BOLIVIA
Travelling Period : 04 Mar - 15 Mar,2004
Traveller : KOKETSU Yusuke
正式国名 | ボリビア共和国(Republic of Bolivia) |
国土面積 | 1,285,216平方km |
首都 | ラパス |
総人口 | 27,148,000人 |
公用語 | スペイン語、ケチュア語、アイマラ語 | 通貨単位 | ボリビアーノ(BOB) |
国番号 | 591 |
パスポート残存期間 | 入国時6ヶ月以上 |
ビザ | 不要 |
電圧 | 110/220V |
周波数 | 50/60Hz |
電源プラグ | A/C/SE |
約24時間の長距離バス移動を経てサンタクルスに到着する。道中、警察の抜き打ちなど、ひどい目にもあったが、バスの乗客の励ましによって立ち直ることができ、ボリビアを旅行する気力もついてきた。ボリビアのイミグレは、草原地帯の中にぽつんと立っていて、「危険地帯に来たのか?」という印象を受けたが、そこでは何事も無く(何日滞在するかスペ語でたずねられ、10daysと英語とジェスチャーで答えるという馬鹿なことをしてしまっていたが…)パスできた。
サンタクルスは、海抜数百メートルの都市で、サンパウロよりも高度が低い。そこで、高山病の予防薬を買ったりして、これから続く高地の旅に備える準備をしようと思っていた。しかし、薬局で実際に買うのがためらわれる。現地の薬ってどこか怖いですよね?しかも、滞在日数が短く、日中に行動できる日が日曜しかなく買うことができなかった。南米では、日曜と土曜の午後は、ほとんどの店が定休日となっているからだ。日曜の街はものすごく閑散としていた。とりあえず、街歩きをしながらボーっとしていた。
この街ですごく衝撃的だったのが、電子メールだ。ネットカフェが衝撃的だったのではなく、僕に送られてきたメールが衝撃的だった。なんと、単位互換をしていた大学からレポート課題を出されてしまった…春休みなのに…それでも、国立大学にも関わらず、Eメールでレポート課題を送ってくれただけでも、本当にありがたかった!それだけで感謝しきりだった。しかも、課題締切日はまだ旅行中…どうしよう…これから…4000字のレポートだ…参考文献は…えーっと…
翌朝、スクレに到着する。そのままポトシに直行しようかと思ったが、とりあえず一泊することに。タクシーでホテルに向かい、来るべき高山病に備えた。けれども、体調に変化はない。ヒマだったから、街歩きをした。町並みがとてもきれいだ。ほのぼのとした雰囲気に、きれいな町並み。お気に入りの街になりそうだ。高台の教会から町を眺めると最高である。しかし、イヌは最低である。道を歩いてると追いかけられる。当然逃げる。予防接種、打ってこればよかった…
ポトシは標高4000m。「地球の歩き方」によると、世界最高地点にある都市らしい。ここへは、スクレから乗り合いタクシーでやってきた。普通にバスが出ているはずなのだが、スクレのタクシードライバーにうまく伝わらなかったらしい。それで乗り合いタクシーの集まるポイントで降ろされた。乗り合いタクシーには乗客が4人ぐらい乗っている。バスとお金は変わらないし、スピードも速いので快適だ。そのタクシーで出会いがあった。なにやら、大学生らしい。英語で意思疎通をしたり、僕の持っていた音楽を聞かせてあげたりした。BEGINの音楽に目が潤んでいたのには驚いた。やはり、どこか音楽は郷愁を誘うものなのであろうか。彼は、家のあるオルーロに向かう途中らしく、バス路線の関係からポトシを通過しないとオルーロにいけないらしい。夜に友達とバスで向かうみたいだ。僕はウユニに行く途中で夜まで時間があるので、一緒に観光することにした。
造幣局に向かうことにした。しかし、なぜか閉まっていた!残念!しきりに謝ってくれた。やさしいねえ。それから、レストランに入ってご飯を食べた。オムレツを食べたのだが、それが後々リバースの原因となる。その日、間違えて高山病の予防に効くとされているDiamoxを二回分も服用してしまい、極度に体がおかしくなってしまう。その一つが体の震えである。体がすごくジンジンする。フォークを持つ手も震えてくる。「カタカタカタ…」何かの末期患者のようだ。食べることは何よりも大事なので、精一杯、体に放り込む。
翌朝、起きると、明らかに何もない、ただ、蚊と雑草ばかり生えているところでバスが停車する。異様な湿気と、悪臭。ここじゃ、たしかに黄熱常在地域であってもおかしくない。黄熱、打てばよかったとさらに後悔する。しかも、イヌもそこら辺にいる。狂犬病も打てばよかった…狂犬病については、海外に出るたびいつも後悔している。少したつと、バス会社の人が外に出るように促す。乗客が出国審査と教えてくれた。イミグレで、また何かされないかと心配になる。小さな小屋に一人ずつ入っていく。しかも、戸を閉じられるので、何をされても文句をいえない。しかし、名前を確認するだけで、審査は終了。僕のことを心配げな目でみてくる乗客に、笑顔を見せてみた
その後、彼に付き合って、ポトシ大学に行く。友達の成績証明書みたいなものを取りにいったみたいだ。事務手続きにすごい手間取り、二時間ぐらい待つことになった。大学の学生課のようなところは、すごいごった返していて、警察官が学生を一列に並べていた。途中から割り込んで、自分の分もやってもらおうとする横柄な学生は並びなおすように後ろに追いやられていた。それを眺める学生の視線はとても冷たい…ここでわかったのは、ボリビアの学生にも、なんらかの流行があることである。とりあえず、ロン毛&サラサラヘアーは男子学生の流行である。服装もそれなりにおしゃれである。女子学生は、ポンチョに帽子といった、伝統的な服装の学生はいなくて、ほとんどは洋服を着て、どこかしら、ラテンの雰囲気を感じる服装の学生が目立った。「ボリビアの女はかわいくない…」ってボリビアの大学生が英語で僕につぶやく。女子学生が周りにいるのに、勇気のある発言だ…ちなみに、彼には「カノジョ」がいるみたいだ。携帯で頻繁にメールをやりとりしていた。ラブラブでした。ボリビアでもメールが使えるんだあっていうのに驚いた!
その友達の手続きが終わり、バスターミナルに戻る。高山病の症状がひどくなり、ついにベンチに寝込む。彼は僕のことをしきりに気にかけてくれた。お茶を買ってきてくれたり、体をさすってくれたり…とても優しい。その後、バケツ一杯分のモノをリバースしたら、だいぶ症状がよくなった。あのオムレツの味がした。
ぶっ倒れそうな体調で、真夜中にウユニに到着する。バスに乗り込んできた宿のひとに連れられて、宿に急行!一泊二ドルという破格の安さに驚かされた。翌日は、一日ベッドで安静にした。その次の日、ついに日帰りウユニツアーへ!
列車のスクラップを見たり、岩塩のパック詰めをする工場へ行ったり、塩のホテルにいったり、湖の中にぽつんとある島にいったり、火山島に行ったり…と密度の濃いツアーだった。そして、ランクルの車内も密度が濃く、すし詰め状態だった。アメリカ人とスペイン人っぽい老人と、あとはボリビア人大学生グループという構成だった。僕とアメリカ人は、スペイン語が少ししかわからないので、そのスペイン人や、ボリビアの大学生らから英語で説明を受けながら、旅行をすることができた。このコミュニケーションのおかげでとても助かったし、お互いの普段の生活について話し合うことができ、とても楽しいツアーとなった。専攻の話になって、説明が困ったときには、「商学部だけど『金儲けのために勉強している』」なんていうジョークでそれがウケた時には、なんか気分上々でした☆それに、途中で食べたサンドイッチが3日ぶりの食事で、とてもおいしかった!3月のウユニ湖は雨季で、若干水が張っています。水が波立たないので、水面が鏡のようになっていて、雲を反射していて、空中散歩しているような景色を見ることができます。とてもきれいでした。
また、僕の乗っていたランクルは、急病人を運ぶ車の道案内をするため、しばらく塩のホテルのあたりで待つことになりました。おかげで、きれいな夕日をみることができ、満足でした!といいたいところですが…実は、午後八時に乗る予定のバスに乗り遅れるところだったのです…。あきらめモードでランクルに乗っていると、反対側からもう一台のランクルが現れて、八時にオルーロに行く日本人は乗っていないかと聞いてきました。それって僕のこと…だよね?ということで、すぐにランクルに乗り移りました。すごい連係プレー。街にもどるのではなく、逆戻りをはじめました。バスを追いかけるのか…と思いきや、検問で停車。そのままバスを待つことに。バスが現れると、バックパックを持ったツアー会社の人が下車してきた!!すごい。優しすぎる!!こんなこと、日本じゃできないんだろうなあ。とココロの中でふと思いました。優しい対応に本当に感動でした。
オルーロには、ラパスに行くついでに立ち寄ったところです。オルーロでの思いでは、やはりバスにあります。ウユニオルーロ間のバスです。発車して二時間ぐらいでバスが停車。増水した川を渡ろうとしたら深みにはまったみたい…10時間ぐらい停車してました。夜明けになり、周りを見渡してみると、川の向こう側、そしてこちら側に10台ぐらいバスがたまっています。大渋滞だ。日本だったら、大きなニュースになるんじゃないか?とおもうぐらいの大事件です。バスの荷物いれの部分も、完全に水につかっている…バックパックを車内に入れておいてよかった…。夜明けには、バスに綱をつないで、数十人でバスを引っ張ったりしている。うーん、うまくいかないみたい。そんな姿を、欧米人旅行者は写真に撮っている。自分が手伝うでもないのに、どうしてのんきに写真を撮ったりできるのか…?はなはだ怒りを感じる。そればかりか、一部の日本人旅行者まで写真を撮りだす…うーん、これも人の考え方の違いなのだろうか…。そのあと、ほかのバスは明るくなってきたので、注意深くではあるが、進むことができた。僕のバスも、トラックに引っ張ってもらって深みを脱することができた!
そのままラパスに向かおうとおもったが、結局オルーロで一泊することにした。この日は、高級そうな店でステーキを食べ、そして街で一番豪華なホテルで一泊して体を休めた。
ついにラパスに到着した。この南米旅行では、ボリビアにずいぶん長く滞在している。数字ぐらいはスペイン語で言えるようになった。そんなボリビアの旅も、このラパスで終わりである。ラパスは首都だけあって、ボリビアの中でも一番栄えていると感じる。ファーストフード店もあるし、さまざまな金融機関などもそろっている。しかし、この街での目的は、もはや「勉強」でしかない。それは、サンタクルスで述べた4000字のレポート作成のことである。ラパスには、幸い、日本語版のウィンドウズがインストールされているネットカフェがあり、一日中こもってレポートを作成することができた。たまにブレーカーが落ち、文書が消えてしまう可能性もあるので、フロッピーを買って、まめに保存しながらの作成である。書いたレポートは、添付して先輩に送り、先輩がプリントアウトして大学に送ってくれたみたいだ。今でも感謝仕切りです。