七組  大橋 周次

 卒業後三十年をふりかえってみると、 われわれは日本の歴史に例をみない激動期に生きてきたと思わずにはおれない 。

 日本は昭和十六年十二月国運を賭しての太平洋戦争に突入し、そのためにわれわれの卒業が繰り上げられたのだが、如水会で明治二十三年卒の大先輩平生釟三郎氏の力強い歓迎の辞に接したとき、四年後にあの惨怛たる敗戦の悲哀を嘗めようとは誰も予期しなかったことであろう。ところで戦後廃虚となった都市にほとんど栄養失調となった群集が食料を求めて右往左往していたときに、二十数年後の日本の復興した姿を誰が予想することができたであろうか。日本は敗戦によって世界の第四等国に転落した、と当時マッカーサーがいったが、今日の日本は世界第三位の経済大国に成長し、よいにつけ、悪いにつけ、世界中から注目されるようになり、風当りが強くなってきた。日本の経済成長について、同窓諸兄の貢献は大きかったと思う。

 今日の日本は内外ともに多くの困難な問題をかかえているが、終戦直後の苦境にくらべると、問題の多くは急速に豊かにな り、カをつけたために生じた産物に相違ない。日本人は今後この繁栄を台無しにするような馬鹿なことを再びやらないように願いたいものだと思う。  


  学  友

 私は養成所から大学へ進んだが、同じ道を一緒にとおった藤井湧吉氏(三菱商事出向、ダイヤ機械常務取締役)に誘われ、 この一年間に七回に及ぶドライブを楽しませてもらつた。お蔭で、潮来−大洗、裏磐梯、奥利根−奥日光、志賀高原−軽井沢-糸魚川、飛弾高山−安房峠−松本、さらには遠く敦賀日本海岸−鳥取・岡山県境というように年来の行楽希望をつぎつぎにと満足させてもらった。同君に対して不思議に思うのは、佳い場所へきても一休みしようとか、風景を楽しもうとかいう気持があるのか、ないのか、まことに乏しいことである。一休みするのは小便をするときだけだ。だから行く先々の地形や 風景を楽しむのは小生独りである。こんな旨い話はない。それから安心して同君の車に便乗できるのは、同君起り得る事故に対し万全の事前策を講じつつ慎重に運転することであり、その上マナーが模範的である。道中多くの運転の乱暴なマナーの悪い事に出会う。このこと一つだけでも日本人は外国人の間にはいったら嫌われるだろうと思う。同君の優秀な技術はパキスタン在任中自動車売込みを担当して身につけたらしい。同君の三菱商事社員として苦闘した海外における体験談は教員の小生にとって最良の教材になる。こんな都合のよい友達があることを嬉しく思う。