コンサートのご案内

一橋大学管弦楽団Spring Concert2013

日時: 2013年4月13日(土)
    13時半開場/14時開演

会場: 一橋大学兼松講堂
(JR国立駅南口徒歩7分)

曲目: 交響曲第2番 /ブラームス
 スケルツォ・カプリチオーソ /ドヴォルザーク
 フィンガルの洞窟 /メンデルスゾーン

指揮: 田中 一嘉

入場料: 無料(全席自由)
*未就学児のご入場はご遠慮下さい。

皆様のご来場をお待ちしております。

アクセス

・JR中央線 国立駅南口より徒歩7分
 大学通りの右側を歩いていくと西キャンパスにたどり着きます。入って右側にみえる建物が兼松講堂です。一橋大学は大学通りを挟んで2つのキャンパスがあります。間違えないように注意!

・JR南武線 谷保駅北口より徒歩25分/バス 国立駅行き 一橋大学前下車
 大学通りの左側をずっと歩いていくとたどり着きます。少々時間がかかりますが、真っ直ぐなので迷う心配はないと思います。桜が咲いて綺麗なので、晴れていたらお散歩にいかがでしょうか。
   

フィンガルの洞窟

フィンガルの洞窟。それはスコットランド西部に位置するヘブリディーズ諸島の孤島、スタッファ島にある洞窟である。ごつごつとした玄武岩の無数の柱状節理が見られ、そこに波が打ち寄せる。 この楽曲は、当時20歳のメンデルスゾーンが、フィンガルの洞窟から感銘を受けて作曲したものである。ヘブリディーズ諸島の美しさや様子を音楽で再現しようとしたことが大きな特徴であり、 後にこの曲を聴いたワーグナーは、「メンデルスゾーンは第一流の風景画家である。」と賞賛したようだ。さて、そんなリアリティを追求した楽曲の要素を解説しよう。

ロ短調のこの曲は、ヴィオラ、チェロ、ファゴットが奏でる第一主題から静かに始まる。ゆったりと繰り返されるこのフレーズは波を表現している。このフレーズは楽曲を通して現れ、リズムや音量の変化などによって情景の変化を表している。 この曲では「波の表現」が非常に重要な意味合いを持ち、楽曲の様々な箇所で見られる。例えば13小節目では、チェロとコントラバスのベース音を一拍ずつ交互にずらすことによって、波の満ち引きを再現している。
平行調であるニ長調に転調すると、チェロとファゴットによる雄大な第二主題が始まる。裏でかすかに鳴る16分音符からは波のきらめきが想像できる。 ヴァイオリンが主題を受け継いだ後一時的に不安感がつのるが、弦楽器によるユニゾンと金管楽器によるファンファーレで序盤の最高潮を迎える。
さて、ここで楽曲は落ち着きを取り戻すが、pp のスタッカートで第一主題が始まると次第に盛り上がりを見せる。唯一ロングトーンを吹いているオーボエは注目すべきポイントである。 また、このスタッカートはメンデルスゾーンが乗った汽船のエンジン音を表しているという説がある。ともすると、このオーボエのロングトーンは汽笛を表しているのかもしれない。
再び序盤に回帰すると、クラリネットによるソロが曲を彩る。微かに朝靄がかかった海の様子が思い浮かばれる。ソロの後大きく曲調が変わり、高揚感を保ちながら激しい終盤に突入する。 様々なパートが順番に第一主題をノンレガートで奏でた後、弦楽器全体による圧巻の16分音符のユニゾンで最高潮を迎え、最終的に静かに終わりを迎える。

  上記の解釈はあくまで個人的なものだが、演奏を聴きながら波の音、洞窟の情景を思い描いてみてほしい。

スケルツォ・カプリチオーソ

「ドヴォルザークと言えば?」――新世界、ドヴォコン、スラヴ舞曲…。ある程度クラシック音楽を齧った者に問えばこういった答が返ってくるだろう(そして大体において、訳知り顔で楽しそうにそれらについてああだこうだと薀蓄を語り始める)。 まっさきに"スケルツォ・カプリチオーソ"を挙げるような変わり者など居ない。それもそのはず、ドヴォルザークの音楽史上の通説的定義は「チェコの国民楽派を代表する作曲家」であり、前述の名曲達はいずれもその特徴をたっぷり見出しうるものだからである。 私たちのイメージする所謂「ドヴォルザークの音楽」像は、土臭さや自然の美しさの巧みな表現、懐かしさや哀愁を覚える民俗性に求められるものであり、その点を他の作曲家と差別化して味わうのがドヴォルザークの音楽を楽しむ方法として手っ取り早い。

 "スケルツォ・カプリチオーソ"が作曲されたのは1883年。「スラヴ舞曲」を筆頭にチェコの舞曲・民族性を音楽の前面に押し出そうとする意欲が高まっていた時期であると同時に、その音楽性に対する国際的名声が獲得されつつある時期であった。  肉屋の息子として生まれ、才能には恵まれつつも困窮の中苦学した末、大作曲家としての栄光に踏み出す段に辿り着いたドヴォルザークにはこのとき、多少なりとも心理的な「余裕」が訪れていたのだろう。  スケルツォ・カプリチオーソ誕生の背景には、民族的であろうとする使命感や大衆受けを意識した切迫感ではない、気ままで自由、それでいて聴き手の心をくすぐるようなスケルツォ(=冗談、"諧謔曲")を書くだけの彼の心の安定があったことがわかる。
   この曲におけるドヴォルザークの聴衆に対する「おちょくり」方はさまざまだ。冒頭、ホルンの奏でる旋律は変ロ長調、そのまま進むかと思いきやtuttiで奏される同音型は変ニ長調。3拍子であることを忘れさせる2拍子ヘミオラ。すまし顔で踊るようなワルツ。  がらりと雰囲気が変わって登場するイングリッシュホルン(コーラングレ)の懐かしい響き。ゆったりとした音楽をかき消すかのように復活するホルン、ハープの幻想的なソロ、そしてなだれ込んでくるtutti。  また、曲全体を通していろいろな箇所で同じ音型を各楽器が入れ替わりで奏でる面白さ。

  名だたる名曲達を相手にする時の感覚とは少し異なった趣のある、スケルツォ・カプリチオーソ。先の展開がどう転ぶかわからないこのエキサイティングな小品を、是非会場でお楽しみ頂きたい。

交響曲第2番

4月、春の訪れを告げる暖かい日差しに包まれ、美しい兼松講堂でブラームスの「交響曲第2番」を演奏できることは至上の喜びである。 しかし、ブラームスの一生は、温かい陽気に満ちていたとは言い難いものであった。
簡単にブラームスの生い立ちを紹介する。 ヨハネス・ブラームスは1833年ドイツの港町ハンブルクで生まれた。モーツァルトやベートーヴェンとは異なり、音楽的にも経済的にも決して恵まれた環境ではなく、幼いブラームスが家計を助けるために酒場のピアノ弾きのアルバイトをしなければならない程であった。
しかし良き師に巡り会い、順調に才能を伸ばしていった彼は二十歳の時知り合いの音楽家と共に演奏旅行に出かけ、デュッセルドルフでシューマン夫妻と運命の出会いを果たす。シューマンはブラームスを雑誌に天才として紹介し、まだ若く全くの無名であった彼の名を世に送り出した。
そしてこのシューマン夫人ことクララ・シューマンこそ、彼が生涯に渡り愛情を捧げた彼の「忘れえぬ女」であった。彼とクララについては様々な憶測が飛び交い、ここで詳細を述べるのは控えるが、ブラームスはクララの死に際し、「私が本当に愛した、ただひとりの人間。それを今日、私は墓に葬ってしまったのだ。」と語ったと言われる。
ブラームスは幾度かその機会があったにも関わらず、終生誰とも結婚しなかった。
性格も気難しく引っ込み思案で、親しい人にも本心を打ち明けられず、自ら自分の人づきあいの悪さを悩み、自分の殻に閉じこもってしまうような人間であった。
こんな内面でありながら、ブラームスは作曲家として社会的に成功した数少ない人物でもある。音楽史上ほぼ初めて創作活動のみで富と名声を生前から築き、創作範囲もオペラ以外の多岐に渡り、特に交響曲は4つ全てが傑作と評され現代でも絶えず演奏されている。

今日の「交響曲第2番」は、ブラームスが苦しみ抜いて生み出した「交響曲第1番」のすぐ後に書かれたものである。彼が「第1番」に20年の月日を費やし「ベートーヴェンに比肩できるものでなければ」と納得のいくまで構想を繰り返し己の全てを注いでようやく完成させたのに対し、「第2番」はひと夏であっさり書きあげられてしまった。その曲調も他の3つの交響曲と比べ大きく異なり、明朗かつ柔和で美しい。 ここで曲の構成を詳しく見てみよう。

第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ
ソナタ形式。曲はチェロとバスででる「レ―ド♯―レ」でゆったりと始まるが、この3つの音は全曲を支配している基本動機である。主題動機の統一性というのは交響曲第1番以上に第2番で顕著である。ホルンと木管により第1主題がゆったりと語られ、静けさの後ヴァイオリンのさわやかな旋律が木管へ移っていく。第2主題をチェロとヴィオラが切々と歌うと、歯切れよい律動が現れ、強烈なスタッカートののち提示部が締められる。展開部では弦と管に感情激しく対位法が起こり、トロンボーンの神秘的な響きに劇的なクライマックスが続き、曲は再現部へと進む。もっとも優れていると言われるコ―ダで独奏ホルンと弦が夢のように美しく旋律を奏で、やがて弦のピッツィカートで第1楽章は消えゆくように終わる。 この楽章が「沈みゆく太陽が崇高で真剣な光を投じるたのしい風景」といわれるのにも納得できる。

第2楽章 アダージョ・ノン・トロッポ
チェロがもの寂しげな美しい第1主題をうたい、ホルンの甘い旋律が順々に移っていく。木管の可愛らしい第2主題はヴァイオリンに引き継がれた後、チェロとヴィオラが暗く情熱的に旋律を高めていく。ヴァイオリンの経過主題が劇的に締めくくられると最後に第1主題が木管にちょっと現れ、夕闇に投げかけられるようなティンパニで静かに結ばれ、ブラームスの激情は穏やかに消え入る。

第3楽章 アレグレット・グラツィオーソ
チェロのピッツィカートに誘われ、オーボエが素朴な中心主題をかわいらしく歌うと、拍子を変えたプレスト・マ・ノン・アッサイの第2部が弦により小気味よく始まる。第1部に戻り弦が三音動機を執拗に続けた後再び曲は速まり、弦がせかせかと動き、最後に中心主題が変化しつつ再登場する。 初演の際アンコールとして第3楽章が用いられた。

第4楽章 アレグロ・コン・スピリート
ソナタ形式。ささやくような弦の第1主題に管が応えていくかと思うと、歓びの爆発のような全合奏が起こる。喜ばしい流れに乗ってヴァイオリンとヴィオラの情熱を秘めた第2主題が歌いだされ、展開部では祭典のような賑やかさになる。再現部は第1主題でひそやかに始まり、トロンボーンの重々しい第2主題の後、生きる喜びを体現するが如く歓呼は華々しく締めくくられる。

この交響曲はオーストリアのペルチャハという風光明媚な土地で書かれ、ブラームスの「田園交響曲」と言われるのも確かにうなずけるが、第2番の本質はそれだけではない。 彼は単に田園風景の美しさをそのまま表現したわけではないのだ。
「交響曲第1番」という重荷から解き放たれたブラームスは、豊かな自然の中で心の平安を得、彼がその心の中で大切に守ってきた美しいものを音に落とし込んだのではないだろうか。その美しいものは、ひたむきであった少年の頃の思い出であったり、永遠の理想である女性への憧憬であったかもしれない。

ブラームスの生涯は孤独であった。唯一愛した女性は10も年上で、8人の子持ちのうえ、恩師の妻であった。彼女が危篤との報を受け取り汽車に飛び乗ったが、行き先を間違えたため死に目には間に合わず、棺の蓋を閉めるところに間に合っただけであった。
ブラームスの音楽は彼の孤独を反映してか、翳りがある曲が多い。他の3つの交響曲も彼の苦悩や寂しさを感じさせるものである。彼は交響曲第1番が完成した時、「僕の交響曲はちっとも愛すべき作品ではない」と人に語ったそうである。
これらを斟酌すると、いかにこの交響曲第2番が特異な作品であるかがわかる。
交響曲第2番は、彼自身が「愛すべき音楽」になるようにと書いた、幸福に満ちた音楽なのだ。

 
  
  

ご挨拶

特設サイトをご覧いただきありがとうございます。
スプリングコンサートは、第61代メンバーでの最初のコンサートです。 当団は様々な大学から団員が集まっているためサークルの時間でしか顔を合わせられない人も多いですが、 試行錯誤しながら演奏会や学園祭などに取り組んだり、時には一緒に旅行に行ったりすることによって仲を深めています。
このスプリング期間でも、春休みということで合宿を行ったり、一部で他の演奏会に出演したり、学年旅行やスキーに行ったり・・・と真剣に・楽しく 充実したオーケストラライフを送っています。
4/13に皆様と素敵な時間を共有できるよう、これから本番まで更に頑張っていきたいと思います。是非お越しくださいね。
最後になりましたが、当団はトレーナーの方々、顧問の先生、何代にも渡るOBOGの方々、さかえや様、お客様、国立市民の皆様、、 と多くの人のご支援で成り立っています。心より感謝しております。これからも一橋大学管弦楽団をよろしくお願い致します。

 
  
     

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