五組 高橋 勝
|
||
東京市立第一中学(現九段高校)で、一年生の時からバスケットに打込んだ。勉強を怠ってもバスケット丈けは心身を打込み精進した。四年の時僅かに六名のメインプレーヤーで全国制覇の光栄に預った。(準決勝では大学時代一年先輩の名人広岡君の京都一中と対戦。ポイントゲッターの広岡君を私がマークして彼の得点を十二点に抑えて勝った。ちなみに彼は準々決勝 で31−32点もポイントした、実に名手だった。) バスケットのお蔭か、或は実力か、一年浪人。浪人中もバスケット。小学校のコーチをして、男組女組共に区内で優勝させ て、ニコニコ! 予科一から(入学式の直后に一橋の練習に参加)所が予科一の一期の試験で「マーク」が三つ。二期の試験前には五組の俊秀(?)が私を落第させまいと私の苦手の科目について、和田君・佐藤君・前田君・井上君達が個人ゼミで「山」を教えて呉れ、彼等の友情でドオヤラ落第を免かれた。僅かに私が級友に酬いたのはクラスチャン。特筆出来るのは全予科のクラス対抗のクロスカントリー。私がアンカー二年某組が一番でアンカーに引続いだ。二〇〇米遅れて斉藤君から私が引継いだ。国分寺駅前から茶畑のウネウネ道をエッチラユッチラ差を詰めて、到頭予科前の駅で一番に追付きそのまま余勢をかって終に優勝。 六年間級友がバスケットのリーグ戦には実によく応援に来て呉れた。予科二の時広岡キャプテンで高商大会に優勝。年長の故に学部三年でキャプテンをやらされたが、名手古田土、達人石井(富安)、学二の斉藤、加藤、伊藤の諸君、更に学一や予科の張切りボーイ達と六大学リーグ中の短躯チームで一橋寵球部として十数年振に三位を獲得出来た。 常に学業では大体に於て低空飛行。バスケット三昧に暮したことと、多くの良き友達を得たことが私の一橋六年の収獲だ。 「我が青春に悔なし」只誠に残念なことは、戦争で数多くの良き友を失ったことだ。又最近三宅君を失った。 謹んでこの拙文を亡き友に捧げる。 |