五組  馬場 富一郎

 私は、終戦をインドネシアのセレペス島で迎えた。当時そこには陸軍の軍司令部があり、私は兵器部に所属する将校として、勤務していた。私の居住していたのは、南セレべスのバレバレという海岸の松のきれいな町で邦人経営の工場、商社、ホ テル、映画館もあり、快適な生活を送っていた。終戦と同時に濠洲軍が武装解除のため上陸して来た。司令部には英語の出来 る者が居なかったので、私が兵器を引渡す任務を命ぜられ、占領軍と色々な接渉をしていた。たまたま行李に内地より持参し た英和辞典があったが、通訳が居なくて困っていた。或日司令部より優秀な通訳が来たからと云われて紹介されたのがなんと 水田洋君であつた。終戦時に異郷の町で級友に会えるとは思ってもいなかったので、その驚きと懐しさでいっぱいであった。 以来公私とも色々とお世話になったり、又お世話したりして最後の船で一緒に内地に帰って来たが戦争中の想い出で、一番脳裏に刻まれて残っているのはこのことである。水田君は今や名古屋大学の教授として大活躍しておられるが今後の御発展を心 からお祈りしている次第である。