七組 橋本 八十彦
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春は小金井の桜、秋は多摩川の梨と年々くり返しながら、昭和十一年から十九年までを、 国立や小平等武蔵野で過したわけだが、十七年から十九年は同じ武蔵野でも陸軍経理学校での生活であった。昭和十一年何も知らぬポッと出のいなか者として専門部入学、以来あまり学問の方には目がむかなかったけれども、武蔵野や奥多摩を歩き廻ることだけは、人一倍努力したつもりである。当時「専門部会報」に「武蔵野ところどころ」というものをものして、井浦主事にカ作(?)といわれたことも夢のような昔話になった。図書館の屋上からみる丹沢と富士は、いつも日本一と思っていたが、今のようにスモッグで消されていると癪にさわって仕方がない。宇垣一成氏が馬で散歩していたのもあの頃だった。 国立は、最高の学園都市だといわれていたが、やはり東京都心部にあまりに近すぎたのであろうか。環境保全などということが、急に言われてきたが、あの当時自分を育ててくれた武蔵野(とくに国立)を思い出すと、日本全体を汚したくない気持でいっぱいになる。いま自分は、神戸に勤務している。でも国際空港がどう都市に影響を及ぼすかとか、海上汚染の問題が、日常の話題に上っている。自然と経済成長の調和については、国立で教育を受けた自分達が、それなりに誰よりも真剣にとり組むべきテーマのように思えてならない。 |