一組 金子 庄一郎
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同級の田辺一男君から本稿に就ての催促を頂いた時、筑紫五郎君が不調で文が書けぬと云われたので彼の分も含めてという事では無いが彼との関連に於ての一橋時代の平凡な憶い出話を拙い筆にのせたい。 当時身体強化を目的に下手なテニスを同級の池田君、島田君、野田君、筑紫君等と楽しんでいた。或日、筑紫君が所沢へテニスに行こうと云うので三、四人揃って筑紫君の先導で出かけて行った。所沢は当時陸軍の航空隊の飛行場があった。筑紫君の兄さんが航空大尉で教官をしていたのでテニスコートも兄さんの御配らいであった事と思う。テニスの方の記憶は余り印象 に残っていないが、テニスが終った后筑紫大尉が「飛行機に乗ってみないか」と云われた。突然なので些か皆逡巡したが、多少の面子もあり誰云うと無しに「お願いします」という事になった。 自分の番になり制服の上から航空服をまとい赤い練習機の前の席にパラシュートを座布団にして乗った。後部席の操縦は筑紫大尉だ。ふんわりと飛んであっと云う間に国立上空に着き我等の母校を生れて始めて空からの全景で眺めた。翠に包まれて 本館、兼松講堂等が鮮かに、頼もしげに散在するのを俯瞰した時の気持は何か大変誇らしい満足感があった事を今だに憶い出 す。母校の上を大きく旋回して機は順調に所沢飛行場上空にさしかかった。やれやれと自分の家の門口を眺めた気分になった途端飛行機は降下とは逆にぐんぐん上昇して行った。大きな空気の圧力で体が押しっぶされる様だ。その内地面の土や畑がぐんぐんせり上って来る。所謂「宙返り」をやっているわけだ。仕方がないので座席の手すりにしっかり摘まって運を天に任せた感じであつた。生れて始めて飛行機に乗り宙返り迄味わったわけだから吃驚しない方が不思議だと思う。 やがてどうやら無事に飛行場に降り立ったが他の連中も余り冴えた顔色ではなかった。筑紫君の兄さん丈がにやりと人の悪い笑みを浮べていた。帰路飛行場の片隅に赤い練習機のぐしゃりとつぶれた残骸が取り片づけられていたのを発見、皆で顔を 見合せた。それから間もなく我々は繰り上げ卒業に遭遇したわけだ。 今にして思うと筑紫大尉はその辺迄を見通して我々の精神鍛煉をして下さったのかと感ぐっている次第である。
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