六組   塩川 精


 省みれば小生は、昭和十年、朝鮮の京城中学から一高を受験する為上京した。朝鮮を出る時一駅に見送りに来た近所のおばさんが丸々と血色のよい小生を見て「あれでは受験生には見えないわね」と云ったそうだ。入試の直前、帝劇に「未完成交響楽」を見に行って、うなる程感激した。そんな心がけだから、試験の結果は、知れたものだが、この得も云われぬムードの中 で、こんな映画が見られるのなら、何が何でも東京に留まらねばならぬと決意した。

 数学、物理、化学等理科系統を最も苦手とする小生は、翌年はあっさり一高を敬遠し、一橋に目標を変更した。一橋の数学のウェイトは、入試に関する限り、比較的軽いと聞いたし、入学した後も、物理、化学で苦労することはよもやあるまいと信じたからである。然し小生の目算は、見事に外れた。第一に入試の暗記物が化学(こんな事は、予科の入試の歴史にも珍しいそうだから皮肉なものだ)それだけでも受験意欲を失いかけた位だが、え〜ままよ、化学かどうなろうとも大勢に影響あるまいと高をくくって神田の本屋で一番薄っペらな教科書を買って一寸読んだ丈で試験を受けた。

 どうやら合格、晴れて予科生となれて、最初の時間が川村貫治氏の算盤で、これには些か幻滅を感じた。その上、乙部さん の物理の難解な事、キム恵さんの化学は、講義がいい処にさしかかると、山だ、山だと云ってくれるので(学生の頭の程度が分っていたのか)何とか切り抜けたが、杉浦教授の数学、伊藤教授の商算等々、苦手を通り越して答案もロクに書けぬもの許りで、商大に数学は無縁と考えた小生、全く認識不足であったと痛感した。あれでよく落第もせず、通って来たものだと諸先生のご温情(?)に何と感謝してよいか。

 この様に書き綴り出すと、次から次へと思い出は尽きないが、その中で予科時代の忘れ得ぬ思い出を一つピックアップして見ると、何と云っても一年の時、全予科の軟式野球大会で優勝した事だろう。第一回戦、二年三組、第二回戦、二年六組、準決勝、二年二組を撃退して、決勝戦はたしか三年二組。小生は、今は亡き篠原佐巳男とバッテリーを組んで殆んど一人で投げ通した。当時の篠原は、文学、哲学を愛好して授業の方は余り愛好せず、SSと続いた小生の前の席は概ね空席で、英語の下準備が出来ていない時など首をちぢめて隠れることも出来なかったが、野球の時は、必ず出て来て大いに奮斗してくれた。

 三年二組のピッチャーはテニスの滝田選手で、最初の内、敵に四点とられたがそれでも負ける気はせず、徐々に盛り返して最終回近くには同点に持ち込み、最終回にヒットで出て盗塁成功の桜井(現在山本)を二塁に置いて、小生が右中間にサヨナラヒットして勝った。桜井がホームを踏むや、篠原と抱き合って二人で飛び上って喜んだ。そして後は一同で肩を組んで寮歌の高唱。あの時のメンバーは、一塁(山本恒)、二塁(三好)、三塁(熊倉)、遊撃(桜井)、左翼(中村達)、中堅(小坂故人)、右翼(酒井重故人)。吉川が応援団長で、大きくよく徹る声で、ガンガン野次ったり且味方を激励してくれて頼母しく、殆んどクラス全員の応援の中には、今は亡き磯村も交ってニコニコと温顔で一緒に応援してくれたのも忘れられない。

 あれから何と三十有余年、気持は依然として当時と変らぬ積りだが、二人の娘は夫々年頃となり、何時、おじいさんにされるか分らない。而もうっかりすると、孫と日本語で話が出来るかどうかも保証の限りでない。

 予科に入った当時は、算盤やら商算やら簿記やら、ついて行けず、商業校から来た人が何の苦もなくすらすらやるのが神様の様に見えた。自分は道を誤ったかなと悩んだこともあるが、野球部員として下手な野球に青春の血を沸らせて、之に打ち込 むことに生甲斐を見出した。

 然し兎も角も学窓を出て見ると、一橋を出たことに全く悔いは無い処か頑張り通して良かったと思っている。最も貴重な事は、尋常一様のつき合いでない数多くのよき友人を持った事だ。予科に入学した頃は、自分の事はさて措いて、どの顔を見ても余りパットせず、大して面白味もなく、特に賢しこそうな者も見当らず、キム恵の云った(この学校は比較的秀才の集ると ころ)事を成る程なあと感じさせたものだが、いざ学校を出て十年、二十年経って見ると、その連中が夫々個性を発揮し、社会人として第一線に出て重味と貫録を増し、光って来たのには本当に驚いている。徒らに秀才を鼻にかけたエリート意識のない事が快い。而も我が十二月クラブの存在は、之は将にノーベル賞ものだ。どうしてこんな立派な結合が出来たのであろう。一体誰と誰のカなのであろう。如水会創立以来、これ程の組織力、団結カ、運営カ、実行力を持つクラス会が外にあるだろうか。同じ学窓を出た者が誰しも抱く母校愛、智恵と誠と友情のその物指しで、皆がお互いに、更にもう五糎、十糎と伸ばし合 った処にこの立派なクラブを生む原動力が生れたのではないだろうか。

  之は友情を一本芯に通した皆の綜合力に依る傑作であり、我々の心の故郷でもある。青春の血潮が今尚脈々と流れ続けているこの十二月クラブの一層のご発展を遥かイベリヤ半島の一角から祈るや切なり。   (終)