七組  漆原 栄一

  この頃年とったせいか、昔の事が大切になって来た。若気の誤りとして、我が青春日記より、剥ぎ取りたいぐらいにしか思っていなかった満洲国時代も、総務庁高試、大同学院十八期生として、同国の最終のキャンデイド・オフィサーであった因縁で大同学院は十八期でお終い一昭和七年、日本及その枢軸国たる独伊によって承認され、昭和二十年壊滅した、僅か十三ヶ年しか生命のなかった、世果短命帝国記録の、この満洲帝国の、私は私としての挽歌を、近頃書き残して置き度くなって来た。旅順、奉天、新京、ハルピン、安東と駈歩で歩いたが、それでも近頃の、パッケージ旅行よりはまさっている。又一橋同窓の中で、満洲国の官吏になった物好きは、私を除いてはあまりあるまい。そして、でもしか教師、偏向マスコミ、駅弁大学教授共が、知りもしないで、満洲帝国を、侵略だ、帝国主義陰謀だと極めつけると、何となく可哀そうになって来て弁護したくな る。嘗って遼、金を建国した満洲族(Manchus)康熙、乾隆の二名帝を出した愛親覚羅氏に統卒された満洲族は、果してチャイニーズか、日露戦争により、露西亜より東支鉄道、関東州の租借権(リース)をポーツマス条約によって得た日本は、チャイニーズの侵略者か、満洲帝国より解放された満洲族は、文化大革命(あんな革命に文化と言う、形容詞をつけると何が文化か、疑問になる)によって安心立命したか。モンゴル人民共和国はあれは、侵略ではないのか、然し嘗ってジンギスカンに卒いられたモンゴル人は、明らかにチャイニーズではないので、之を建国せしめたソ聯は、之をチャイニーズより解放したので は無いか、呉越と言い、三国と言い、五国と言い、或は周、或は漢、或は唐、或は宗、元、明、清と称したこの国は、果して単一国家、単一民族、チャイニーズと称して真実か、小生はそのうち大論文を書くつもりである。(あまりあてにしないで待 ってゝね)