七組 岡部 寿郎
|
||
流離の旅にも似て三十余年を経て今日に至ったのであるが、歳月の積み重なりの中にいさゝかでも私なりに歴史の名に価するものが形成されたか、と問われても私には応えるものがないのである。一橋の門をくゞって以来、そこからは抜け出すこと の出来ない宿業とも感ずる場での残渣とも云うべきものの排泄の累積はあっても、多数学友諸卿のそれの如き華麗な歴史の伽藍は残し様もなかった。 たゞ一筋に一橋に入り、一橋の精髄はこゝのみと、教えのまゝに如意団に加わり、六年間野狐禅の間をさ迷うたが、その中河合諄太郎先生との出会いに始った結びの糸は細々ながら、今尚切れることなく先生の亡き後も生活の中の条となり、私の心の中に続いている様に思えるのである。この筋は私を離そうともせず生かし続けて来たものであり、又生き続けるであろうこれから先の、たぐり行く導の糸でもあってこの筋を離れては私の存在はないかの様である。 私は最近停年を迎え、兼松江商化成品部の籍を去ることとなったが、これからは在職中に育成しつゝあった系列の小化学品全社の代表として引続き従来と変らぬ世界の仕事に専念、努力を傾注することゝなる。停年の頃と云えば、男子としては仕事の仕上げを終え悠々たる余生への転換の機でもあり、或いは更に一段と高い主座を目ざし傾魂の妙を尽くさんとする、人生の年輪の中でも最も太い鮮かな輪を画する秋でもある。 私としてもこの秋を迎えた次第であるが感想を求められても吐くべき何物もないというのが偽らざる気持である。一橋の門をくぐったその時に宿業の端緒が始ったのであるから、この宿業の中を河合先生によって与えられた一条の糸をたぐりつゝ歩むのみである。この糸は断絶することなく続くのであるから、糸の続く限り鈴を振り振り、遍路の如く八十八ケ所を巡り終る迄歩くのである。この様に私には画す様な華やかな年輪も現れることなく、又年輪を画して過去を振り返る気持もないのである。強いて述べることがあるとすれば、現在私の心を占める大きなことはこれから十年先を区切りのメドとして現在の会社を望む形に仕上げて行くかに在って、その時に辿り着いた人生を、ほんとうに味わって見たいと思う。之はとりもなおさず受けた宿業に対しケジメをつけたい私のいさゝかの意気でもある。 それからまことに大それたことであるが念願としては、体の許す間にシルク・ロードの奥深く踏みこんで見たいのである。予科寮歌の行りにも、青春を標傍しタクラマカンの大砂漠の果に思いを致す詞があるが、天山両路を偲ぶ心は之亦宿業を負った一橋人の端くれであることの証でもあろうか。 |