四組 毛塚由太郎

 
  偶々昭和十五年の日記が、戦災を免れて手元に残っていたので読み返して見た。三十余年の年月が経っているのに、心の動きとか、物の考え方とかいうものは、意外にも、余り変っていないような気がする。人間の心情とか性格は、外界の変化、年令の積み重ねの割には変らないものなのだろうか。例えばゼミで米谷先生から指摘された事柄などには、今の自分に対してもそのまゝ当てはまるものがあり思わずハッとさせられた。これは、その後の自分の精進努力が足りなかった結果に外ならないのかも知れないのだが・・・。何れにしても、この三十年問は末曽有の激変期に当り、当時では予想もできなかった多くの苦難を体験して来た筈だが、それにも拘らず、古い記録を繙いて見ると今と同じような物の考え方をしている所が少くないのには驚いた。

  心の動きが余り変らないとすれば、自分の好きなことなど尚更変る筈もない。予科に入って間もない夏休みに山岳部の一行と北アルプスの槍・穂高連峯を縦走したことがあったが、その時の感激が忘れられず、それ以来山の魅力に取りつかれ、未だに年に何回かは、山登りとスキーに行かないと気がすまない程の山の虜となつてしまった。音楽にしても同様、同じクラシックの曲を当時から何十回となく聴いて来たにも拘らず聴き飽きないのが不思議でならない。最近不図した機会に、囲碁の趣味が復活し目下熱を上げているところだが、学生時代にも結構夢中になって打ったり、本を読んだりした時期があった。唯当時専ら力量が同じか或いは若干低い相手と打って、碁を楽しむことのみに終始したため、腕の方はさっぱり上達せずザル碁の域を出なかったようだ。亡くなった三吉君当りに挑戦しておれば、相当腕が上がっていたのではないかと今更残念に思われてならない。齢既に五十の坂を越え、これからどのような半生を送るにしろ、どうも、自分の心の向うところは、今後ともそれ程、変りそうもないような気がする。相も変らず、山を歩き、スキーを楽しみ、碁に興ずるであろう。