三組 浮洲 静太郎
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不毛の僻地千島での苦しかった一年半の後、文字通りの飢えと寒さに苛まれた三年間のシベリア抑留生活に耐えて生還した身の幸せを噛みしめる時、私の胸には若くして祖国の為に散って行った級友達の在りし日の悌がまるで昨日の事の様に想い出されてならない。 しなやかな巨体と持ち前の愛嬌の良さで「ゴリボン」(島田啓三の漫画に出て来る「ゴリラのボン助」のこと)と呼ばれて いた石原。お菓子屋さんの息子で、「羊羹を作る時は親父が素足で小豆を潰す、それでないと美味い羊羹が出来ない」と云って居た。煙草を好きになりたくて、吸っては鼻血を出し、鼻血を出しては頭を冷やして一生懸命やっている中に、到頭本物のニコチン中毒になって了った。 熊谷は「長さん」と呼ばれ、皆に好かれて居た。頭髪は伸ばして居なかったが男前で、アルバイト先の三越の女店員とのデイトの話等ヌケヌケと我々に披露したものだった。尤もそのデイトも喫茶店でお茶を飲む位の誠に他愛ない代物ではあったが
…。見習士官で小隊長としてガダルカナル島のルンガ河の畔で突撃中戦死したと云う事だった。 一寸ばっかりやくざっぽく、その癖人一倍真面目で気の小さかった福間。戦地にも行かぬ先に豊橋の予備士官学校で自らの命を絶って了った。 居るのか居ないのかさっぱり分らぬ位ひっそりと落着いて居た珍平。何時も笑を湛えていた。タイスリッジ教授が彼をC・SATO、もう一人の佐藤(幸市郎)をK・SAT0と区別して呼んで居たのも懐しい。 皆人一倍純情でお人善しで心の優しい奴許りだった。茲に改めて冥福を祈る次第である。
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