一組 倉垣 修
   
  これは、母校を出たとき吹田教授の卒業のはなむけの言葉であったと記憶しています。

 母校を出てから三十年を経過し、その間、戦争、敗戦、食糧難、現在の贅沢なレジャーブーム、等我々程、この短い人生で数多くの体験をして来た世代はないと思います。
 
  それにしては後輩、子弟に対しはっきりと指針を示し得ないで、戦後を支えている一番の主役である我々が、明治と昭和の板ばさみになっているのは、今後とも充分に深く反省する必要があると思います。

 昔を振り返えると、在学中は色々やりたい欲望にふくれ上って居たのが、現在五十数年を越えてみると、人生の辿る道にはある経験をし、ある過程を通り、年輪を重ねないと体得出来ないものが、数多くあることに気がつきます。それは生命の内部自身の問題、いな祖先から享けた業、宿命を感じるようになると思います。此の業を消滅させるために、人間は絶えず自己超克、否淋しいさゝやかな努力をする必要があることを、此の頃、痛感しています。

 Der mensh ist etwas zu verbinden. (ニーチェ)