「富士山」 (作詞;草野心平 作曲;多田武彦) | ||||
・・・・多田武彦と「富士山」・・・ | ||||
By マーキュリー・グリー・クラブ 2004.05.29 |
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T2 Hです。 多田武彦氏の略歴をご紹介します。 昭和5年11月、大阪市南区(現、中央区)に生まれた。旧制大阪高校を経て、昭和28年3月京都大学法学部を卒業。大学在学中、京大男声合唱団の指揮者として同合唱団の黄金時代を築いた。大阪高校時代に作曲を始め、京大在学当時知遇を得た作曲家清水 脩氏に作曲上の指導助言を受けた。 S29年、最初の男声合唱組曲『柳河風俗詩』を発表するや、師、清水 脩氏の男声合唱組曲『月光とピエロ』と双璧をなす名曲として合唱界を風靡した。S36年には混声合唱組曲『信濃の民話による三つのバラード』で、文部省主催の芸術祭に参加、東京混声合唱団によって演奏された。S38年の芸術祭参加作品『京都』は、NHK大阪放送合唱団によって演奏され、文部大臣奨励賞を受賞した。多田氏が作曲を始めて約50年、作曲、編曲された作品は枚挙にいとまがない。その中で根幹をなすのは男声合唱組曲であり、発表済みのものは52篇に達している。 多田氏の詩の選択眼の優秀さには定評があり、選び出した詩に逆わらず寄り添うようにその「詩」がもつ韻律を引き出して、豊かな抒情性をもった優美な旋律と男声合唱特有の機能を最高度に活かした独特の世界を形づくっている。 ー「凌霜会特別火曜会」、多田武彦氏講演会の資料よりー 尚当時(10年程前)は富士銀行に在職しておられました。 B2 Tです。 組曲「富士山」について、「東芝EMI TOCZ-9278」より引用して紹介します。 処女作「柳河風俗詩」についての清水脩先生の講評は、概ね良かったが、ただ一つ、「この組曲は、歌い手の声域を気にしすぎている。男声合唱曲はもっとスケールの多き、ダイナミックなものにしなければいけない」というものであった。清水先生のこの薫陶に従って、昭和31年に作曲したのが組曲「富士山」である。当然当時のグリークラブ泣かせの作品となり、初演後は余り歌われる機会が無かった。 昭和35年代に入ってから合唱団の技術水準が高まり、合同演奏で採り上げられる機会も多くなりだして、組曲「富士山」はやっと動き出した。今にして思えば清水先生は、男声合唱の持つ「繊細さと力強さ」の両極の必要性を私に教示されたのかも知れない。処女作「柳河風俗詩」に続く第二作目のこの「富士山」も、詩人草野心平先生の詩の偉大さに支えられて愛唱されている。 と、こんな具合です。深沢眞二さんも書いておられました。 |