三組 田中 林蔵
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就職の時は、剣道部の先輩で当時三菱商事の雑貨部長をやって居られた川村音次郎さんの御世話になり、以来社会人となってからは、諸先輩に接する機会も多くなり、色々と指導を受けることも多くなった。この様に、学生時代は主として同年配の者の横の関係丈であったが、今や大先輩から後輩、学生へと縦に連なる剣友会が、私の生活に深いつながりをもって来た。
処が、陸軍経理学校卒業間際に、藁束の試し切りをした時、仮令藁であつても切ると云うことは大変なことだ、人を切ると云うことは、それにも増して大変なことだろう。 恐らく、竹刀の剣道でなく、直心影流の呼吸と気合でなくてはならないだとろうと感じた。 学生時代には、剣道をして肉体的苦痛に堪えることが精神修養に連なる道と考え、剣道を人を殺すことに結びつけることには抵抗を感じていたが、それは間違いではないにしても本質を把えていない様に思えて来た。即ち剣道とは人を殺す道であり切るか切られるかのギリギリの局面に打ち克つ為の精神力、それが精神修養に連なる道と考えるべきであり、その為には竹刀の剣道丈ではなく、直心影流の呼吸と気合が大切であると思う様になった。 この様に、剣道部生活が縦横に展開して私の生活に密着し、剣の道そのものが心の支えになっていると云うことから、現在の私の生活は、剣道を通じて見た場合、学生々活の延長であり、従って学生々活が極めて身近に感ぜられる次第である。 |