Brazil
Traveling Period : Feb 28- Mar 02, 2004
Traveller : KOKETSU Yusuke
正式国名 | ブラジル連邦共和国(Republica Federativa do Brasil) |
国土面積 | 8,511,965平方km |
首都 | ブラジリア |
総人口 | 15630万人 |
公用語 | ポルトガル語 | 通貨単位 | レアル(BRL) |
国番号 | 55 |
パスポート残存期間 | 申請時6ヶ月以上 |
ビザ | 必要 |
電圧 | 127/220V |
周波数 | 50/60Hz |
電源プラグ | A/C/SE |
在日東京ブラジル総領事館(英語・東日本在住の方はこちらから)
海外安全ホームページ
東京検疫所
海外一人旅は、一年生の春休みにした船旅以来一年ぶりのことである。もう一人旅の感覚を忘れかけていた。二年生の夏は、二ヶ月前に発症した自然気胸の手術の経過を見るために日本で過ごした。こういうわけで、一年ぶりの旅行となった。とてもわくわくする。格安航空券の購入から、ビザ取りまで何もが楽しい。だから、わくわくしながらブラジルビザ申請のために、領事館のHPからフォームをDLしたりと、いろいろ準備を進めていた
ビザ申請の当日、朝早くおきて、満員電車に揺られながらJR千駄ヶ谷駅で下車し、徒歩でブラジル大使館に向かった。20-30分歩くと大使館に到着した。駐車してある車のナンバーには、「外」と書かれている。いよいよ来たのだなとわくわくする。いよいよ大使館の中に入ろうとしたら係員に止められる。「ビザ取りに来ました。」というと、係員はなんと領事館への行き方の地図を渡してくる。ここではビザ申請はできませんとのこと。「急がないと今日申請できない。」そこで急遽地下鉄とJRを乗り継いで品川の五反田駅に向かった。領事館は駅の目の前にある好立地。とても便利だ。ビルの二階に行くと、領事館がある。中は銀行の窓口みたいになっている。ボイスコールまである。ビザ申請のための待ち人数は20人ぐらいだったろうか。申請窓口は2-3箇所ぐらいあった。しかし、申請者に旅行業者と思われる方々がたくさんいたので、その代理申請によるの大量申請のおかげでやたらと待ち時間が長い。それにしても、雰囲気まで銀行に似ている。係員は日系人なのだろうか。男はイケメンが多い。笑顔もまたかっこいい。女性もなかなか美人だった。一時間して、ようやく自分の番が回ってきた。「おねがいします」といって、サンパウロinリマoutの航空券、パスポート、写真を貼り付けた申請書を提出する。なにか書類が足りないらしい。ブラジルinoutの航空券が必要だったらしい。しかし、航空券はオープンジョーだ。「預金残高証明書は持っていますか?」とたずねてくる。もちろん持っていない。たしか、航空券を持っていない人が英文の証明書を提出するはずだ。ということはオープンジョーではだめなのか。しかも、25万円以上の残高でなければならない。どうして?「いいえ、ありません。」と答えると、誓約書を書かされた。内容は、いつ入国して、どのようにブラジルを出国するかというものだ。丁寧に記入し、サインをして改めて窓口に申請する。それが受領され、今度は隣にあるブラジル銀行の窓口にビザ代を払い込む。3,750円だった。大使館の換算レートだとR$25相当らしい。旅行中で気づくのたが、R$25は実質では1,000円もしない。驚きである。これで手続きは終了である。受け取りは、10営業日後である。早めにやっておいてよかった。ちなみに、領事館のHPをみると、申請書をDLできる。見慣れない項目がいくつか見られるが、領事館に行くと、日本語で説明された記入例や、日本語併記のフォームもあるので、申請日当日領事館で待ち時間に記入しても良い。ちなみに、写真は7×5cmと指定されていたが、僕はパスポートサイズの写真を無理矢理貼っておいたが何も言われなかった。逆に、7×5cmじゃなきゃだめというケースがあったと、どこかのHPに書かれていたので要注意。
あー、やっと着いた!これがサンパウロに着いたときの気持ちである。何しろ、成田からニューヨーク乗継での到着である。ちょうど地球の裏側。時差も12時間。ニューヨークまで12時間25分、さらに待ち時間5時間、そしてサンパウロまで9時間20分。あわせて約27時間!とんでもない。でも、途中イグアスで出会った人のなかに、ヴァリグのロス経由の直行便でやってきた方がいたが、給油に7時間待たされたとのこと。それにくらべれば、まだましなのだが。入国審査は、アメリカ人の指紋押捺によって、異様な行列ができていた。そんなこんなで、時差ボケ&睡眠不足の頭をかかえながら、ブラジルにようやく入国する。入国審査は、アメリカ人の指紋押捺によって、異様な行列ができていた。やっぱり暑い!30℃ぐらいあろうか。南半球は夏である。エアポートバスに乗って、tiete bus terminalに向かう。翌日のイグアス行きのチケットを買うためだ。歩き方のブラジル語講座を持ち出して、なんとか説明して購入する。そのあと、地下鉄で日本人街のあるLibeldade(リベルダージ)に向かう。アナウンスは何を言っているかわからない。ホームにある駅名がたよりである。電車の中ではカップルがあちこちでキスしたり抱きあったりしている。さすがラテン。リベルダージに着き、地上に上がる。周りには日本語があふれている!上を見上げれば鳥居にみたてた道路灯がずーっと並んでいる。この異様な雰囲気に感動してしまう。ブラジルで地位を築いてきた日系人の方々に感心する。ここでは客引きのような野暮な人々がいないので、久しぶりに旅をしている私にはありがたかった。
とりあえず、地球の歩き方で見つけた中国系のホテルにチェックイン。今回は予算がたっぷりある。ドミに泊まらなくていいから精神的にラクである。ホテルにはシャワー・トイレはもちろんテレビまでついている。チェックインしたらシャワーを浴びて、街に繰り出す。日本移民資料館にいったあと、さっそくリベルダージを散策。周りの店のほとんどが日本語の看板である。マックまで日本のものと同じカタカナの看板である。でも、日系人はみんなポル語をしゃべるので、わけがわからない。まず、おなかがすいてたのでレストランに入る。どうやら、中国料理をブラジル風に少しアレンジした料理を出すレストランらしい。それでも、ファーストフード店のような雰囲気で、好きな分だけバイキング形式でとる店らしい。支払いは、電子はかりで重さに乗じて決まるらしい。支払いを済ませると、「アリガトウ。」と言ってくれた。さすが日系人社会!と感心した。しかし、ご飯を食べ終わって歩き方を熟読していたら、どうやら、ポル語でありがとうのことを「オブリガード」というらしいことがわかった。なんだ、勘違いだったのか。でも、なんだかうれしかった。その後、日本書を扱う本屋や、お土産屋、日系スーパーに入って、水を買ったり、晩御飯を買ったりした。この後気づくのだが間違えて炭酸水を買ってしまったようだ。日本人には炭酸水は合わない。それからはAgua Sem Gas(スペ語ではAgua Sin Gas・ガス抜きの水)を買うように気をつけるようになった。晩御飯は、パック売りされていた、日本食。味付けは日本のものとは異なるが、そこらへんが外国らしくておもしろい。翌日、日曜日だったので出店がたくさん広場に集まっていた。ドラ焼きだとか、たこ焼きだとか、今川焼きだとか。今川焼きはとてもおいしかった。でも、あんこをどうやって作ったんだろう。そのあと、サンパウロ市の観光をして、夕方にバスターミナルからイグアスに向かった。
イグアスへは、夜行バスで向かった。夕方発で、翌朝現地に到着した。途中、何回か道沿いのサービスエリアに停車する。ブラジルは、リッチな国なのか、道も整備されていて快適に寝ることができたし、サービスエリアも、トイレまでが日本の高速道路のものと同じような雰囲気である。おなかがすいて仕方がなかったので、ファーストフードですませた。しかし、何がなんだかわからない。肉とフライドポテトというイメージが強い料理ばかりだ。途中でアナウンスがかかり、ご飯を食べ残してしまった。もったいない。同じくドイツ人カップルの旅行者も困っていた。彼女のほうがベジタリアンらしく、何を食べてよいのかまったくわからず、僕以上に困っていた。写真つきのメニューがあったらどれだけ救われることだろうか。でも、自分たち日本の料理店を思い返すと、商店街の定食屋とか、縦書きのおしながきしかない店ばかりでは…ほかの国のことを言ってられない?
さてさて、翌日にイグアスに到着した。バスターミナルからわけもわからずセントロに向かう。どうやら、セントロについたみたいだ。この日はイグアスに向かった。バスターミナルから、路線バスがイグアスの滝の入り口まで走っている。なにしろ、意味がわからないから、地図とコンパスをにぎりしめて、外を凝視する。イグアスの滝では、ひとりゆったり散策する。めっちゃくちゃでかい滝だ。さすが世界三大瀑布。ナイアガラに近いような雰囲気?滝のたもとに近づくと、水しぶきがすごい。下には虹がかかっている。この真夏のブラジルでも、水しぶき+マイナスイオンたっぷりのイグアス滝では、とても爽快感が感じられる。日本での疲れが吹き飛ぶようだ。気分をよくして、その日は町に戻った
翌日、イタイプーダムへ向かう。名前がおもしろい。とても痛そうなダムだ(別にウケねらいじゃないよ)。太平洋のO氏の親戚が近くに住んでいるらしく、彼もイタイプーに行った事があるらしい。彼曰く、ガンダムの基地みたいな雰囲気とのこと。見学料は無料だし、気楽にいきたい。ダムへは、バスを変な住宅地の中でわけもわからず乗り継ぎ、ようやく到着した。変な住宅地の中でおろされたときは、このまま拉致られるかと思った。ミャンマーでの痛い経験が思い出される。しかし、そんなこともなくイタイプーの入り口まで到着する。まず、施設に入るとイタイプーの偉大さをたたえる映画を鑑賞する。パラグアイにまたがっているため、ポル語、スペ語、英語の三ヶ国語放送であった。ブラジルとパラグアイで生産電力の半分ずつを分け合い、パラグアイではその90パーセントがイタイプーのものらしい。そんなことを聞いて感心していると、バスに乗り込んで、ダムに向かう。O氏の言うとおりになにかの基地みたいだった。NASAか何かの施設?めちゃくちゃでかい。バスで走っているときにバスが壊れたら僕たちはどうなるのだろうと考えてしまうほどだ。小学校のころ公園で作ったダムは必ず決壊したなあ。その後、イタイプーで出会った日本人と最初で最後のシュラスコ料理を食べ、本場の肉のおいしさを感じる。ただ、ちょっと高かったかな。その方に、アルゼンチン側イグアスを誘われれたが、その日じゅうにパラグアイに行きたかったので断ってしまった。あとで日程に余裕ができることになるのだが、それを知っていたら、見に行きたかったなあ