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二組 宮城 恭一
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昭和十六年十二月卒業、翌年二月に陸軍入営、スマトラで終戦を迎え、シンガポールで二年間の抑留生活、昭和二十二年十 二月復員、荒廃した戦後の生活、等々。走馬燈のように過去の記憶が頭の中をかけめぐる。 大学を出て三十年、齢五十路を越えたとは言え、生来思慮分別が少なく、物事を深く考えることをにが手としているせいか 気持はまだ学生時代と変らないつもりでいる。精神年令は若いつもりでいても周囲からはそうは見てくれない。この八月に大 学時代に山岳部で一緒に山に登った日江井正己氏(一年先輩)山田亮三氏(今をときめく経済評論家)等と北アルプスの燕岳 に登った。登った日は絶好の天気であったが翌日から荒れ出し、数日恢復の見込みなしとの天気予報に、予定の縦走をあきら めて、風雨の中を下山したが、足腰の痛みがなくなるのに一週間もかかった。やはり年は争えないものと思った。 燕岳からびしょ濡れになって下りながら、大学予科時代山岳部生活を共にし同じ山路を一緒に歩いた里見治男君を思い出し た。そのときは槍ヶ岳から縦走して来て燕を過ぎ、日がとっぷり暮れた中を下りに下った。長い下りに足がガクガクになった 頃中房温泉のあかりが下にチラチラ見えて来たとき、喜び合って、とっときの水筒の水を互に飲みほしたことを覚えている。 好漢、里見君。戦死されなかったなら、今頃は社会で大いに活躍されているに違いない。御冥福を祈る。 |