東京商大予科の思い出
1組 末永隆甫(神戸)
私が東京商大予科を受験したのは昭和11年3月初旬であった。この年は2月末に大雪が降って、東京のどまん中で例の「2・26事件」が突発した。入試が中止こならないかを心配して早目に上京したが、予科の試験場は都心から遠く離れており、私の心配も杞憂に終った。
さて入学を許可されて、私は新築の「一橋寮」に入った。(第1回の寮生)。入学早々に驚いたことは、この学校の雰囲気が、中学時代の「軍国主義」とは全く異り、「人格主義」に基づく徹底した「自由主義」であったことである。
当時の日本国は満洲事変以来「八紘一宇」の名のもとに、中国から始って東南アジア諸国にまで「侵略戦争」を拡大しっっあり、日本国内では次第に物資が窮乏化して、国民の日常生活も「配給制度」のもとで急速に悪化していた。
ところが東京商大予科では「戦争など何処吹く風」といわんばかりに、「反国家主義」の伝統が強調され、「官業の中の私学」というこの大学の特性が折にふれて強調されていた。私が予科に入学して間もなく「白票」事件という学生運動の中に巻さ込まれ、軍国主義教育で中学時代を過した私にも「大学の理想的改革」とか「自由は死もて守るべし」とか、全く否定しようのないスローガンが突きっけられ、「天皇制護持」の軍国主義から今度は「反戦・平和主義」「西欧的・自由主義」の方向に「洗脳」さ れていった。
敗戦後、既に半世紀以上を経過した現在、予科時代に体得した「人格主義」にもとづく「自由主義」哲学こそ敗戦後の「新憲法」の平和主義、民主主義につうじる不滅の真理であったこ とを、私は誇りをもって回想するのだ。
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「回顧」「学生生活」をクリックしてください。文中の「北寮13号」をクリックすると末永君の写真が出ます。、末永君と同室だった山岡・松下先輩、前田、山崎と一緒です。松村君が写したものと思います。左より故 山岡博次氏(S15 寮歌 紫紺の闇 作曲)
末永隆甫君(神戸大学名誉教授);故 松下保彦氏;山崎坦;故 前田勇君(銀行頭取)。