一組  南 毅

 
  よき時代の一橋生活、開戦早々のあわたゞしい卒業、戦争、敗戦、これに続く戦後のすさまじいインフレと耐乏、思想の変革、やがて経済の復興と飛躍的発展など、青春時代から今日に至るまでの思い出の一駒一駒について、私達ほど、感慨深いものを覚える者は、少いであろう。これは、私達が経てきた世代の変動が余りにも熾烈であったことと、この間にあって、私達の厚い友情が、いよいよ緊密の度を加えてきたためと思われ、常に深い感銘を禁じ得ない。

 この友情は、文字どおり、波瀾万丈の時代を通じて、たゆむことなく、堅く結ばれてきたものであるだけに、私達が人間と として生き貫くための、何よりも心強い支柱となったものと確信している。私達は、無限の夢と感激にみちた学生生活を共にしたあと、戦争という異常事態に遭い、同じく若い生命を捧げ、戦後は、極めて困難な状況のなかから、曽て類例をみない急速な経済の復興と発展を、共に成し遂げてきた間柄なのである。国内はもとより、遥か異国にあっても、この友情は、どんなに力強く、かつ堅く結ばれてきたことであろうか。

 しかしながら、私達は、一方において、熾烈を極めた戦争によって、数々のよき仲間の生命を失ってしまった。何としても 痛恨極まりない思いである。戦後二十数年を経た今日、あらためて衷心から冥福を祈りたい。

 私達は、戦後いち早く、「十二月クラブ」を結成し、お互の友情を、あらゆる機会を通して温め、確実なものとしようと努めてきたが、いま、七十年代の初頭にあたり、一般に言われている、人間性の尊重とともに、この友情をなお一層深く、かつ厚いものにして行きたいと願っている。これは、私達の尊い体験によって得た念願なのである。もちろん、これらは、自然発生的に与えられるのではなく、むしろ私達が、日々新な意欲をもって、丁寧に育て上げ、その成果として、獲得できるものであろう。

 若き日、国立の学窓を巣立つにあたり、私は、「意欲なければ創造なし」の語を心に銘じたのであるが、齢五十を過ぎて、私達の友情についても、これと同じ感銘を与えられ、希望を感じている昨今の心境である。                  

                  終戦記念の日に