山口高商の思い出
7組 坂本 保
茫々62年もの昔のこととて、とりとめもないことを一筆書きましょう。
昭和11年春、下関商業(現高校)を卒業、山口高商(現山口大学経済学郡)に入学した。その頃は殆どの一年生は学校に近い寄宿舎に入った。同窓会は鳳陽会と言い、寮は鳳陽寮と言った。舎監は柳十郎と云う厳しい退役軍人であった。寮歌は次の通りで、曲も詩もなかなか佳い歌であったので四番まで全部書く。
1.花なき山の山かげの 月も宿さぬ川の辺の
はせに立ちたる学び舎に 起き臥す友よいざ集え
2.都男子(オノコ)の思うどち 折りかざすてふ山桜
浮世のさがの色見えて 風にもあえぬ心かな
3.酔(エ)いしれ果てて中河の 月に浮かるるざれ歌は
さもあらばあれいざやいざ 益荒(マスラ)丈夫(タケオ)のうたげせん
4.鳳翩(ホウベン)の峰低くとも 椹野(フシノ)の流れ細くとも
とこしなえなる山川は わが友垣の姿なれ
寮歌にある通り校舎の裏は直ぐ山になってい山口市の中央も利家の居城跡の庭園であり、亀山公園と云い其処からの眺望は誠に伸びやかな景観が開けていて今でも懐しい。学生は休憩時間には裏手の道を駆け登ってこの緑の芝生に寝転がって青春を謳歌したものだった。
山口市は下関から約1時間山陽本線の小郡(オゴオリ)町へ出てへ出て山口線に乗り換へ、湯田温泉を経て盆地に辿り着いた処で、その先は名勝津和野や萩市へと続いている山紫水明の学都である。
市内には大内氏の史跡が多く瑠璃光寺の五重の塔、ザビエル記念聖堂、常栄寺雪舟庭、毛利家菩提寺等がある。
私の思い出の中には下関商業の2年先輩大島一郎氏、1年先輩の村和上昇二氏の後を継いでYMCAのグループ活動羊牢会(ヨウロウカイ)の幹事をしたことがある。聖書研究を中心とした月例会で菱川、古川、鐘ケ江、滝沢教授の宅を巡回して“羊の檻”という会誌をガリ版で年数回発行した。それらのノートや印刷物が沢山あったのを下宿の小母さんが風呂の焚きつけにして全部燃やしてしまったのは残念でびっくりした記憶がある。
我々は昭和14年4月山口高商卒業後東京商大に合格入学した。壷井、恒成、金彰模(故人)、本田(故人)、坂本、魚本(故人)、佐藤(故人)の7人にくわえて枝広、廷田(故人)の9人であった。中でも恒成勲君は私と同じ下関出身で幼椎園から大学迄同期生であるのは奇縁と云うべさであろう。
思えば多勢の人が人生交友の波浪の中で通り過ぎて行った。この珠玉のような思い出は永遠に大切に秘蔵成してゆきたいものである。
(註) 金彰漠君(故人〕の名前は改名前の名で(山口高商時代)、十二月クラブ名簿(脱落)P.73の中山ゼミ欄の△金原(哲)君のことである。消息不明となっているが故人である。