三組  田中 林蔵


  学校を出て三十年にもなるのに、未だに学生生活が極めて身近に感ぜられるのは、剣友会の世話役をしている関係で学生と接する機会が多いと言うこともあるが、それとは別に、剣道部生活と剣道そのものが、私の血肉に浸み込んでいる為の様に思える。学生時代どちらかと言えばひ弱だった私は、一年上の安島、入谷、同年の上野、吉田、魚本、河合、一年下では長友等々の猛者連中にシゴかれ、気力丈で剣道を続けていた様に思えるが、併しそのシゴキの内にも暖かい思い遣りと友情があった。言わば私は肉体的に劣っていた為に却って意地、気力、根性の極限に近い生活を味わうことが出来たと同時に友達の思いやり友情をしみじみ味うことが出来たことは、今にして思えば極めて幸運であったと言える。

 就職の時は、剣道部の先輩で当時三菱商事の雑貨部長をやって居られた川村音次郎さんの御世話になり、以来社会人となってからは、諸先輩に接する機会も多くなり、色々と指導を受けることも多くなった。この様に、学生時代は主として同年配の者の横の関係丈であったが、今や大先輩から後輩、学生へと縦に連なる剣友会が、私の生活に深いつながりをもって来た。    
  次に剣道そのものについてであるが、学生時代には、正直に云って、剣そのものについて考えたり、議論したりすることは殆んどなかった。只、昔一橋剣道部の師範をして居られた直心影流第十五世の一徳斉山田次朗吉先生の偉大さについての話を先輩から度々聞かされ、又先生が一橋剣道部に伝えた直心影流の形を、先輩に半ば強制されてやったが、当時は余り有難味は感ぜられなかった。

  処が、陸軍経理学校卒業間際に、藁束の試し切りをした時、仮令藁であつても切ると云うことは大変なことだ、人を切ると云うことは、それにも増して大変なことだろう。 恐らく、竹刀の剣道でなく、直心影流の呼吸と気合でなくてはならないだとろうと感じた。

 学生時代には、剣道をして肉体的苦痛に堪えることが精神修養に連なる道と考え、剣道を人を殺すことに結びつけることには抵抗を感じていたが、それは間違いではないにしても本質を把えていない様に思えて来た。即ち剣道とは人を殺す道であり切るか切られるかのギリギリの局面に打ち克つ為の精神力、それが精神修養に連なる道と考えるべきであり、その為には竹刀の剣道丈ではなく、直心影流の呼吸と気合が大切であると思う様になった。

 この様に、剣道部生活が縦横に展開して私の生活に密着し、剣の道そのものが心の支えになっていると云うことから、現在の私の生活は、剣道を通じて見た場合、学生々活の延長であり、従って学生々活が極めて身近に感ぜられる次第である。