散に役立ったと考えられるからです。
徳島に限らず、ちょっとメールには書きにくいような歌詞もありますが、ここでは徳島の「藍こなし」に出てくる歌詞を記しておきます。

「阿波の北方 女の夜這い 男楽々閨で待つ」
「ヤーレねむたや 寝た夜がよかろ さまと寝た夜は なおよかろ」

次に「山は暮れても山鳥飛ばぬ」について

これは正しくは「山は焼けても」です。
この歌詞は麦打ちだけでなく、藍こなし、荷かたぎ歌など様々な作業歌に出てきますが、すべて「山は焼けても」です。

夜になって鳥が飛ばないのは考えてみれば当たり前で、たとえ山が焼けても我が子のために飛ばないのだ、といったとき親の一生懸命さが切実に伝わってくるのではないでしょうか。

Ⅲ.三木先生の便り

By MGC 成清2002.05.26

「5.たたら」の<いつも無理に 頭布をかむり 家で遊びをするよりは>についてイメージをお伺いした。

以下、作曲者 三木先生のコメントである。

これらの歌詞は、私が徳島の民謡の歌詞を収集した中で、《合唱による風土記ー阿波》と言う新しい人格を持った作品を形成するためいろいろ転用したもので、厳密な考証は意味がありません。それぞれ意味としては繋がらなくても「たたら」なら「たたら」の雰囲気をかもし出すのに都合のいいように配置してあります。ここでは、家の中で隠微な遊びをするより豪快なたたら作業をしよう、というくらいに取ってください。