予科の頃
6組 大居啓司(札幌)
予科に人校した頃、ふらんすに漠然とした興味を持っていたせいか、ふらんす語の授業は楽 しかった。中でもブルニエ先生のふらんす語はいつも聞さ惚れていた。
そんな時、ふらんす語を映画館で聞こうというグループができた。高橋、長谷川、松田の三君と私だった。これがきっかけとなり、四人の ささやかな映画鑑賞のグループができあがった。 当時は映画が最高の娯楽だったことを考える と、当然のなりゆきだったとも云える。けれども、今考えてみると、年毎に社会の重圧を感じるようになった私たちが、外国映画のなかに、自由な人生の生き方を見出したのではないかと思っている。 私たち四人はそろって映画見物に出かけた。
やはりふらんす映画が中心で、とりわけジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品の底に流れるベシミズムに感動した。
映画が終わると、喫茶店トリコロールに行くのがきまりだった。そこでは14・5才位のギャルソンがいて、客の注文を受けると調理場に向かって、アンカフェショーとか、トロアカフェフロアとか叫ぶ。何となくふらんすの雰囲気があった。やがて運ばれてきたコーヒーを飲みながら、私たちの話しは尽きなかった。高橋君は「商船テナシティー」にでてくる水夫のせりふ「港の雨はさびしいねえ」がお気に入りだった。良谷川 君は得意のものまねで、今日見た映画のさわりを演じていた。松田君は無口で、静かに皆のしゃべるのを聞いていて時折うなづいていた。
私の友人に「私の青春は映画とともにあった」という人がいる。私はこの言に全面的には賛成しかねる.映画を職業とするのであれば兎も角、一般の人にとってはこれではさびしい。予科の頃は古い時代ではあるが、それなりに青春はあったと思っている。けれどもトリコロ−ルのひと時は、私にとっては何物にも換えがたい青春の一コマとして、60年経った今でも私の心のうちにはっきりとのこっている。
高橋、長谷川、松田の三君はもういない。きっとあの世でふらんす映画を語りあっているに違いない.