七組  西川 元彦


 大学生活の想い出といえば、何といっても中山伊知郎先生の偉大さということである。それは昔の想い出というより、卒業後三十年、わたくしの生活の心棒であったし、今後も変らざる導星と心に決めたものでもある。先生の偉さのすべては到底はかりがたいが、わたくしなりの想い出を誌してみたい。                                                                    
  先生が理論経済学の泰斗であられることはいうまでもないが、先生のゼミでは歴史学派も政治経済学もマルクス経済学さえも報告されていた。また理論一点張りの弟子には古典文学を薦められたこともある。わたくしは職場で多くの若い理論家を預ってきたが、その人達から裏切りといわれるほどに他の視野を鼓吹することもしばしばであった。それは、この想い出に基いている。

 先生は単に偉大な経済学者という以上の方である。人は一人で暮しているのではない、というお言葉は、先生から承ったのでなければ、あれほどわたくしの脳裏に刻み込まれなかったであろう。また、自負に満ちた論題には、仮にそれが高度なものであっても、より高次な批判を加えられ、逆に悩み多き模索には、より低い水準との比較から励まされた。何れもわたくしの大切な指針に他ならない。

 想えば、初めて先生に接しえた頃の先生のお年よりも、われわれの今の年令は大分上にさえなってきた。時は流れて行く。 少年老い易く報恩なりがたし、の感を深くする。先生の偉大さのほんの一部分でも若い人々に伝えるようにつとめることが、今後の報恩の道であろうかと考える昨今である。