三組 関 大一郎
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国立の松林の中、静かに聳える時計塔が、雲に刻んだ三十年の月日。校門を去った我々は、狂気じみた兵営へ、戦場へ、そ して戦後の今尚続く混乱の時代へと、激動の日々を送りました。今、一つの時代の区切りとして、同窓の昔に還って語り合う のは、楽しくも又有意義なことと思います。 正月に因んで、卒業後見た幾つかの初夢を披露します。痴人何とかと云われそうですがどうして何とも不思議な話なのです。 昭和十八年二月一日の朝、新京の経理学校の温かい班内で、私は今しがた見たばかりの夢を思い出していました。縁先に宅人が二人立って居ました。一人は母方の亡き祖父、他の−人の顔はよく見えません。こんなことを言うのです。「お前は今年遠い処に旅に出る。私がついて行ってあげる。用意しなさい。」 詰らぬ初夢を見たものだと、気にも止めませんでしたが、二月半ば、昭南島へ出征命令が来ました。私が単純にこの夢を信 じた気持は、分って戴けると思います。それにしてもは八つの時から五十三の今日迄、たゞ一度見た祖父の夢が、出征の年の初夢だったとは、今でも不思議なのです。私はそれ迄、堂々と掲げていた無神論の看板を、そっと外し、地獄三丁目八百番地の祖父宛に、四季の便りを出すことにしました。 二番日の初夢は、嫌な夢でした。暗い海を戦友達と泳いで、沖の母船に帰る。回りは無数の鱶の屍骸。空には赤い星の群が、 音をたてて流れて行く。見たこともない不吉な夢でした。二十年二月一日の朝、西貢の火焔樹を洩る陽光の下で、週番士官の 私は、兵隊に話しました。「今年は実に大変な年である。皆は決して病気などしない様に。」 八月、抑留キャンプで、兵隊達は元旦の奇妙な注意を想い出して呉れただろうか、というのは、その頃私は意気揚々と営門 を出て、自由の風を吸いながら、南支への旅に上っていました。 翌年、西貢の広東人の家に寄寓して居て見た初夢は、これは春から縁起が良かった。白髪の老人が、鍋一杯におでんを煮て奨めて呉れるのです。私が中からとり出したのは、 ゆげの立つ一匹の小さい竜でした。それは皿から食卓に歩き出しました。 「竜は煮ても生きて居るのですね。」と私が云うと、老人は黙ってうなづいた所で眼が覚めました。 さてその七月、私は蘇生を体験したのです。世界平和と一口に言うけれど、具体的にどうしたら実現するか、という事を、 暇にまかせて三十日考え続けました。粗大な頭から出るものは、矢張り粗大な迷論なのですが、私はすっかり満足して、朝食に向いました。すると、米飯が土の臭いがするのです。驚いて豚肉をかぐと、これも土の臭い。考えて見たら十一日間という もの、一睡もしないで考え込んで居ました。体力は尽きて、五歩と歩けません。その夜、足から冷たくなり始めました。朦朧 とした意識の床で、私は三つのかけをしていました。私の考えた世界平和の構想が‥若し正しく、且つそれが実現され、尚、 世界中の人々が喜んで呉れるならば、私は生返ってやろう、と。やがて腹迄水の様に冷えた時、意識が無くなりました。どれ位の時間が経ったのか、右腕の内側に針先が触れたような感じがし、その回りがしびれ始めました。それが肩まで釆た時に、 再び失神しました。私の蘇生で、一喜一憂したのは、見守ってくれた馮さん一家ですが、今でもあの体験は何だったのか分りません。眠って覚めただけかも知れません。或は十日も寝ないと、全く楽に死ねる貴重な実験だったかも。 この辺で、私の生涯の夢を聴いて戴きたいのです。 予科二年の夏、日支事変が始まりました。私は戦死する若い仲間が、余りに可愛そうでした。聖戦で東洋平和が来るなど、 ナンセンスという価値さえありませんでした。私は亜細亜と、世界の暗い未来と、その解決法を考え始めました。二百万の仲 間を殺した東洋平和の四文字は、実は底無しの難題に繋がっていました。東洋平和の先には、世界平和がなければなりません。 それも、百年や千年で壊れるような平和では、始めから無意味です。こんな道に迷いこんで、後悔しながら三十年かゝってしぼり出した決論はこうです。 フランスの自由、ソビエトの平等の二つの革命だけではまだ完結して居ない。其処には温い人間牲がない。第三の革命、国 家の最高権力者を対象とする友愛の革命が必要なのではないだろうか。私には、元首という元首、それは墳墓の中の帝王達も 含めて、総べて大なり小なり間違っていると思われます。 二つの革命思潮の激突するベトナムの火を、第三の革命で消止めたい。これが生涯の夢の第一歩なのです。そんなこと実行出来るかと思われるでしょうが、秘策が一つあるのです。一国で第三の革命が実現すれば、次第に他にも広がるでしょう。日本の経済力が、この友愛革命の波に乗って、亜細亜から全世界に押出す時、世界平和は夢ではない、というのが私の夢なのです。痴人の夢かも知れません。然し広大な亜細亜各地に、青春を散らした二百万の仲間達の夢でもあるのです。
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