China



General Information
中国旅行記(Written by S.MIYOSHI)
中国旅行記(Written by Sachie Nishida)
中国旅行記(Written by KOKETSU Yusuke)

General Information

正式国名 People's Republic of China
国土面積 960万平方km
首都 北京
総人口 約12億人
言語 中国語
通貨単位 人民元(CNY)
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国番号 86
パスポート残存期間 種別により異なる
ビザ 必要
電圧 110/220V
周波数 50Hz
電源プラグ A/B/B3/BF/C/O/SE

中華人民共和国在日日本国大使館
中国国家観光局(東京駐在事務所)
中国国家観光局(大阪駐在事務所)
www.chinasilkroad.com←カンスー省観光協公式サイト
中国旅行情報庫←中国旅行について突っ込んだ情報が寄せられていて、面白い。
GYC旅行←中国ビザが4,500円でとれる!郵送で申請しましたが、ちゃんと戻ってきました。また、中国の航空券も安い。


中国旅行記(Written by S.MIYOSHI)

02年3月、上海の冬の寒さはもう緩みはじめていた。気候は東京とあまり変わらないだろう。私は現地時間夜8時半ごろ、上海浦東空港へ到着した。中国と日本の時差は一時間。飛行機で約2時間半、大陸に渡ったという実感は全くないくらい近い。タクシーで外灘(バンド)へ向かう。

上海にいる間利用したのは浦東飯店、19世紀の租界時代に建てられた建物で古い洋館である。バックパッカーご用達らしく、宿泊者は若者が多い。日本人もよく見かけた。一泊2000円弱(ツイン)部屋は広いしベッドも大きい、かなり快適だ。バンドに残る建物の多くは現在、銀行やホテルとして使われている。お金さえ積めば、当時の富豪気分を味わうことができる。これらの建物は黄浦江という川の西側にあり、東側は近代的なビル郡となっている。

その中でも特に目立つのが東方明珠とよばれるテレビ塔で、アジア1、世界3位の高さのタワー。川の西側からテレビ塔の方へ渡るには、川の下を走るケーブルカーみたいなものに乗る。そのトンネルの中はまるで鉄腕アトムの世界、いろんな色の光の光線が目まぐるしく飛び交う。宇宙をイメージしているらしいが、目がちかちかして仕方なかった。タワーの展望台に登ってみたけれどあいにく雲が多くて眺めは不良。

預園へ行く。明時代の庭園で、それほど大きくはない。夕暮れ時で人が少ないときはいい雰囲気だった。周囲には伝統的な建築様式のお土産屋が建ち並び、スタバもある、テーマパークみたいだった。

上海博物館、4階建ての立派な建物で青銅器、絵画、玉器などかなりの貴重な文物なあったようだが、私にはその価値はわからなかった。これといって感動を呼ぶ物はなく、施設にお金をかけたなぁという印象。

玉仏寺、禅宗寺院で中国では尊ばれた玉で作られた仏様がいる。玉のつるつるした質感で高級な感じ、商売好きな中国人に好まれそう。

ここまで書いて、自分でも驚くほど上海の物に対して感動した覚えはない。しかしこれは私個人の感想で人それぞれ受ける印象が違うのだから、ぜひ自分の目で見てきてほしい。それに私の中で上海は決してつまらない街ではない。通りには世界から、また中国各地から来た観光客がカメラを提げて歩いていていつもにぎわっている。ローソンだってあるし、地下鉄はカード式で朝は通勤ラッシュ。最近は夜おしゃれなバーもたくさんあるようだ。

一番印象深かったのは何人か会った上海の若い女性たちである。彼女たちに共通して言えることは自分のなりたい姿を明確にもっていてそうなるために行動し、努力もしている。外国への意識が強く、みな英語を話すのがうまい。聞いた話だが中国人の間では、上海の女性は男らしい(男性は女らしい)と有名だそうだ。喧嘩する時は普通に女同士で殴り合うようだ。そして彼女たちの多くは頭がきれる、会社の女社長も少なくない。急速な経済成長のなか、その先頭をきる上海の成功は彼女たちの力によるところも大きいのではないかと思う。


中国旅行記(Written by Sachie Nishida)

Traveling Period: 17-23, Aug 2002

北京
北京-西安
西安
南京
上海

北京

8月17日 鹿児島から福岡に行き、そして上海へと向かった。そして上海から国内便で北京へ行く。着いたときは19時を回っていた。北京は2008年のオリンピックの準備のため(とガイドさんは言っていた)中国風に満州色の赤と緑で彩られた、新しいトールゲイトが作られていた。

8月18日 天安門の東門から入って、午門から奥へと入っていった。故宮はとても人が多く、霧がかなり濃かった。映画『ラストエンペラー』に出てきた玉座、広場、溥儀が自転車に乗って回った道(?)などを生(?)で見るとやっぱり嬉しくなった。
明の十三陵に行った。明の13台の皇帝とその皇后が眠る墓らしい。中は撮影禁止だったから写真は撮れなかったが、石のレンガで壁が何重にも作られていて、何だか特別な空間だった。外に比べて涼しかった。この周りは果樹園があり、道端にず〜っと桃が売られているのをみると食べたくなったので買ってみた。でも日本の桃とは違い、固くてほとんど甘くない。
八達嶺長城は駐車場から長城がすぐ近くにあるので、バスで行くと簡単に長城を登ることができる(笑)。「男坂」と「女坂」があるが、緩やかな方の女坂を登った。かなり暑かったが、やはり登ってみると眺めは最高!!一人でいい気分になった。しかし上に行くほど階段がゆがんでいくので、降りるときはかなり怖い。
またまた夕方天安門広場に戻ると、広場では今の時期でもたくさんの凧が揚がっていた。(いつもなのかな?)


北京-西安

8月19日 朝、天壇公園に行った。公園には年金生活のおじいさんおばあさんがたくさんいて、ちょっと変わったダンスをしていた。ほかにも内職(?)の編み物などをする人や、石畳の上に水と筆だけを使い、書道をしているおじいさんもいた。公園の中はかなり広い。壁にささやくとずーと向こう側の人に聞こえるという回音壁というのもある。実際にささやいてみると、相手にも伝わり自分もその声を聞き取ることができた。そして北京から西安に向けて飛行機に乗った。途中乱気流でかなり機体が揺れたので、恐ろしかった。揺れが半端じゃなかったので、(落ちる!)と本気で思った。

西安に着いてシルクロードの始まり、西の城門を見に行った。残されている城壁の上を自転車で人が向こう側から普通にやってきたときにはびっくりした。(城壁の上は幅が3メートルぐらいある)彼らはどこから城壁に上ってそしてどこにいくのか・・・ちょっとしたサイクリングコースかな。城門からは市内をきれいに見える(小さな窓からだけど)のでなかなかいい場所だ。


西安

8月20日 兵馬傭抗博物館へと向かう。10年前に行ったときには撮影が禁止されていたような気がするが、みんな写真をバシバシ撮っていたので、私もどんどん撮った。1号抗、2号抗、3号抗とどんどん発掘されている。その光景は圧倒されるばかりだ。一体どれだけの労力が注ぎ込まれたのだろう、すごい。
華清地は玄宗皇帝と楊貴妃が過ごしたという温泉地である。彼らが使った浴槽などが発掘されているほか、そこは西安事件で蒋介石が捕らえられた場所であり、そのときの銃弾の跡も残されていた。
そして、玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典を納めてあるという大雁塔を7階まで上り、景色を見たがまあまあだった。(天気もよくなかったし)


南京

8月21日 西安から南京へ。かなり暑かった。日差しが強く、参った。長江大橋を見に行くと、橋のたもとで50〜60人くらいの軍人が訓練をしていた。別にこっちには関係ないけど、何だか緊張。大橋の上からは長江が広々と見られた。眺めはいいし、風もびゅーびゅー吹いていたのでとても気持ちよかった。
8月22日 明孝陵と中山陵を見に行った。ものすごい暑さの中、中山陵は階段が200段以上あったので上るのに一苦労だった。降りてきたときには汗びっしょり。私の祖父は戦争時代南京にいたとき、この階段を何度も往復するという私にはとても考えられない訓練をさせられていたそうだ。
南京から上海に列車で移動するため、南京駅に行った。そこも人がたくさんで(中国はどこも人が多い)荷物を持って暑い中移動するのは辛かった。南京から上海は2時間半だったが、前の席の人がオランダ人の若い男の人二人組みだったので、何を話しているかはもちろん分からないし、話しかける勇気もなかったけど何だか緊張の2時間半だった。間にひまわりの種をもそもそと食べた。


上海

8月23日 今日は気温が37℃ということで、やはり暑かった。上海タワーに行ったが上には上らず、地下の歴史博物館に行った。蝋人形や模型で昔の上海から近代までの様子を再現しているのだ。館内は案外広く、たくさんのものが展示されていて、しかも分かりやすく説明されていたから見ていて面白かった。
その後豫園に行って、雑貨や食べ物などを見て回った。豫園は活気があって、見ているだけでも面白い。ファーストフードの店やコーヒーショップなどもあり、古いものや新しいもの、日用品やお土産などいろいろな物が入り混じっていて不思議で面白い空間だ。
最後はやっぱり上海雑技団。みんな年齢不詳だ。不思議な人たち。表情はかわいいが技がすごい。毎日毎日練習なんだろうな。みんな最低3つ以上のいや、もっと?のもち技があり、マルチな才能が必要だな、と思う。ちょっと失敗したりしたけど、人間だもの。
今回は有名どころをたくさん見られたので嬉しかった。観光ばかりで現地の人とはほとんど交流しなかったけど、ツアーだししょうがないかな?次はもっと現地の人と直に触れ合える旅をしたいと思う。


中国旅行記(Written by KOKETSU Yusuke)

Travelling Period: 2003年3月3日-18日
Traveller: KOKETSU Yusuke
I visited 広東省(珠海市、広州市),福建省(アモイ市),安徽省(黄山),浙江省(杭州市),江蘇省(南京市、蘇州市),上海市

中国へは、上記の都市を広東省から上海まで順番に北上していった。
このルートを取ったのは、今や世界の工場と呼ばれ、躍動する中国を体感したかったから。
観光地をはさむようにルートを作ったが、しっかりと中国のパワーを感じることができた。
僕は、ここでは観光地についての感想も多少織り込みながら、体感した中国を書きたいと思う。

珠海市(Zhuhai Shi)
広州市(Guangzhou Shi)
厦門(Xiamen)
杭州(Hangzhou)
黄山(HuangShan)
南京(Nanjing)
上海(Shanghai)

最後に...

珠海市(Zhuhai Shi)

中国の入り口で…

まず、マカオから陸路で大陸中国と接している玄関口、広東省珠海市のイミグレに向かった。
マカオのイミグレを抜け、少し歩くと大きなDFSのような綺麗な免税店がある。
陸路にもかかわらずだ。そのまま歩き、中国のイミグレに行ったが、そこで見るイミグレはまるで新しい空港みたいだ。すべてが整然としている。とんでもない国に来てしまったのだと
心が躍る。他のアジア諸国にはない見えないエネルギーを感じ、期待が高まる。
さらに、T/Cを両替するために行った珠海市の中国銀行までピカピカ&冷房ガンガン&IT化である。
窓口が数十あり、豪華すぎる作りに息を呑んでしまう。こんな銀行は日本で見たことがない。
体面にこだわる中国人とはいえ、日本の銀行をはるかにしのぐものを見せられてしまい、ただただ呆然である。

珠海市を歩いていると、大きなデパート、ショッピングストリートがあり、大都市ぶりを感じさせてくれる。
海賊版CDが有名らしく(たしかに中国の辺境&広東省なのでありうる)、何回か呼び込みについていった。
そのままついていったら、路地の奥を進んだところの警備が厳重な部屋に連れて行かれた。
そこでは、数人の客がいてCDやVCDを選んでいる。もちろん日本のCDもあり、売れているみたいだ。
アルバム一枚5元。これにはびっくりした。東南アジアが$1だったから、これより安いのだ。


広州市(Guangzhou Shi)

次に、広東省の省都、広州に移動した。バス代がやたら高かったが、日本の高速バスと装備が変わらないほど豪華なバスなのである。しかし、安いバスがない。

広州に行ったので、一通り観光らしきことをする。しかし、個人的にはめちゃめちゃつまらなかった。
おすすめするようなところが今になっても思い当たらない。だけど、この街のすごさは、違うところにある。
まずは渋滞。バンコクみたく、車が前に進まない。これにはイライラしてしまう。
次に人の多さ。広州駅(広州火車站)の前の広場は、数万人収容できそうなほどデカく、一周するのに15分ぐらいかかりそうなところなのに、人がごった返している。
これほど多くの人を今まで見たことがない。ありえない人数である。田舎に帰る人、旅行に向かう人、客引きで人が絶えることがない。
見ていて嫌気がさすほどの数である。この人間の海におぼれてしまいそうだった。

ホテルで知り合った西安の旅行会社の社長と日本語担当のお姉さんと部屋で歓談していたが、彼らの貪欲さにびっくりする。夢がある。チャンスをうかがう目がとても新鮮だった。


厦門(Xiamen)

そのあと、バスで途中、汕頭(スワトウ)を経由して厦門(アモイ)へ。
ここでは観光について書きたいと思う。
アモイで見ておきたいのはコロンス島!新婚旅行や修学旅行で来ている観光客がとても多く、新鮮な街だ。
旧疎開地を散策したり観光フェリーに乗ったりしてぶらぶらしたり、クレープを食べたり、
ショッピングストリートをうろうろして服を買ったり。
澳門に近い雰囲気をかもし出している街だ。本当に西洋に来たみたいな気分になる。
ここでもおばさんと二時間も言葉遊びをして遊んでしまう。おばさんと仲良くなるのが特技なようだ。


杭州(Hangzhou)

中国の国内線、厦門航空の恐怖を乗り越え、ついに杭州へ。
厦門航空の何が嫌だったかというと、運転が怖い、隣の乗客が鼻をほじりだしてシートにぬぐう、スッチーがおやつのピーナッツを高圧的な態度で投げるように渡してくること。
まじでビーマン(BG)が超一流の航空会社に思えたよ。。
話を戻して、杭州は西湖が有名だ。大きいというわけではなくその雰囲気が好かれるのだ。
周りは散策できるようになっていて、子供が凧揚げしていたり、カップルがあちこちで抱き合っている。
独り者にはこたえる。それでも、カップルが夕陽の中、ボートに乗っている風景は画になり、そんななかで歩いていると安らぎに近いものを感じられる。


黄山(HuangShan)

オンボロバスに乗って黄山へ。中国の田舎と思わせるような古い建物を抜け、走りつづけると黄山風景区。
そこは風景画の世界。早朝から登り始め、昼過ぎに最高峰に登頂。
家族連れが多く、ヤッホーと叫ぶ中国人がやたら目に付いた。
しかも、碑か何かにもたれかかりカッコよくポーズをとる人もいる。見ていて面白い。
ふもとの街にもどるころには、足が棒になっていて、もう歩けないぐらいになっていた。
おせわになったおじさんの店でご飯をすませると、違うおっさんが買春をしきりに斡旋してくる。
もちろん聞き流すだけだが、200元だと連呼する。
そういえば、シングルの部屋に泊まると必ずといっていいほど按摩(マッサージ)はどうかと電話があった。
毎回のように電話があると、ほんとに、憂鬱になる。気をつけてくださいね。


南京(Nanjing)

ここには南京大虐殺の博物館を訪れるために立ち寄った。中国の一方的な資料のみだが、いろいろなものを見ることができた。
戦争の悲惨さを十分にかみ締めることができ、とても心にしみるものであった。
ただ、資料が一方的過ぎるのが僕にとってあまり心地よいものではなかった。
中国という集合体を維持するためのイデオロギー道具の一つとしてこういうものを使っているような気がしないでもなかった。
でも、虐殺した事実は確かであり、旧日本軍の蛮行を体感し、日本人として歴史を実感するためにも一見の価値はあると思う。


上海(Shanghai)

蘇州を観光した後、中国一の大都市である上海へ向かった。
ここでは山本と合流していっしょに観光した。
その前に、船のチケットがJTBのバウチャーのままだったので、乗船券に替えてもらうために船会社の事務所に向かった。
だが、事務所がみつからない。移転していたからだ。結局、できたばっかのビルに移転していた。
今思えば、上海の地図ほど当てにならないものはなかった。
歩き方の地図を当てにしたのがわるいのだが、浦東地区は地図とはまるっきり変わっていた。
日に日に変化する上海の街は、僕のような短期滞在者にも実感できるものだった。
 話を戻すと、観光したのがあいにくの雨の日、東方明珠橙と金茂大廈を見上げたが上半分が雲で隠れて見えない。
とんでもない大都市だ。東方明珠の入場料がめちゃ高かったので相談してあきらめ、金茂大廈に行く。
くだらないプラスチックの入場カードをもらい、エレベーターに乗る。耳が痛くなるほどの高速エレベーター。ハイテクだね。
ってか、登っても、雲で周り100mぐらいしか見渡せない。がっかり。
そのあと、雑技団がどこにあるのか探し回り、道に迷う。上海人がでたらめなことしか言ってくれない。
庶民にはなじみのない娯楽なのであろうか。
どうしようもないから大世界という遊園地へ。
マジックショーとかいろいろやっていたが、山本と『しょぼっ』と連呼してた。
まるでバンコク科学博物館みたいだ。しょぼすぎて笑えてくる。
仕方ないから魔法の鏡で遊んでた。
そのあと、メシを済ませてバーで音楽を聞きながらその日にあったことをいっしょに振り返った。
夜中に南京東路に戻ると、コールガールが『ニホンジン』と声をかけてくる。
昼間の活気はいずこへ・・・?



浦江飯店から東に向かって歩いて10分ほどしたところにあるフェリーターミナルに行くと、大阪行きの船に乗ることができる。
利用税を支払い、イミグレーションを通るとバスがあり、そこから船に移動する。
利用税チケットを買うところに銀行があるらしいので見逃さないように。

旅客のメインは日本人バックパッカーで、他には家族連れっぽい中国人少しと水商売しに日本へいくっぽい化粧をした美人の中国のお姉ちゃんと、数人の西洋人バックパッカーが乗っている。
乗船等級は一等。ちゃんとしたコンパートメントになっていて、洗面所とテレビつきの小さな居間を4人で共有するようになっている。風呂つき、ラウンジもピカピカでトイレも洋式の水洗。
レストランも安くてそこそこおいしい。読書室もある。
ただ、沖縄のときとちがって、酔いが激しかったので酔い止めを飲んでその場をしのいだ。
瀬戸内航路ととるので、24時間後には九州北部沿岸にたどりつく。なのですぐに携帯電話は通話できるようになる。
関門大橋や、瀬戸内にかかる橋をいろいろみることができ、それなりにおもしろかった。

二等とあんまり価格が変わんないのでこちらにした。同じ部屋になったのは上海在住のおじいさん、上海で再就職したおじさん、あとアジアを股にかけてビジネスをしているおじさん。。
このような上海を毎日見ている方々と一緒に二日間もいられたので刺激的な話をいろいろ聞くことができとても面白かった。
これからの中国がどうなるのか、今回の旅と照らし合わせて考えることができた。
一致した意見として、『2010年の万博までは上海は発展するだろう』という話でした。あなたはどう思いますか?
中国に留学すると約束してしまったが、留学しないにせよ、またの機会に上海に行き、街の変化を楽しみたい。
これだから船は好きだ。

蘇州号HP(大阪−上海間)
このフェリーに乗船しました。


最後に...

3月20日に大阪に到着した。
その日がイラク戦争開戦日だったからか、全員大阪税関で荷物を開けられてた。
そのときに、SARSのチラシをもらった。帰ってくるのがグッドタイミングだったのか!?