七組  岩本 治朗
     木村 増三
     佐治 正三


  ―昭和四十七年五月十八日  於「大喜久」―

 「あいつなんか最先に書くべき奴なのに・・・」とよく幹事が嘆くように、われわれ横浜高商出身においてもしかり。そこで、そんな不逞の連中を、何がなんでも書かせてしまおうというわけで、召集をかけて催したのが今夕の集い。書くまでは酒をのませないツモリだったが、三三五五ならぬ一一、一一の参会のため、又顔を見ればついそうムゴイこともできず、 ただいま一同ニヤニヤしながら、前祝いの段階。被告は到着順に佐治、岩本、アンド木村。長谷井被告は所用あって事前に原稿提出。原告は片柳と佐藤。
 さていよいよ本番です。どういう原稿ができますことやら。

 この種の文集を作る事は、発議の時はおおむね、大賛成、是非やる可きだとガヤガヤみんな書くような顔をするものらしい。処が、愈々締め切りとなってくると、幹事は大変な事になる。あれ程うまい事を云った奴らが、仲々出て来ない。本日、この会も何とかして集めねばと片柳先生がたくらんだ会だ。書かない奴は飲まさないと云われたって、小生、第一番に出席して、既に相当入れてしまったから構わないが。

 私は戦争中、ビルマ・インパールに迄かり出され、足かけ五年苦労した。当時の軍隊仲間が今から三年前にビルマの想い出大文集を出版する事を決めた。これがやはり出来る迄に世話役は大変な苦労をして遂に今年の三月に立派な製本が配られた。自分で書いた記憶もないのに仲々うまい文章が出来ていた。これはよいアイディアだ。十二月クラブも、このデンでうまくやってくれるかなと勝手に思っていたら、そううまくは行かず、佐藤丈夫に叱られ、オドされ、遂にこんな事を書かされた。もう相当アルコールが入ったから、マトモな事は書けそうにない。この辺でお許しを。 (佐 治 正 三)   

  佐藤丈夫君より突然の召集令状ならぬ電話にて馳せつけた処は何年振りかのスズラン通りの一角、これ亦何年振りかでお目にかかる旧友五名、「書かぬうちは酒は駄目だ」との憲法違反する訳にも参らずと云うわけ。

 卒業後卅年、いろいろな事があって今日に至り、現在貿易会社の一隅で朝から夜迄人にこき使われ、人をこき使って居る有様で永い間十二月クラブにご無沙汰を余儀なくせられ、全く以って申訳なく、本夕の会合に於ても 冒頭おわびした次第。クラブより頂戴するニューズで旧友諸兄の活躍振りを拝見し、懐しく且意を強うしているが時には近況位い報告せねばとは思い乍らも筆不精がたたりこれ亦どうしようもない。人生五十年と云うが既に数年を越して了った現在も少し時間にゆとりを持って仕事と生活に対処したいと念願している。同窓諸兄のご発展とご多幸を祈ります。  (岩 本 治 郎)

  いずれ別に原稿を寄せる積りですが、友人との酒の集りの席上、何か書く事にしました。今年度から「証券分析論」という新科目を開発し、何とかまとまった講議にしたいと、色々苦心しています。前から講議していた「 証券市場論」は、なるべく客観的に事実を分析する研究を内容とするものですが「証券分析論」は投資実務の改善に役立つことを目標とする実務的研究で、その説く処が実務上なんの効果も持たないとすれば、改めて考え直 さねばならないと云う破目に陥るわけです。「証券市場論」でさえ泥沼に足を入れた感じがしていたのに、「証券分析論」に至っては、その内に動きが取れなくなるのではないかと危惧の感を持ちます。しかし、全く見通しがつけられないわけではなく、少なくとも歴然たる誤解だけは明確に指摘できるだろうと考えています。どこ迄行けるか、とも角やってみるつもりです。 (木 村 増 三)

 何かまとめを書けとうるさい。私も書かずばなるまい。この銀座「大喜久」は和田一夫が監査役をつとめる京都のオパハン の店だ。もうまとめをしている小生も大分出来上ってしまった。とに角文集の原稿が三人分集った事は誠に目出たい。今愚考 していることは、この様な集りを原稿のためだけでなく、継続的に持ちたいものと念願している。 (片 柳)