七組  鷲尾 節夫

          (メルボルンにて)
 学窓を出てから三十年と云われ、ハッとおどろいた。それにしても十二月クラブのために、いろいろと貴重な時間をさいてこゝまでもって来ていただいた幹事の方々に、御礼の言葉もない。この紙上をかりて厚く御礼申上げます。
 
 昭和十六年十二月八日、淀橋区役所に七時集合、徴兵検査の日だった。区役所のスピーカーが、けたたましい声でニュース、 開戦のしらせ、軍艦マーチを放送していた。ああついに戦争がはじまったなと、何か筋肉がひきしまる思いがした。
 
 それからというものは、戦争、無我夢中、敗戦、焼野原、飢餓、会社の解散命令、何か頭をなぐられて引き廻されているような感じだった。しかし、われわれは若かった。この苦しみを耐えてゆく体力と気力があったのだと思う。そうしてもう一度立ち上った。その間に女房と、ささやかな結婚式をやった。去る四月、二十五周年を迎えて、二人で、にっこりと笑った。お互に思い出は別々であろうが。
 
 学校を出てから、一度も会わない友達もいる。年をとったせいか、無性に友達がなつかしい。今こゝで、時々如水会をひらくが、若い後輩に、エピキュールの話、みどり、こまどりのこと、墨田のボートレースのことなど、自分で思い出をたのしみながら、話をしてやるたのしみがふえた。それと同時に白髪もふえてきた。今一度一円ですきやきと酒を、たらふく喰べさせ てくれる昔の時代が来ないものかと、フット新宿の街角を思い出す。みんなで肩をくんで、歌をうたって歩いたよき日、よき友、今はみんなどうしているかしら。もうすっかりえらくなって、落着いている人、孫がいる人もいるでしょう。しかし会えば、矢張り昔の顔がよみがえって来る。私も早く帰って、みなさんと俺、お前と膝をつき合わせて、美酒をくみかわしたい気持で一ばいです。
 
 筆をとっている今ここは、南十字星のもと、メルボルンです。日本とは全く反対の気候で、七月は真冬でさむい。しかし空はあ くまですみ切って、芝生も年中グリーンです。しかし、こんな花園のような処に、一生住みたいとは思わない。われわれはもっと、人間臭のきつい、日本の方が住み易い気がする。日本でも、今より戦前の方がもっとよかったような気がする。
 
 よき時代の友よ、幸あれ。