日本抒情曲
「からたちの花」、「箱根八里」、「中国地方の子守唄」、「ゴンドラの唄」、「待ちぼうけ」 

・・・・誕生の秘密・・・・

By マーキュリー・グリー・クラブ 2009.03.21

からたちの花    作詞:北原白秋  作曲:山田耕筰

この曲は、山田耕筰の体験から生まれた作品である。10歳で父をなくした山田は、キリスト教の施設で活版工をしながら少年時代を過ごした。秋、空腹を満たしてくれた黄金色の実、先輩につらくされた時こっそり泣きに行った垣根。からたちにまつわる山田の話に感動した北原白秋が詩に表し、この曲が誕生した。
 「あの白い花、青いとげ、黄金の果実― 私は白秋氏の詩のうちに私の幼時を見つめ、その凝視の底から、この一曲を唄い出たのであります」。山田耕筰の言葉である。


箱根八里    作詞:鳥居忱  作曲:滝廉太郎

今年の箱根駅伝で東洋大学の柏原竜二は、時速20kmという驚異的なスピードで箱根の山を駆け登った。現代の勇士は草鞋ならぬランニングシューズで八里の岩根を踏み破ったのだ。
 この曲は1901年、東京音楽学校が実施した懸賞募集入選作である。鳥居忱(とりいまこと)は音楽学校で和漢文を教えていた。課題詩として出題されたこの格調高い詩にどんな曲をつけるか、先輩の作曲家たちがしり込みする中で、卒業したばかりの滝廉太郎はモダンで活力にあふれる曲に仕上げ周囲を仰天させた。この年、滝は「荒城の月」でも入選している。


中国地方の子守唄   日本民謡  作曲:山田耕筰

岡山県井原市出身の声楽家上野耐之(たいし)は昭和のはじめ、恩師であった山田耕筰に故郷の母が歌っていた子守唄を披露した。感動した山田が編曲し、広く愛唱されるようになったのがこの子守唄である。この歌詞には子を慈しむ母親の愛情がにじみ出ている。しかし、一般に日本の子守唄は子守たちの恨み節である場合が多い。同じ岡山県の子守唄にも「泣くなこの子よ泣かすな守よ、泣けば名が立つ守の名が」といったものもある。


ゴンドラの唄   作詞:吉井勇  作曲:中山晋平

この歌の元歌がイタリアにある、とするのは作家の塩野七生である。ルネサンス時代に活躍したロレンツォ・イル・マニフィコの詩に「バッカスの歌」があるが、彼女の推測によれば、ヴェネツィアを旅した上田敏か誰かが帰国後歌人の吉井勇にこの歌の話をし、そこからヒントを得てゴンドラの歌詞は誕生したというのである。
 ちなみにその詩とは「青春とは なんと美しいものか/とはいえ 見る間に過ぎ去ってしまう/愉しみたい者は さあすぐに/たしかな明日は ないのだから」(塩野七生訳)。


待ちぼうけ  作詞:北原白秋  作曲:山田耕筰

この歌は満州(現中国東北部)に在住する日本人の音楽教材として創られた。歌詞の元になったのは、中国の説話「守株待兔(しゅしゅたいと)」で、舞台はキビ畑ではなく田んぼ、木の根っこではなく稲の切り株が大道具として使われている。

 ところで、山田は詩(言葉)と音楽の融合に心を砕いた作曲家だった。彼は書いている。「詩は詩想の象徴的表現であるが、詩人が表現し切れなかった詩想を音で補うのが歌曲の場合の音楽の役割だ。こうして作り上げられた歌謡は単なる詩以上の、また音楽以上の新しい芸術的価値を持つことが出来る」。そのために、「偏狭といわれるほど、その詩の持つ語調とか、アクセントに細かい注意を払って」作曲していたのだった。