「富士山」 (作詞;草野心平 作曲;多田武彦) | ||||
「富士山」の謎 | ||||
・・・・団員の語らい・・・・ |
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By マーキュリー・グリー・クラブ 2004.05.29 |
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T1 Tさん、富士山の謎を皆さんに問い掛けてひとつひとつ解明してください。謎は沢山あることでしょう。例えば3番の「牛久」は土浦近郷の牛久か?、黒富士とは?(赤富士は承知しているが・・・)。黄鳥とは?(辞書には高麗ウグイスとあるが・・・)等々疑問は沢山あります。 T1 Tです。 牛久は茨城県の牛久市のことだろうと思うのですが、皆さんはいかがでしょう?草野心平の郷里は福島県のいわき市なので、常磐線で上京するときにでも目にした光景かな? 赤富士というと、葛飾北斎の事でしょうか?この絵については、本によると、太平洋側から見た朝焼けの富士だそうです。黒富士は夕陽を背景にした姿でしょうか、関東平野の南部から見た風景では? 黄鳥はウグイスでよいのでしょ? 東南アジアや中国南部方面から日本や朝鮮半島、中国東北部へと渡る、と野鳥の本にあります。ただ、心平さんは中国で学び勤めた経歴もあるので、中国の知識がないと第1番の最後はわからないかもしれない。 大雪嶺とはヒマラヤかなあ? とすると、三つの海は、黄海・東シナ海・日本海? あるいは、インド洋・南シナ海・太平洋の線もありか?うーんムズアカシイ。 T1 Tです。 富士山の作品第壹の ♪遠く大雪嶺・・以下を、メルクール同期で現在中国の天津にいる長野君に意見を求めました。 彼の説明では「大雪嶺」はヒマラヤの別称であるとのこと。(他に四川省の辺境にも大雪山という山はあるが)この詩からは、ヒマラヤと思料すとのこと。三つの海は、色々考えられ特定はしにくいとのこと。例として、黄海、東シナ海、日本海説と南シナ海、東シナ海、日本海説などあり得るとの意見。 小生の試論ですが、大雪嶺はヒマラヤでしょう。三つの海は南シナ海、東シナ海、黄海だと思う。理由は、作者の経歴による。つまり、草野心平の年譜には、広州の嶺南大学で学生時代をすごしのちに、中国から詩の原稿を送ったり、さらに中華民国政府で働いていたとありました。 そういう作者が、「私が夢見る富士の祭典」の最後を飾って、遠くヒマラヤから大陸を越えてやってくるウグイスたちの飛来を思い浮かべると、現在の日本列島からルートをたどるという発想をするよりも、大陸から見て日本を分かつ海として発想する方が自然であると思うのです。そのほうが、詩のイメージ上も雄大でかつ語感からも良いのカナという感じです。つまり、日本海は入らず、南シナ海、東シナ海、黄海です。 B2 Kです。 T1Tさん 歌詞解明へのトライアル1、興味深く拝誦しました。大雪嶺と三つの海、貴兄の説明でよく理解できました。ところで、黄鳥ですがウグイスとすると例の「ホーホケキョ」のウグイスでしょうか?ヒマラヤから飛来するとすれば(渡り鳥?)、ウグイスとは異なる「高麗ウグイス」(結構大きい鳥?)で土地の人がご存知かもしれませんね。 T1 Tです 図書館で調べてようやく意味がわかりました。中国で黄鳥というのは、日本ではコウライウグイスといわれる鳥。「ホーホケキョ」の鶯とは全くの別種とありました。 コウライウグイスは、体長26から30センチ。黄色の羽毛で春に口笛を柔らかく吹くような鳴き声でなく。西ヨーロッパから中央アジア、インド、アフリカ中央部に生息。餌を求めときには1万キロを飛ぶとありました。さらに、中国の漢詩に出てくる鶯はコウライウグイスのこと。日本の鶯とは異なる、春に美しい声で鳴く事から、日本では鶯を黄鳥とも呼んだ、と断り書きがありました。 草野心平にとって黄鳥は、コウライウグイスに他ならないと思いました。なるほどこのコウライウグイスなら、ヒマラヤから渡ってきてもおかしくないですね。この詩がだんだんほどけてきます。 ところで、「昔からの楽器」については、確信が持てません。最初は、雪解けの川の音や木立を渡る風の音のこと(自然界の音)かと思ってましたが、今は言葉どおり「楽器」じゃないかと思うほうが強くなってきました。幻想的な富士の祭典に、笛、太鼓、鼓、鉦などが鳴り出した、といっているのじゃないかと。 解明の手がかりが無く弱りました。 B2 Fです。 まず「昔からの楽器」について。私はここで奏でられる音楽は天上の音楽だと思います。ヒントは、「七色の霞」「億万万の蝶」といった言葉です。心平は大空いっぱいに極彩色の絵を描こうとしています。そこに彩りを添えるのは天女たちが奏でる優雅な音楽。 したがって楽器は、箜篌(クコ、ハープのような楽器)、洞簫、排簫(ともに笛の仲間)、腰鼓、楷鼓(鼓の一種)、鐃(ニョウ 打楽器)、拍板(打楽器)といった雲中供養菩薩たちがもっているような楽器が相応しいと思います。富士山には、羽衣伝説があります。私が天女の連想をしたのもそのためです。 ところで、作者はこの詩をどこでつくったのでしょうか。心平は昭和15年から20年まで南京で過ごしています。「富士山」が詩集として刊行されたのは昭和18年でした。時期的には中国にいたことになります。ただ、15年大陸に渡る前に彼は日本で「富士山」の詩を何編か発表しているのです。 「作品第壱」がこの中に入っていたのかどうか、私の手元にある資料だけからは分かりません。が、私は日本でつくったにせよ、彼のイメージは大陸だったのではないかと思います。 山一つ見えない果てしない平野。そこに「わたしだけの富士」がたったひとつ存在している。幻想的な、スケール感のある詩をつくるには空は広ければ広いほどいいように思うからです。 そのことは「三つの海」にもかかわってくると思います。T1Tさんは、南シナ海、東シナ海、黄海をあげておられますが、スケールを大きく考えるならインド洋を入れてもいいかもしれません。ただ、私はどこの海、と特定するのはあまり意味がないように思います。彼は「遠い遠い遥かな地」からも春の便りがもたらされたことを言いたいのであって、あるいは、砂漠や草原も「海」のイメージにあったかもしれないと考えるからです。 草野心平という詩人は大変な「幻視家」であって好んで幻想的な詩を書いた詩人である、と粟津則雄はいっています。われわれもそれを念頭において心平と付き合うのがよいかと思います。 長くなりました。まだ他にもありますが次の機会にさせていただきます。 T1 Tです。 B2Fさんから楽器の説明を頂きましたが、残念ながら小生にはその楽器が何たるかが理解できませんでした。でも、イメージからは、天女のもつ楽器というのが、ふさわしく思いました。 全編を見てもこの1番は異質に思えます。2番以降が富士と対峙する詩ばかりです(4番も異質ですか?)図書館で借りた発表年譜にも載っていません。小生の推測ですが、詩集「富士山」を発刊するにあたり特に書き加えられたのではと思います。 つまり、冒頭に特別な思いで書き入れたのでは、と思うのです。(ちなみに、4番は「荒川富士」と題され、昭和15年に発表された。 ・・・この川は東京の荒川だったんですね) この詩集の不思議をもう一つ。実は、全編を見るため、図書館から「草野心平詩全編」という、限定1200部の本を借りました。(筑摩書房:昭和48年発刊) それによると、昭和15年ころ発表された富士に関する詩数編をまとめ、昭和18年に詩集「富士山」全17編で発刊。昭和21年から23年、他の詩集「大白道」「天」「牡丹園」「日本砂漠」に発表された富士に関する9編を第18番以降に加え、全26編としてあります。 でも、26編を見ると多田武彦が作曲をした16,18,21番は、2番ずつ繰り下がって、18,20,23番となっています。 解説書にも二通りあって、当初17編に9編を加え26編である、とするもの、戦後24編で発表されたとするものがあります。 小生の推測に過ぎませんが、最初の17編のうちの第4番以降のいずれか2編が作者の意図で削除された詩集があったと思われます。それに多田武彦が作曲したのだと思われます。 どの詩をなぜ削除したのか全くわかりません??? T1 Tです。 「富士山」の作品第肆について考察。この詩を心平は何処から読んだものだろう? 植物図鑑によると「あし」と「よし」は同じ物。鳥の図鑑によると「オオヨシキリ」と「コヨシキリ」というのがいるが、ウグイス類の夏鳥。ギョギョシと鳴くのは「オオヨシキリ」(行行子は当て字)。うまごやしはシロツメクサ(クローバー)の俗称。 春ののどかな光景ですが、花輪が円を描くとその中に富士は入るのですから、富士山をかなり遠くから見ている感じがします。土堤とあるのである程度の川幅があるのか?酒匂川か相模川あたりかな、西の富士川か大井川まで含まれるか?うーん、この詩だけからは特定できませんねえ、 |