戻る卒業50周年記念大会をふりかえって 昨年11月19日の卒業50周年記念大会を機にP組馬場肇君が開設した昭和三五会のホームページを この度L組石井暉雄君が引継ぎ,リニューアルしてくれました。 「責任者」として白石がその任に当たることになりました。 これから充実した余生を過ごしていくためには仲間同士の連帯が不可欠で, 当ホームページがさまざまなコミュニケーションの場として活用されることを願います。 我が昭和三五会の近年最大のイベントで,このHP誕生のきっかけにもなった卒業50周年記念大会を, 実行委員会事務局長として簡単にレビューし,次の55周年につなげたいと思います。 50周年記念大会は夫人・遺族を含め287名も出席するという大盛会であった。 最近の50周年大会の中で評判の高かった昭和34年会が夫人を含めて232名であったからこれと比べても盛会ぶりが分かる。 この成功の要諦は何だったのか。大会当日まで4回開かれた実行委員会を軸にレビューしてみたい。 (1)早めにアドバルーンを掲げた。Dデーより2年近く前の09年2月19日に第1回実行委員会を開き, 次のように基本的事項を取り決めスタートを切った。 @ L組からW組まで各組5人づつ計50名の実行委員とその内各組1名の代表委員を了承 A 実行委員長(W組茂木賢三郎)と事務局長(P組白石武夫)を互選 B 開催日を10年11月19日に決定 C プログラムの概要を承認 (2)早々と記念講演会の講師が内定した。パーティーと並ぶ大会の二本柱の一つである記念講演会の講師に 中谷巌一橋名誉教授(昭和40年経)の内諾を頂いた(09年8月末)。これで準備は大きく前進したことになる。 (3)母校ホームカミングデイとの連動。 10年2月25日の第2回実行委員では5月8日実施の母校ホームカミングデイへの対応を議論し, 大学行事終了後,国立周辺でクラス会を開くなど,大会につなげるようにしたらどうか等の提案があった。 (結果,約半数のクラス会が行われた。) 10年5月25日の第3回実行委員会ではいくつかの基本的事項を決定し, 結果として大会の成功に寄与した戦略的に重要な委員会であった。 (4)(5)には委員会の決定事項とその後の経過ないし結果を含めて報告する。 (4)精度の高い組別名簿が完成した。実行委員は如水会事務局作成の組別名簿を点検し, 精度を高める作業を6月までに完成させ,結果を事務局長に提出することにした。 @ 作業の対象には如水会を退会した者も含める。 A 各組実行委員は出席を勧誘し出席者数の感触をつかみ,その結果を事務局長に報告することにした。 B 以上の結果を事務局長が集約して如水会事務局にフィードバックし,より精度の高い名簿が完成した。 C それをベースに8月末に案内状を発送した。 次の事実は以上の効果とも言えるのではないだろうか。 ○ 今まで一度も記念大会に出席したことのない人がかなり出席した。 ○ 如水会退会者が13名も出席した。 ○ 案内状の戻りが従来より少なかった。 (5)プログラムに工夫をこらした。 ご夫人方に出席してもらうためには,ご夫人をターゲットにしたプログラムが必要との観点から 田中政彦P組実行委員のご令室由美子さんのピアノ,歌唱指導,ご令嬢由起子さん(ソプラノ歌手)の協力を得て 「お茶とケーキを主体にした安らぎの広場」をオープンすることにした。以上が原案であったが, 最終的には男性合唱団「コールメルクール」のOB合唱団である「マーキュリーグリークラブ」とのコラボレーション, 「音楽を楽しむコーナー」として実現した。「如水会報」11年1月号に載っている通り大変な盛況ぶりだった。 (6)大会直前の10年11月8日に第4回実行委員会を開き最後のつめを行った。 P組 白石武夫 戻る