五組 和田 篤
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昭和三十年に小生の勤務先宇部興産が、ナイロン原料の生産を始め、工場の総務課長として繊維関係の勉強をしていた時、 井上君は三菱レイヨン大竹工場の会計課長でした。織維について全くの素人の小生は、井上君に手紙で色々と教を乞い、三十年十一月の丁度勤労感謝の日に同工場を訪問しました。工場は休みでしたが、井上君はわざわざ私のために出社、運転休止中 の工場を案内、繊維の生産工程の説明、包装出荷等のやり方を詳細に教えて呉れました。その上同君の社宅で奥様の手料理で昼食を御馳走して呉れました。その後も手紙で原価等について細かい質問を手紙で出し極めて親切な回答を貰いました。あの翌年鉄道自殺をする程思いつめた様子は全く見られませんでした。会社の将来を思う余りノイローゼとなり、発作的に自殺さ れたと聞いておりますが、本当に残念なことでした。しかもその後数ヶ月して同君の意見通り同社は新繊維の生産に乗り出し隆々たる発展をしているのを見ると、全く惜しいことだと思います。 彼は全く真面目過ぎたのだと思います。奥様にはその後全く御無沙汰しておりますが、立派に遺児を育てられた由、本当に大変だったと思います。秋になると大竹での彼の面影を思い出し、冥福を祈っています。 |