Vietnam
Traveller:S.A
正式国名 | Socialist Republic of Vietnam |
国土面積 | 33万平方km |
首都 | ハノイ |
総人口 | 約7600万人(1999年) |
公用語 | ベトナム語 |
通貨単位 | ドン(VND) レートはこちら |
国番号 | 84 |
パスポート残存期間 | ビザ申請時3ヶ月以上 |
ビザ | 必要 |
電圧 | 110/220V |
周波数 | 50/60Hz |
電源プラグ | A/BF/C/SE |
在日ベトナム大使館
Vietnam National Administration of Turism
←ベトナム政府観光局公式サイト
海外安全ホームページ(外務省)
ホーチミンデイ(ベトナムの独立記念日)の、ホーチミン市、ホーチミン広場での出来事について書こうと思う。その日は朝から日差しが強く、とても暑かった。その日一日市内を歩きまわった僕は、その日がその国でホーチミンデイと呼ばれる日だということも、そこがホーチミン広場という場所であることも知らずに、たまたま通りがかったベンチに腰掛けた。
大抵の日本人がそうであるように、僕もすぐに何人かの子供たちから声をかけられることになった。ベトナムでは子供がココナッツジュースやポストカードを観光客相手に売り歩く姿は珍しくない。いちいち断るのも面倒なので、一番安いココナッツジュースを一つ買うことにした。本当はココナッツは嫌いなのだが、せっかくベトナムまで来たのだから、一度くらいココナッツジュースを飲んでもいいだろう。ところが、やはりあまりおいしくない。すっかりもてあましてしまった。
広場を見回すと、そこには二種類の子供達がいることがわかる。両親と一緒にきている子とそうではない子、遊んでいる子と働いている子、きれいな服を着ている子ときれいではない服の子。つまり、裕福な家庭の子と貧しい家庭の子である。僕がココナッツジュースを買った女の子も、肩にかけた棒にたくさんのココナッツをぶらさげて、重そうに持ち歩いている。年齢は12歳といったところだろうか。笑顔が素敵な子だった。
ドイモイ(刷新)政策により、市場経済を導入したベトナムは、目覚しい経済成長を遂げる一方で、当然のことながら、貧富の格差を生み出した。それがいいことなのか、悪いことなのか、僕にはよくわからないけれど、一つの広場の中で、これほどはっきりと見分けることができる、二種類の子供達がいるというのは、僕にとっては初めての経験だったし、なんだかとても不思議な感じがした。
ふと気づくと、日本で言えば小学校一年生くらいの男の子が、僕の隣に座ってこっちを見ている。別に何かを売ろうとしているわけでもなく、ただこちらをじっと見ている。しかし、服装を見ればそれが貧しい方の子供であることは一目でわかった。僕はベトナム語はさっぱりわからないので、とりあえず日本語で話し掛けることにした。英語で話しかけたところで、わかるはずもない。
「なにしてるの?」
返事はない。ただ不思議そうな顔で僕の方を見ている。まぁ、そりゃそうだろう。わけの分からない外国人がわけの分からない言葉で話し掛けてきたら、僕なら逃げ出してしまうかもしれない。ココナッツジュースの残りを勧めてみる。
「これ飲まない?もうあまり飲みたくないんだけど。」
そういって差し出すと、快く受け取ってくれた。ふむふむ、なかなかいい子のようだ。しかし、この子はいったい何をしているんだろう。観光客に何かを売るにしては、ちょっと若すぎる。英語での値段交渉ができなければ、話にならないのだ。お母さんはどこにいるんだろう。特にするべきこともないので、僕はその子に「太郎」という名前を勝手につけて、観察することにした。太郎のこぼしたココナッツジュースをふいてやり、ベトベトになった手を洗ってやると、太郎の方もすっかり僕に心を許したようで、僕の手をひいて広場の中をあちこち連れまわそうとする。僕は太郎と一緒に歩きながら、この子の母親を知っている人がいないか、訊いてまわることにした。
二時間くらいたった頃だろうか、太郎の母親は偶然僕たちの前に現れた。約二時間の間、太郎と僕は一緒にジュースを飲んだり、シャボン玉で遊んだりしながら、広場やその周辺を歩き回ってみた。太郎の母親に偶然出くわしたのは、もとの広場から100メートルほど離れた小さな通りで、お母さんは偶然自転車で僕たちの横を通りがかったのだった。自転車のうしろには、太郎の弟らしき子供を乗せている。自分の子供が知らない外国人に手をひかれて歩いていたら、心配の一つもするのかと思い、僕は出すぎた行為を反省しながら、ちょっと身構えてしまった。しかし、そのお母さんは心配するどころか、軽く僕に会釈をしただけだった。太郎を呼び、太郎の手に何かを手渡すと、すぐにまた忙しそうに自転車をこいでどこかへ行ってしまった。
お母さんが太郎に手渡したものは、五つか六つのガムだった。太郎が食べるためのものではなく、観光客に売るためのものであるらしい。僕と太郎は、ただしばらくお母さんの後姿を眺めたあと、またもとの広場のベンチに腰掛けた。
さて、どうしたものか。段々とあたりは暗くなってきて、広場にはたくさんの人が集まってきた。お母さんはどこへ行ってしまったのか。あとで迎えに来るにしても、広場にこんなにたくさん人がいては、探すのはほとんど不可能である。太郎を一人広場において、ホテルへ帰ってもいいものだろうか。途方にくれて近くのベトナム人に声をかけてみた。裕福な家庭の人がみんなそうなのかはわからないが、彼は英語で会話することがでた。ビジネスマンらしく、スーツをきて、太郎と同じくらいの歳の娘を連れている。この近所に住んでいるらしい。
「こういう事情なんですが、この子をどうしたらいいのでしょう?」
「さあねぇ。困ったなぁ。でも周りをごらんよ。そういう子はいくらでもいるんだよ。いちいちかまってたらきりがないよ。ほっとけば、そのうちお母さんが迎えに来るんじゃないかな。」
そういうものなのだろう。だが、知り合ってしまった以上、このまま置いていくのはなんだかかわいそうな気がしてならない。太郎はすっかり僕になついてしまって、僕がホテルに帰ろうとしたら、ホテルまでついてきてしまいそうなほどである。そのベトナム人のお父さんは、ホーチミンデイのセレモニーか何かを見るために、しばらくその広場にいるとのことだったので、太郎のことをお願いすることにした。彼は、彼とその家族が広場にいるうちは太郎と一緒にいると約束してくれ、さらに何かあったときのためにと、僕に住所と携帯電話の番号を教えてくれた。とてもいい人だった。
広場をあとにするとき、太郎がとても悲しい顔をしていたような気がする。お母さんは今ごろどこかで仕事をしているのだろうか。僕は次の日の朝早く、バスでカンボジアへ向かった。
※この文章は新歓の冊子に載せたものとほぼ同様です。
ホーチミンに着いた。凄い!何が凄いって勢いがすごい。バイクの数が半端じゃないし、みんなクラクション鳴らしながら走っている。女の人は肘まで隠れる長い手袋はめて、マスクをして帽子を被っていて異様な光景だ。まるでこれから強盗するような服装・・・なにせ初めての東南アジアだったから衝撃的だった。街を歩いていると「オニーサン、ドコイクノ」と何人からも声をかけられる。やっぱりオレは日本人顔なんだなぁと思う。悔しい(でも1回だけニーハオって言われた。ハノイでは2人に韓国人か?って聞かれた)。宿は客引きに勧められるままに歩いていってファングーラオ通りの裏にある名も無い宿にした(吉祥寺のハモニカ横丁みたいな感じ。1回迷って現地の人に助けてもらった)。一部屋5ドル。ホーチミンからバスで北上するつもりだったけど、中部のフエまで行くのに3日くらいかかるらしい。日程に余裕が無かったので仕方なく飛行機でフエに行こうとしたらなんと満席!結局ハノイまで飛行機で行くことにした(泣)
ハノイはホーチミンよりも落ち着いた街という印象。古い町並みが残っているところが多く、大きな道路も少ない。街を歩いていると、北爆の影響かと思われるボロボロに壊れた建物やガイドブックにも載っていない軍事関係の施設と思われる建物が沢山あった。警官が見張っていて一般人は入れない。ジロジロ見られて怖かった。
ベトナム人は英語が苦手らしく、観光客慣れしていない人はベトナム語しか話せないみたいだった。話せたとしても彼らの英語は全然聞き取れない。”How old are you?”は”How are you?”にしか聞こえないし、”Japanese”は”Germany” って聞こえる。アメリカ人も聞き取れないって言っていたから俺の英語力の問題ではないのです。
ベトナムは社会主義なのに貧富の差が激しい。ベトナム人でも裕福な人はハロン湾にツアーに行ったり、飛行機に乗ったり出来る。貧しい人は籠をかついで果物やらパンやらを売り歩いている。しかも籠をかついでいるのはみんな女の人!(男は何やっているんだろう?バイクタクシー??) 子供でも貧しいければ観光客に絵葉書を売ったり、果物を売ったり、生まれて間もない妹や弟の面倒をみたり。ある程度裕福な家の子供は、公園で友達と遊んだりすることが出来る。ある日、公園でボーっとしていたらベトナムの子供に囲まれたことがあった。その中の一人はレゴブロックらしきものを持っていた。比較的裕福な家で暮らしているのだろう。
最後にベトナムの食事について。フォーはおいしいけどずっと食べていると飽きてきます。値段も場所によって倍くらい違います。生春巻きはおいしいけど香草が苦手な人はつらいかも。ベトナムにはチェーというフルーツ盛りだくさんのカキ氷や、フルーツジュースや、いろんな甘い食べ物もあってハズレが少ない(と思う)。カキ氷食べたけどお腹壊さなかったし、露店でよく食事していたけど旅の間は元気でした。ハノイで会った日本人も、ベトナムはあんまりお腹壊さないって言っていました。
余談ですが、ベトナムでは日本人は男も女もモテます。その上ホモはオレの見た感じではほとんどいないようです。向こうから声を掛けてくる人は危ないけど、カフェのお姉さんとかに話しかけると仲良くなれます。でも写真を撮ろうとするとものすごく恥ずかしがります。3人で写真を撮るとき、真ん中に立つのも嫌がります。記念写真を撮るときは気をつけてあげましょう。