四組 金井 多喜男
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周囲の良友に刺戟されてある時は解らぬままに折々学書をひもといたりしたが、中学で剣道しかやらなかったものか柔道部に籍をおいたり、如意団の参禅に鎌倉の円覚寺に通ったり、食堂部で経営の真似事をやったりした。又授業をサボッて部室で竹を吹きまくったり、いわゆる課外の事に大部分を費したのも予科に入学出来たお蔭である。反面授業の方はサッパリ御無沙汰で、学年末には教授会の終るまでは安心して帰省も出来ず寮に居残って安否を気遣うメンバーの一人であつた。試験の近づ
く度に家庭教師の役を積極的に買って出て呉れた望月君の好意などは、一生忘れられない。社会に出てから今日に至る三十年間は何かしら仕事に追われどうしである。全くのところ資本主義社会の犠牲者との感も深い。それに較べると予科三年間の生活は一見無秩序のように見えて、結構主体性を持ち、私なりに人生を考え、友情を知り、そして学問にも触れることが出来、省みて我が人生にとつては極めて充実した時代であったと思う。 |