三組  森田 益弘


  私は皆様ご存知の通り予科二年にて新学期早々急性肋膜にて(昭和十二年春)四十度の熱発、一週間以上も続き、熱下らず遂に病院にて危篤の状態でしたが、危うく生命拾いをして一応全快しましたが、その後の養生不良の為、三十才近くまでぶらぶらし、お蔭で戦争にも行かず、又々生命拾いをした訳です。今だから話そうという次第。で諸兄より遅れに遅れ、遂に昭和十六年に大学一年にて退学の止むなきに至った訳で、同期生が何百人、何千人居るか数知れない位ですが、幸に元の十二月クラブに拾われて、只今大きな顔をして十六年後期組に入れていただいている訳です。

 あの健康で男らしい上野富造君の如き友人が、大東亜戦争で国のため戦死し、私如きが生き残るとは不思議千万です。 現在は、時々胸の痛みが起こる程度で元気で若々しく(二十歳の時よりも若く見える)しております故安心してください。これも信仰のお蔭です。どうぞ皆様もお元気で。