六組   中山 幸治郎

  私は片田舎の小学校から町の中学に入学した時も一人、中学から遥々一ツ橋に入学した時も一人、その度に交友の枠も広くなったが十二月クラブ会員諸兄との結び付が、自分の人間形成に最も大きな影響を及ぼしている事をしみじみと感じている。戦中戦後の動乱を経て社会に踏込み現在の様に損害保険代理店の仕事をしていると接触する年層も厚く幅も広く、その交際の基盤となっているのは過去の貴重な人間形成にある事を日頃体験している次第です。富士山麓の野外教練で始めて小島学兄よ り「ホープ」をすすめられ煙草の味を覚えたり、井ノ頭公園での級会で始めて酒の味を覚えたり諸兄に手をとり足をとって教えて戴いた事が如何にその後の小生の実生活に役立って来た事か。亦戦時中、技広大兄と同じ御用船に乗組み、魚雷攻撃を受 けて半日波間にプカプカ浮いていたり、南方各地で会員諸兄と偶々顔を合せては別れ、自らは悪運強く内地の生活にカムバックしながらその幾人かは幽明境を異にすると云う話などをうかがうと、つくづく人生の運命を考えさせられる、またそれを考えさせられる年功も経た証拠かも知れない。願わくは、自らの貴重な体験を自らだけのものとせず次の世代によく引継いでおきたいと思う。十二月クラブ会員諸兄の楽しき集いに加えて子弟の会合も発足する様にでもなればその希望の一端は実現出来るのではないだろうか。学生時代、べ−トーヴェン第五「運命」と云うと随喜の涙をこぼした。只感じ入っただけで楽聖が何でこの交響曲に「運命」と名付けたのか、その深さは当時うわの空だった様に思う。最近は雑事にかまけて、ゆっくり音楽を 聞く暇もないが、たまさかの雨の休日などレコード音楽にひたる時、同じ曲で心に喰込む度合が昔と全然異るのは何時の間にか年功がなせるわざか、昔日の如き純粋さを失った為かも知れない。妄言多謝。