四組  金井 多喜男


  地方中学出身の私にとって商大予科に入学出来たのは本当に嬉しかった。というのは中学もボツボツ上級学校への進学を考えねばならぬ頃、高等学校に合格出来ても又帝大受験の為の勉強をせぬのかと思うと、こんな憂うつな受験勉強はとても叶わない。受験勉強はもうこれ限り沢山だというので商大を狙ったのである。だから合格を知った時は努力が報われたというより も、これで我人生の受験勉強は終ったという喜びの方が大きかった。そんな訳なものだから予科入学後は至極のんびり過した点では、人後に落ちざること級友諸兄御承知の通りである。一橋寮で三年間の殆んどを過した為、武蔵野の櫟林の逍遥を中心 として起居を共にした寮生活はあらゆる意味で我が青春で良い勉強になった。勉強せずして勉強になったの一語につきる。

  周囲の良友に刺戟されてある時は解らぬままに折々学書をひもといたりしたが、中学で剣道しかやらなかったものか柔道部に籍をおいたり、如意団の参禅に鎌倉の円覚寺に通ったり、食堂部で経営の真似事をやったりした。又授業をサボッて部室で竹を吹きまくったり、いわゆる課外の事に大部分を費したのも予科に入学出来たお蔭である。反面授業の方はサッパリ御無沙汰で、学年末には教授会の終るまでは安心して帰省も出来ず寮に居残って安否を気遣うメンバーの一人であつた。試験の近づ く度に家庭教師の役を積極的に買って出て呉れた望月君の好意などは、一生忘れられない。社会に出てから今日に至る三十年間は何かしら仕事に追われどうしである。全くのところ資本主義社会の犠牲者との感も深い。それに較べると予科三年間の生活は一見無秩序のように見えて、結構主体性を持ち、私なりに人生を考え、友情を知り、そして学問にも触れることが出来、省みて我が人生にとつては極めて充実した時代であったと思う。