六組 小島 魁
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平凡なサラリーマン家庭の長男として生れ、おとなしい、真面目な、人の良い学生々活から海軍へ。いきなりトラック島からラバウルに行ったが翌年からは内地勤務となり、無事終戦。三井物産勤務一年半で父の店に去った。父と二人だけの事もあって苦心惨憺、金の苦労の長かったこと。機械製図の勉強をして、自分で鍍金装置の設計図を書いたり、スクーターで荷物を 運んだり、税務の勉強をしたり、女性の事もあったり、焼酎を飲んだり、登山、囲碁、小唄―結構忙しい生活であった。 父のお蔭で土地と家があるので非常に助かったが、貯金は現在ゼロ。払い込んである生命保険料丈けが唯一の財産である。会社は一応安定して来て目下は金の心配なし、従業員二十四名。 父は健在なるも、母は昨年逝去。今年は長男(興人勤務)にお嫁さんが来て呉れた。次男三男は大学の四年と一年。妹の一人息子と共に八人家族。「生長の家」の書籍を読み、講議を聴いて三十五年。スカッと一遍に飛び込む人も居るのに自分のは随分長い準備期間であった。 「説教するな、事実を語れ」 「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」 「親の言うことを聞けないのは、勇気がないからだ」 「教育とは自分を教育することである」 など忘れられない言葉である。 昭和四十四年―胃潰瘍手術、河口湖練成参加。同四十五年―三島事件、地区組織加入。同四十六年―地方講師拝命、献本運動開始。同四十七年―「誌友会」指導開始(四、五人から二十人位迄の集会で話をしたり相談に乗ったりする)献本運動拡大
「愛行が我が人生の始まり」とするならば、之からは何か人様の御役に立つことを出来る丈けさせて頂くことにし度い。今からでも遅くはないから自動車の運転免許を取って、酒の量は少くして、コマゴマと何か御役に立つ事をやり度い。 殊に正しい信仰の普及と、より具体的には、正しい人生観、正しい生活法と、正しい教育法の普及と、公害防止対策と云うか、美しい国土を子孫に残すことの為に、何か自分に出来る事があるならば、神からアイデアと力とを頂いて、自分に出来る役割を務めさせて頂き度いと切に思う。 それが、つまり「愛行」であり、そして「愛行が人生の始まり」であるならば、之からが本当の人生であり、今迄は単なる準備期間であったと云うことになりそうである。 幸にして命永らえて、である。 二十年三十年先になって、自分で自分の此の文章を読み返した時、果して何如。興味津津たるところである。 |